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第8話 薪割り
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僕が仁さんの家へ来て、3日が経った。
この奇妙な暮らしに少しは慣れてきたのかもしれない。仁さんの言っていた通り、ハルコさんたちの鳴き声にはすぐ慣れて、朝も普通に眠れるようになってしまった。慣れって怖い。
この悠々自適な田舎暮らしにも、いつか慣れちゃったりするんだろうか。
たくさんの都会の人が、田舎暮らしに憧れているのを僕は知っている。今の仕事や家庭なんかがあるから、なかなか踏ん切りがつかなくて。年金暮らしになったら……なんてますます夢の舞台になる場所。それが田舎だ。
そんな場所にも、いつしか慣れてしまうのか。なんだかそれってすごく……寂しいことだな。そんな風に思ったりしながら、過ごしたものだ。
そんな僕は今。
「そらいけ、陽翔!」
「はいっ! ……やーっ!」
コーン、と音を立てて、薪に斧を刺していた。薪を割ったのではない。薪に、斧を刺していたのだ。
その日は昼過ぎから、仁さんの手伝いに呼ばれた。
まだ話してなかったけど、ここの家は今でもお風呂を薪で沸かす。といっても、いわゆる湯船が野外に置いてある五右衛門風呂とかではなく、普通に風呂場の中にあるタイプ。家の外に炉があって、バスタブの真下で火をおこして加熱するらしい。
薪はもちろん、各家庭で用意するのが基本。ということで、定期的に薪割りをする必要があるのだ。
仁さんの家の西側の壁には薪置き場がある。そこには大量の薪が置かれていて、古くてよく乾いたものと、新しいものに分かれていた。その前には大きな切り株が置かれている(生えているんじゃなくて置かれているから、木の輪切りかもしれない)。それが仁さんの薪割り台だ。
薪作りは山から木を切り出して、まずは適度な長さにカット。大きすぎる木は仁さんがくさびを打ち込んで割ってくれてるけど、それでもまだサイズがある。
これを、バスタブの下側にある穴に入りやすい大きさまで、斧で割っていく。んだけども……。
「うう、また失敗だ……」
僕は薪割りなんてしたことがなかった。仁さんがやり方を教えてくれて、両手斧で薪を割ろうとしたけど、ちっとも上手くいかない。
「まあ、最初は難しいもんだよ。ちゃんと説明を守れて安全に作業できてるから、合格だ。陽翔にはこっちの小さいやつでやってもらおうかな。乾いてるやつを小さくしてくれや。はじめに着火するのにちょうどいいんだ」
仁さんは笑って、手斧を渡してきた。これは振りかぶったりせず薪に直接刺して、コンコン薪ごと叩くようにすることで割るタイプ。これなら僕でもなんとかできた。
仁さんはといえば、両手斧を振りかぶり、腰を落とすようにしてズドンと一発で薪にあてて真っ二つにしている。見ていて爽快なほどだ。すごいなぁ、と思いながら、僕はコンコンコンコン。なんだか情けない気持ちになりかけた。
「火をおこす時には大きさの違う薪も必要だからな、陽翔の仕事も大事なもんだよ」
考えが読まれたのか、仁さんはそう言って褒めてくれる。それでも僕は、なんとなく情けなくて腑に落ちない。
「でも仁さんなら大きな薪も小さなのも切れるのに。僕にはできないのが、なんだかもどかしくて」
「陽翔、お前は歩きながらペットボトルで水を飲めるか?」
「え? それはたぶん、できると思いますけど」
何を言いだすのかと首を傾げると、仁さんは笑って続ける。
「そりゃいいや。じゃ、できるようになるのに、生まれてから何年かかったと思う?」
「…………」
そういえば、いつ頃からできるようになったんだろう。小さな子どもってストローでジュースを飲んでいたりするよなぁ。小学生ぐらいにはコップで飲んでた気がするけど、歩きながら、しかもペットボトルとなると……。ちょっと自信は無いけど、小学生高学年か中学生ぐらいにはできるんじゃないだろうか。
そう考えて、ようやく仁さんが言わんとしていることを理解した。僕は少なくとも生まれてから十年ぐらいをかけて、ただ歩きながら水を飲むということができるようになったのだ。
「……すぐできなくてもいいってこと、ですか?」
「ま、そーゆーこと。少なくとも、今できなくても陽翔は誰にも迷惑なんかかけてないんだしさ。もちろんこの俺にもだ。ならゆっくり練習したんでいい。そーだろ?」
仁さんがニカっと笑顔を浮かべる。僕はその気遣いをありがたく受け取って、僕なりに精一杯お手伝いをした。
切った薪を薪置き場に並べるのも、それなりに大変な仕事だ。結局1時間もやらずに作業は終わった。
「急ぎの仕事ってわけじゃねーし、他にもやることあるから、まあぼちぼちやりゃいいのよ。陽翔もやりたかったらチマチマここで薪切ってもいいからな。無心でやるのもいいもんだよ。邪念を断つみたいでさ」
仁さんの邪念、ってなんだろう。ふと疑問に思ったけど、口には出さなかった。
「でも陽翔、絶対怪我しちゃダメだぞ。ここで大怪我しても救急車が到着して病院に行くまで1時間ぐらいかかっからよ。その間ずっと痛いの、ヤだろ」
想像しただけで、ゾワゾワする。僕はコクコク頷いて、怪我をしないよう慎重に生きることを誓ったのだった。
それから仁さんは、少し買い出しに出かけるという。「陽翔も田舎暮らし、退屈じゃないか? ちょっと出かけるか?」と尋ねられたけど、僕はここで過ごすほうが落ち着くぐらいだった。大丈夫です、と返事をしたら、自動的に留守番をすることになった。
そういえば、仁さんは父さんの弟だから、まだ40歳かそこらのはずだ。定年後に田舎暮らしを……なんて年齢ではない。仁さんは、どうしてここへ来たんだろう。
相続した、っていう話は聞いてるけど。仁さんにも仕事や生活があったはずなのに、ここへ来ることを決めたのには、何か理由があったのかな。気になるけど、聞いていいものなのか僕にはまだわからなかった。
仁さんの家には、僕と慶一郎さんのふたりきり。とはいえ、僕の自室と慶一郎さんの部屋は結構離れているから、夕飯までは滅多に出会うこともない。トイレに行く時には部屋の前を通るけど、いつもミシンの音がしている。彼が何をしていて、どんな人なのかには興味が有るけど、僕は未だになかなか話しかけられないでいた。
その時も、僕は部屋に残ってこれからどう過ごすか考えていた。ここでの暮らしにも少し慣れてきて、ひとりの娯楽も用意はした。電子書籍とか、動画配信とか。それにやろうと思えば、それこそ薪割りの練習や散歩になんでもできる。
けど、なんでもできるっていうのは、それはそれでなにをしていいかわからない。困ったものだ。
うーん、ととりあえずゴロゴロしていると、玄関の方で物音がし始めた。ガタゴト何か荷物を動かしているような音に、僕は少し考えてから起き上がる。なにか手伝えることがあるかもしれない
恐る恐る玄関へ行くと、そこには大量の段ボールや紙袋が置かれていて、慶一郎さんと宅配の人がひとつひとつを確認しているところだった。
何をしているんだろう、と見ているとふいに宅配の人と目が合って、彼が「こんにちは!」と元気に挨拶をしてくれるものだから、慶一郎さんもこっちを見た。
「陽翔君。どうしかした?」
「い、いえ、何をしているのかなと思って……こ、こんにちは」
「この前もそこで会いましたよね! お知り合い? ご家族?」
宅配のお兄さんが明るく話しかけてくる。都会ではまずこんな踏み込んだ話をいきなりしない。困惑していると、慶一郎さんが「仁の甥」とそっけなく答えた。
「え~、仁の甥っ子、こんなに大きいのかぁ! すごいなぁ。確か仁には兄ちゃんがふたりいたっけか。名前は確か──」
「あっ、は、はい。えっと、父は次男の信陽です」
「あーそうそう、信陽さん! へぇー。あの人とも随分会ってないからなあ。ああ、名乗り遅れた。俺は仁と慶一郎の同級生。青井拓海って言うんだ。よろしく!」
「は、はい。一ノ瀬陽翔です」
そう拓海さんに頭を下げていると、慶一郎さんが口を開く。
「陽翔君はしばらくここでバカンス中」
バカンス中。物は言いようだ。複雑な心境になった僕をよそに、拓海さんは「いいねえ」と笑った。
この奇妙な暮らしに少しは慣れてきたのかもしれない。仁さんの言っていた通り、ハルコさんたちの鳴き声にはすぐ慣れて、朝も普通に眠れるようになってしまった。慣れって怖い。
この悠々自適な田舎暮らしにも、いつか慣れちゃったりするんだろうか。
たくさんの都会の人が、田舎暮らしに憧れているのを僕は知っている。今の仕事や家庭なんかがあるから、なかなか踏ん切りがつかなくて。年金暮らしになったら……なんてますます夢の舞台になる場所。それが田舎だ。
そんな場所にも、いつしか慣れてしまうのか。なんだかそれってすごく……寂しいことだな。そんな風に思ったりしながら、過ごしたものだ。
そんな僕は今。
「そらいけ、陽翔!」
「はいっ! ……やーっ!」
コーン、と音を立てて、薪に斧を刺していた。薪を割ったのではない。薪に、斧を刺していたのだ。
その日は昼過ぎから、仁さんの手伝いに呼ばれた。
まだ話してなかったけど、ここの家は今でもお風呂を薪で沸かす。といっても、いわゆる湯船が野外に置いてある五右衛門風呂とかではなく、普通に風呂場の中にあるタイプ。家の外に炉があって、バスタブの真下で火をおこして加熱するらしい。
薪はもちろん、各家庭で用意するのが基本。ということで、定期的に薪割りをする必要があるのだ。
仁さんの家の西側の壁には薪置き場がある。そこには大量の薪が置かれていて、古くてよく乾いたものと、新しいものに分かれていた。その前には大きな切り株が置かれている(生えているんじゃなくて置かれているから、木の輪切りかもしれない)。それが仁さんの薪割り台だ。
薪作りは山から木を切り出して、まずは適度な長さにカット。大きすぎる木は仁さんがくさびを打ち込んで割ってくれてるけど、それでもまだサイズがある。
これを、バスタブの下側にある穴に入りやすい大きさまで、斧で割っていく。んだけども……。
「うう、また失敗だ……」
僕は薪割りなんてしたことがなかった。仁さんがやり方を教えてくれて、両手斧で薪を割ろうとしたけど、ちっとも上手くいかない。
「まあ、最初は難しいもんだよ。ちゃんと説明を守れて安全に作業できてるから、合格だ。陽翔にはこっちの小さいやつでやってもらおうかな。乾いてるやつを小さくしてくれや。はじめに着火するのにちょうどいいんだ」
仁さんは笑って、手斧を渡してきた。これは振りかぶったりせず薪に直接刺して、コンコン薪ごと叩くようにすることで割るタイプ。これなら僕でもなんとかできた。
仁さんはといえば、両手斧を振りかぶり、腰を落とすようにしてズドンと一発で薪にあてて真っ二つにしている。見ていて爽快なほどだ。すごいなぁ、と思いながら、僕はコンコンコンコン。なんだか情けない気持ちになりかけた。
「火をおこす時には大きさの違う薪も必要だからな、陽翔の仕事も大事なもんだよ」
考えが読まれたのか、仁さんはそう言って褒めてくれる。それでも僕は、なんとなく情けなくて腑に落ちない。
「でも仁さんなら大きな薪も小さなのも切れるのに。僕にはできないのが、なんだかもどかしくて」
「陽翔、お前は歩きながらペットボトルで水を飲めるか?」
「え? それはたぶん、できると思いますけど」
何を言いだすのかと首を傾げると、仁さんは笑って続ける。
「そりゃいいや。じゃ、できるようになるのに、生まれてから何年かかったと思う?」
「…………」
そういえば、いつ頃からできるようになったんだろう。小さな子どもってストローでジュースを飲んでいたりするよなぁ。小学生ぐらいにはコップで飲んでた気がするけど、歩きながら、しかもペットボトルとなると……。ちょっと自信は無いけど、小学生高学年か中学生ぐらいにはできるんじゃないだろうか。
そう考えて、ようやく仁さんが言わんとしていることを理解した。僕は少なくとも生まれてから十年ぐらいをかけて、ただ歩きながら水を飲むということができるようになったのだ。
「……すぐできなくてもいいってこと、ですか?」
「ま、そーゆーこと。少なくとも、今できなくても陽翔は誰にも迷惑なんかかけてないんだしさ。もちろんこの俺にもだ。ならゆっくり練習したんでいい。そーだろ?」
仁さんがニカっと笑顔を浮かべる。僕はその気遣いをありがたく受け取って、僕なりに精一杯お手伝いをした。
切った薪を薪置き場に並べるのも、それなりに大変な仕事だ。結局1時間もやらずに作業は終わった。
「急ぎの仕事ってわけじゃねーし、他にもやることあるから、まあぼちぼちやりゃいいのよ。陽翔もやりたかったらチマチマここで薪切ってもいいからな。無心でやるのもいいもんだよ。邪念を断つみたいでさ」
仁さんの邪念、ってなんだろう。ふと疑問に思ったけど、口には出さなかった。
「でも陽翔、絶対怪我しちゃダメだぞ。ここで大怪我しても救急車が到着して病院に行くまで1時間ぐらいかかっからよ。その間ずっと痛いの、ヤだろ」
想像しただけで、ゾワゾワする。僕はコクコク頷いて、怪我をしないよう慎重に生きることを誓ったのだった。
それから仁さんは、少し買い出しに出かけるという。「陽翔も田舎暮らし、退屈じゃないか? ちょっと出かけるか?」と尋ねられたけど、僕はここで過ごすほうが落ち着くぐらいだった。大丈夫です、と返事をしたら、自動的に留守番をすることになった。
そういえば、仁さんは父さんの弟だから、まだ40歳かそこらのはずだ。定年後に田舎暮らしを……なんて年齢ではない。仁さんは、どうしてここへ来たんだろう。
相続した、っていう話は聞いてるけど。仁さんにも仕事や生活があったはずなのに、ここへ来ることを決めたのには、何か理由があったのかな。気になるけど、聞いていいものなのか僕にはまだわからなかった。
仁さんの家には、僕と慶一郎さんのふたりきり。とはいえ、僕の自室と慶一郎さんの部屋は結構離れているから、夕飯までは滅多に出会うこともない。トイレに行く時には部屋の前を通るけど、いつもミシンの音がしている。彼が何をしていて、どんな人なのかには興味が有るけど、僕は未だになかなか話しかけられないでいた。
その時も、僕は部屋に残ってこれからどう過ごすか考えていた。ここでの暮らしにも少し慣れてきて、ひとりの娯楽も用意はした。電子書籍とか、動画配信とか。それにやろうと思えば、それこそ薪割りの練習や散歩になんでもできる。
けど、なんでもできるっていうのは、それはそれでなにをしていいかわからない。困ったものだ。
うーん、ととりあえずゴロゴロしていると、玄関の方で物音がし始めた。ガタゴト何か荷物を動かしているような音に、僕は少し考えてから起き上がる。なにか手伝えることがあるかもしれない
恐る恐る玄関へ行くと、そこには大量の段ボールや紙袋が置かれていて、慶一郎さんと宅配の人がひとつひとつを確認しているところだった。
何をしているんだろう、と見ているとふいに宅配の人と目が合って、彼が「こんにちは!」と元気に挨拶をしてくれるものだから、慶一郎さんもこっちを見た。
「陽翔君。どうしかした?」
「い、いえ、何をしているのかなと思って……こ、こんにちは」
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宅配のお兄さんが明るく話しかけてくる。都会ではまずこんな踏み込んだ話をいきなりしない。困惑していると、慶一郎さんが「仁の甥」とそっけなく答えた。
「え~、仁の甥っ子、こんなに大きいのかぁ! すごいなぁ。確か仁には兄ちゃんがふたりいたっけか。名前は確か──」
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