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クレッシェンドに幸せ気分
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以前から身バレ・垢バレ防いできたが、最近、かなり人と会話が成立するようになり、改めて「もったいないな」と思う。
私は昔から、リアルでは人と話せなかった。小学生の頃は大人としか喋れず、子どもの中ではほぼだんまり。
中学生のときは多少喋れたが、それは話しかけてもらえたから。しかし話しかけてもらえるようになっても、おそらく問題行動は多かった。
その後も基本的に受け身であり、自分から発信できるのはいつもネットだけ。ネットではけっこう気軽にコメントのやり取りもできたし、人と関われた。
だからネットが表、リアルが裏で、ネットの私とリアルな私は別物。表と裏が交わることはない、はずだったのだが……。
最近、職場の優しい人が、男性も女性もめちゃくちゃ構ってくださるもので、流石に警戒心が解けてきた。
もちろん陰口言う人もいるが、「誰が自分にダメージを与えるか」が多少分かってきて、どの人のことが信頼できそうか、空気を読むようになった。
もちろん対人スキルが少なすぎて、これからも間違えるだろう。ダメ人間な私が何か言われるのは当然でもある。が、「誰かの陰口を言う人は、私の陰口も言うに決まってる」とか、自分なりに推測できるようになった。「この人は言葉はキツいけど陰湿ではない気がする」「こっちの人は明るそうに見えて、根に持ってるかも。下手に弱味見せたら話のネタにされるな」などと探りつつ、まわりの様子を見ている。
人を見るとき、個人的に特に重要と思われるのは、「本人がいないところで誰かのことをどう言っているか」だ。けなすのか、庇うのか、褒めるのか、信頼しているのか。ここで「ふーん、そういう風に言うんだ」とか、「そっか、そんな風に思ってたんだ……」などと勉強する。
やっと分かってきたのは、陰口を言うのはほぼ、「本人に直接言っても直らないから」か「今の関係を壊したくないから、陰でガス抜きする」かだ。そして後者がけっこう多い気がする。ボロクソに言うような陰口は愛がないが、そうでないなら、「その人のことが好きだから」他の人に不満を漏らすのだ。
それを私は今まで「本人に言う勇気がないんだ」と思ってきた。
今はちょっと、陰口も愛だと思える。っていうか私は愛のない陰口を言っているが。あと「それ、間違ってますよ」と言いたいけど、本当にそうかどうか自信がないときに、「◯◯さんはああ言ってたけど……」と、他の人に確認したりする。
そんなこんなで、近年人間関係に足を突っ込みつつある。で、「表」と「裏」が崩れ始めた。リアルではけしてペラペラ喋れるようなキャラではなかった私が、まだ対人恐怖症は残っているものの、ペラペラ喋れるようになってきてしまったのだ。
コミュニケーションが得意というわけではない。言葉がスラスラ出てこず、訳の分からない言葉遣いをしてしまったりする。それでも喋れることが楽しい。
学校で、職場で、こんなことがあった。さっき、あんなことがあった。それを今まで、リアルタイムで誰かに伝えられることなどなかった。「今回のテストね、いい点取れたんだよ!」などと、聞いてもらいたいことを言えるような相手はいない。「友達の輪」に入ることなく、陰からひっそり見ている、あるいは問題行動を起こすだけだった。
それが今ではあれこれ言える。仕事中に驚きの出来事に遭遇したことを、仕事仲間に伝えたり。色々話しかけてもらえたり。名前を覚えて呼んでもらえて嬉しかったり。
人間関係への恐怖心や緊張、常識的な言動を求められるプレッシャーより、興味と幸福感が若干上回ってきたのかもしれない。
嬉しくてつい、仕事そっちのけで喋ってしまう。ヤバいヤバい。
でもどうせいつか死ぬのに何のために生きているんだろうと思っていたけど、「喋るのが楽しい」と感じるならば、「そのために生きている」で良いじゃないかと思ってしまう。
早く世界が平和になって、余計な仕事(防衛とか防犯とか)がなくなって、みんなもっとゆるゆる働けるようになればいいのに。
こうなると、「趣味は?」と聞かれたら「文章」「写真」「イラスト」とかペラペラ言ってしまいそうになる。
でもダメだ……この陰口だらけのアカウントを知られてしまうかもしれない、というか自分からうっかり尻尾を出すかもしれない。こっちとあっちは混ぜちゃダメだ。
……ああ、陰口なんて、コッソリ言うのはマシだけど、書くもんじゃないな。
ネットでは主に愚痴。リアル(職場などの外面)ではわりと誰の悪口も言わず、おとなしいかも。
ネットではまったく集客できず、鳴かず飛ばず。
リアルではよく行く店の店員さんまで話しかけてくれるようになって、構ってくれる人が増えてきた。
リアルでは仕事とか買い物を通して、適度にコミュニケーションを取れるから丁度いい。ずっと顔を合わせて喋るというのでなく、作業しながらだから良いのだ。
流石にまだ「誰かと二人で遊ぶ」などというプライベートなことは無理そう。そんなことになったら緊張しすぎて死ぬ。大人数での宴会とかも緊張しそうだ……。
そう思うと、緊張しすぎる状況がない、適度に構ってもらえる今の仕事は恵まれている。
鳴かず飛ばずの創作。
そもそも何のために創作してるんだっけ?
近年は収益化とか承認欲求とか、そのへんに取り憑かれているのだが……。本当は……。
そもそも、寂しかったのだ。
子どもの頃、友達が欲しくてしょうがないのに、人とどう接して良いか分からなかった。
それが、作文を通して先生と会話できたり、褒められたり、作文をクラスのみんなに発表できたりした……ような。
そう……絵とか文章が私にとって、人の気を引くことが出来る唯一の、正当な手段だったのだ(挙動不審におかしなことをして気を引いたりもしていた気がするが)。
それが、創作で人の気を引けなくなりつつあり、逆に創作していることを一切明かしていないリアルで、人に構ってもらえるようになった。
嬉しくありつつも、若干混乱する。「100万円貯めてアレを買うぞ」ということを人生の目標にしてきたのに、突然、欲しかったものがタダでもらえた、みたいな。
ならばどうしよう。もう私に創作はいらないのか。創作する理由はないのか。
いや、今度こそ愚痴はほどほどにして、本当に描きたいものを描くべき……その準備が整ったのでは……。
こっちで愚痴を書かなくなったらストレス発散の場がなくなる。愚痴らないなど可能だろうか。しかし愚痴らないようになれたら、表裏の境目ももっと曖昧にできるかもしれない。リアルで絵を見てもらったり、オフ会に参加したり。
でも今は些細なことで気落ちしたりするから、そんなアクティブになれそうもない。何がどうと結論づけることもないか。
うん、リアルで人に構ってもらえるようになって幸せだ。
あとは構われすぎて本意でない展開にならないよう気を付けたり、ある程度覚悟を決めたりしつつ楽しめば良いのだろう。
創作の方で芽が出ないのはおそらく、愚痴や批判や被害者アピールが多く、また、収益化のためにリンクを貼りまくって宣伝したりなど、「めんどくさい」と思われるような言動を多く取るからでは。
直接イラストやマンガを載せるのでなく、収益が発生するアルファポリスやアメブロにリンクで誘導しようとすることが多いが、近頃は色んな詐欺があって、リンク誘導に不信感を持つ人も多いだろうし。「ここでリンク貼る必要ないよね? 直接載せればいいよね?」と思われていそう。でもこちらとしてはリンククリックしてほしいけど。
リアルな私が絵を売り込み始めたり、逆にネットの私が「もう収益化なんてどうでも良いです。楽しく喋ることだけが目的です」という方向に切り替えたら、どちらも状況が変わるかも。
現実でしつこく売り込み行動を取ったら、まわりの人が引き、ネットで楽しく過ごそうとしたら、ネット友達が増えることもあるかも?
ネットでの活動初期は、今のリアルと同じように喋ることに重点を置いていて、失言して衝突することも多かったけど楽しかったなぁ。やっぱり本来、喋ること、遊んでもらうこと自体は好きなんだな。
まぁ人生、実験だ。そしてその前に休憩。
人間関係楽しくなってきたけど、まだ上手いことかわすことも、オフになる時間も必要。
出かけようと思ったら出かけられる。創作しようと思ったらできる。
働ける。休める。美味しいものも食べられる。
創作は鳴かず飛ばずだけど、今の幸せを噛みしめよう。そうこうしているうちに案外性格が良くなって、ネットでの振る舞い方も上手になるかも。
って言っても、ネットはネットで、誹謗中傷とか意見の押し付けとか売り込みも多いし、リアル以上に多くの人と繋がっちゃってキャパオーバーすることも多いから、リアルとはまた違う対処法が必要なのかも。
急にショック受けることもあるし。投稿者と読者の距離感、現実での関係とはやや違うし。私はどうも、文章書くのは好きだけど、読むのは苦手っぽいし(マンガしか読めない症候群)。
「人間なんて嫌いだー」と言っちゃいたくなる日もある。一進一退だね。
私は昔から、リアルでは人と話せなかった。小学生の頃は大人としか喋れず、子どもの中ではほぼだんまり。
中学生のときは多少喋れたが、それは話しかけてもらえたから。しかし話しかけてもらえるようになっても、おそらく問題行動は多かった。
その後も基本的に受け身であり、自分から発信できるのはいつもネットだけ。ネットではけっこう気軽にコメントのやり取りもできたし、人と関われた。
だからネットが表、リアルが裏で、ネットの私とリアルな私は別物。表と裏が交わることはない、はずだったのだが……。
最近、職場の優しい人が、男性も女性もめちゃくちゃ構ってくださるもので、流石に警戒心が解けてきた。
もちろん陰口言う人もいるが、「誰が自分にダメージを与えるか」が多少分かってきて、どの人のことが信頼できそうか、空気を読むようになった。
もちろん対人スキルが少なすぎて、これからも間違えるだろう。ダメ人間な私が何か言われるのは当然でもある。が、「誰かの陰口を言う人は、私の陰口も言うに決まってる」とか、自分なりに推測できるようになった。「この人は言葉はキツいけど陰湿ではない気がする」「こっちの人は明るそうに見えて、根に持ってるかも。下手に弱味見せたら話のネタにされるな」などと探りつつ、まわりの様子を見ている。
人を見るとき、個人的に特に重要と思われるのは、「本人がいないところで誰かのことをどう言っているか」だ。けなすのか、庇うのか、褒めるのか、信頼しているのか。ここで「ふーん、そういう風に言うんだ」とか、「そっか、そんな風に思ってたんだ……」などと勉強する。
やっと分かってきたのは、陰口を言うのはほぼ、「本人に直接言っても直らないから」か「今の関係を壊したくないから、陰でガス抜きする」かだ。そして後者がけっこう多い気がする。ボロクソに言うような陰口は愛がないが、そうでないなら、「その人のことが好きだから」他の人に不満を漏らすのだ。
それを私は今まで「本人に言う勇気がないんだ」と思ってきた。
今はちょっと、陰口も愛だと思える。っていうか私は愛のない陰口を言っているが。あと「それ、間違ってますよ」と言いたいけど、本当にそうかどうか自信がないときに、「◯◯さんはああ言ってたけど……」と、他の人に確認したりする。
そんなこんなで、近年人間関係に足を突っ込みつつある。で、「表」と「裏」が崩れ始めた。リアルではけしてペラペラ喋れるようなキャラではなかった私が、まだ対人恐怖症は残っているものの、ペラペラ喋れるようになってきてしまったのだ。
コミュニケーションが得意というわけではない。言葉がスラスラ出てこず、訳の分からない言葉遣いをしてしまったりする。それでも喋れることが楽しい。
学校で、職場で、こんなことがあった。さっき、あんなことがあった。それを今まで、リアルタイムで誰かに伝えられることなどなかった。「今回のテストね、いい点取れたんだよ!」などと、聞いてもらいたいことを言えるような相手はいない。「友達の輪」に入ることなく、陰からひっそり見ている、あるいは問題行動を起こすだけだった。
それが今ではあれこれ言える。仕事中に驚きの出来事に遭遇したことを、仕事仲間に伝えたり。色々話しかけてもらえたり。名前を覚えて呼んでもらえて嬉しかったり。
人間関係への恐怖心や緊張、常識的な言動を求められるプレッシャーより、興味と幸福感が若干上回ってきたのかもしれない。
嬉しくてつい、仕事そっちのけで喋ってしまう。ヤバいヤバい。
でもどうせいつか死ぬのに何のために生きているんだろうと思っていたけど、「喋るのが楽しい」と感じるならば、「そのために生きている」で良いじゃないかと思ってしまう。
早く世界が平和になって、余計な仕事(防衛とか防犯とか)がなくなって、みんなもっとゆるゆる働けるようになればいいのに。
こうなると、「趣味は?」と聞かれたら「文章」「写真」「イラスト」とかペラペラ言ってしまいそうになる。
でもダメだ……この陰口だらけのアカウントを知られてしまうかもしれない、というか自分からうっかり尻尾を出すかもしれない。こっちとあっちは混ぜちゃダメだ。
……ああ、陰口なんて、コッソリ言うのはマシだけど、書くもんじゃないな。
ネットでは主に愚痴。リアル(職場などの外面)ではわりと誰の悪口も言わず、おとなしいかも。
ネットではまったく集客できず、鳴かず飛ばず。
リアルではよく行く店の店員さんまで話しかけてくれるようになって、構ってくれる人が増えてきた。
リアルでは仕事とか買い物を通して、適度にコミュニケーションを取れるから丁度いい。ずっと顔を合わせて喋るというのでなく、作業しながらだから良いのだ。
流石にまだ「誰かと二人で遊ぶ」などというプライベートなことは無理そう。そんなことになったら緊張しすぎて死ぬ。大人数での宴会とかも緊張しそうだ……。
そう思うと、緊張しすぎる状況がない、適度に構ってもらえる今の仕事は恵まれている。
鳴かず飛ばずの創作。
そもそも何のために創作してるんだっけ?
近年は収益化とか承認欲求とか、そのへんに取り憑かれているのだが……。本当は……。
そもそも、寂しかったのだ。
子どもの頃、友達が欲しくてしょうがないのに、人とどう接して良いか分からなかった。
それが、作文を通して先生と会話できたり、褒められたり、作文をクラスのみんなに発表できたりした……ような。
そう……絵とか文章が私にとって、人の気を引くことが出来る唯一の、正当な手段だったのだ(挙動不審におかしなことをして気を引いたりもしていた気がするが)。
それが、創作で人の気を引けなくなりつつあり、逆に創作していることを一切明かしていないリアルで、人に構ってもらえるようになった。
嬉しくありつつも、若干混乱する。「100万円貯めてアレを買うぞ」ということを人生の目標にしてきたのに、突然、欲しかったものがタダでもらえた、みたいな。
ならばどうしよう。もう私に創作はいらないのか。創作する理由はないのか。
いや、今度こそ愚痴はほどほどにして、本当に描きたいものを描くべき……その準備が整ったのでは……。
こっちで愚痴を書かなくなったらストレス発散の場がなくなる。愚痴らないなど可能だろうか。しかし愚痴らないようになれたら、表裏の境目ももっと曖昧にできるかもしれない。リアルで絵を見てもらったり、オフ会に参加したり。
でも今は些細なことで気落ちしたりするから、そんなアクティブになれそうもない。何がどうと結論づけることもないか。
うん、リアルで人に構ってもらえるようになって幸せだ。
あとは構われすぎて本意でない展開にならないよう気を付けたり、ある程度覚悟を決めたりしつつ楽しめば良いのだろう。
創作の方で芽が出ないのはおそらく、愚痴や批判や被害者アピールが多く、また、収益化のためにリンクを貼りまくって宣伝したりなど、「めんどくさい」と思われるような言動を多く取るからでは。
直接イラストやマンガを載せるのでなく、収益が発生するアルファポリスやアメブロにリンクで誘導しようとすることが多いが、近頃は色んな詐欺があって、リンク誘導に不信感を持つ人も多いだろうし。「ここでリンク貼る必要ないよね? 直接載せればいいよね?」と思われていそう。でもこちらとしてはリンククリックしてほしいけど。
リアルな私が絵を売り込み始めたり、逆にネットの私が「もう収益化なんてどうでも良いです。楽しく喋ることだけが目的です」という方向に切り替えたら、どちらも状況が変わるかも。
現実でしつこく売り込み行動を取ったら、まわりの人が引き、ネットで楽しく過ごそうとしたら、ネット友達が増えることもあるかも?
ネットでの活動初期は、今のリアルと同じように喋ることに重点を置いていて、失言して衝突することも多かったけど楽しかったなぁ。やっぱり本来、喋ること、遊んでもらうこと自体は好きなんだな。
まぁ人生、実験だ。そしてその前に休憩。
人間関係楽しくなってきたけど、まだ上手いことかわすことも、オフになる時間も必要。
出かけようと思ったら出かけられる。創作しようと思ったらできる。
働ける。休める。美味しいものも食べられる。
創作は鳴かず飛ばずだけど、今の幸せを噛みしめよう。そうこうしているうちに案外性格が良くなって、ネットでの振る舞い方も上手になるかも。
って言っても、ネットはネットで、誹謗中傷とか意見の押し付けとか売り込みも多いし、リアル以上に多くの人と繋がっちゃってキャパオーバーすることも多いから、リアルとはまた違う対処法が必要なのかも。
急にショック受けることもあるし。投稿者と読者の距離感、現実での関係とはやや違うし。私はどうも、文章書くのは好きだけど、読むのは苦手っぽいし(マンガしか読めない症候群)。
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