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 トントン、というノックの音で眼を覚ます。けれどひどく疲れていたから、相手にせず布団に潜り直した。と、腕の中に温かなものが有ると気付いて、うっすら眼を開ける。

 金色の長い髪だけが見えた。女でも抱いたっけな。そんなことをぼんやり考えて目を閉じ、そして俺は飛び起きた。

 そうだ、俺は昨日、シェラのやつと……。恐る恐る布団をめくったが、裸のシェラはぐっすり寝ているのか気絶しているのか、起きる気配も無い。部屋を見回すと、俺とシェラの服も布団も床に放り出されていて、もう一つのベットはぐっしゃぐしゃになっていた。

 昨日の惨状を否応無く思い出させる。俺は顔を手で覆って、それから「おはようございまーす!」という治療師の声に、入り口のドアを見た。勝手に開けられたら困る。「今行く」と返事をして、床の服を拾いいそいそと身につけると、ほんの少しだけ戸を開いた。

「あ! ラルフさん、シェラさんは大丈夫でしたか?」

 今日も明るい小さなルービットは、俺の顔を見て尋ねた。大丈夫かと言われたら全く大丈夫じゃないんだが。本当のことを言うわけにもいかない。

「あぁ、だが随分疲れてるみてえだ。もう一晩ここで休ませてやりてえんだが、勇者殿にそう伝えてもらえねえか? 俺はアイツの世話をするよ」

「ええっ、念の為に治療術を施しましょうか? それとか、交代でお世話するとか……」

「あー……、ありがてえが、俺がやるよ。アイツが罠にかかったのも、もとはといえば俺のせいだしな」

 治療師の申し出はありがたいけれど、本当に今の惨状を見せるべきではない。まだ勇者ならマシだが、この、大人でも子どものような姿のルービットには殊更。

 治療師は「でも」と心配そうな顔を浮かべている。

「ボクが皆さんの足を引っ張ってしまったのは事実だし、シェラさんやラルフさんが罠にかかることも……」

「いいんだよ、アイツの言うことは気にすんな。あれでもお前の安全を思って言ってたらしいぜ」

「それは、知っているのです」

「……へ」

 慰めるつもりで言うと、治療師はにっこり笑って言った。

「シェラさんは優しい人なのです。ボクたちルービットは耳がいいから、色んな人の身体の中の……心音みたいなものが聞こえるのです。シェラさんはキツイ言い方をする時も、全然怒ってないの、知ってます。だけど昨日罠にかかってからは、シェラさんはずっとドキドキしていて、大丈夫だって言ってたけど本当はそうじゃないかもと思って、心配だったのです」

「……へ、へえ……」

 俺は頷きながら、シェラが何故部屋に結界を張ったのかようやく理解した。そんなに耳のいい相手、どんなに声を抑えても色々とバレるだろう。というか、俺の胸も今ドキドキしてやしないだろうか。不安になってきた。

「ま、まあなんだ。アイツは素直じゃないところが有るから、きっとみんなに手間をかけさせたと思ったら気にするだろ。俺は同室だし、借りが有る。アイツも俺だけに世話された方が気楽じゃねえかと思うんだ」

 丁寧に説明すると、治療師はじいっと俺の顔を見つめた後で、

 「それもそうですね! じゃあ、よろしくお願いします。もしボクにできることが有れば、すぐ呼んでくださいね」

 と引き下がってくれて、俺は心の底から安堵した。

「あー、じゃあ飲み物と、軽い食べもんでも運んでもらえるか? ……なんていうか、元気の出そうなもんを……」

「元気……ボクたち妖精族に近い魔術師は果物を食べたり、フルーツジュースを飲むと元気が出るのです! 探してきますね!」

 治療師は元気いっぱい、ぴょんこぴょんこと跳ねる勢いで部屋の前を去って行って。俺はクソでかい溜息を吐き出し、部屋の中に戻った。





「んん……」

 濡らしたタオルで身体も拭いてやり、部屋の片付けもあらかた済んだ頃。布団に潜っていたシェラが小さく動いた。様子を見に行くと、ぱちりと目を開いたところだ。

「よお、大丈夫か?」

「…………ああ。大事無い……っう、ぐ……」

 俺の顔を認識して、すまし顔で起き上がろうとしたシェラは、殆ど身動きを取らないまま呻いて固まった。もしや昨日の罠の影響でも有るのか、と心配し手を伸ばすと、「全身が痛い」とシェラが呟く。

「ああ……昨日、すごかったもんな」

「昨日……、……っ!」

 俺との間に起こった一連のことを思い出したらしい。シェラは一瞬顔を赤らめて、それから俺を見つめる。その意味はわかりかねたが、とりあえず伝えるべきことを伝えた。

「俺以外の誰にもバレてねえよ、治療師もここには入れてねえし、片付けもひとりでやった。誰かに言うつもりもねえし、昨日のことはお前が望めば忘れたことにするつもりだ」

「…………そうか」

「起き上がれるか? 治療師殿がフレッシュジュースを用意してくれてんだ。飲めば元気が出るだろうってな」

 手を貸して上体を起こさせると、木製のコップを渡す。中にはリンゴを砕いて搾った飲み物が入っていて、シェラはそれをゴクゴクと、まるで仕事終わりにエールを煽る俺みたいに貪った。喉が渇いているというよりは、本当に何かの力を摂取しようとしているみたいだ。俺はリンゴジュースなんかより、肉を食って酒を飲んだほうがいいけどな。

 あっという間に全てを飲み干して、シェラはひとつ溜息を吐くと、自分の身体に触れる。文字通り手当をしたらしい。ほんのりと優しい光が奴の手のひらから漏れて、ややすると先程までの様子が嘘のように、すっくとベッドから起き上がった。

「お前、本当に治療術も使えるのかよ。ひとりでなんでもできそうだな」

「愚かなことを。私だけですべての魔術を使えば、あっという間に魔力が尽きてしまう。リンゴがいくつあっても追いつかなくなるだけだ。これだからガリアは……」

 すっかりいつもの調子に戻ったシェラに、俺は一瞬むっとしたが、先ほどの治療師の言葉を思い出す。心臓の音は、怒っていない、と。実際、シェラは治療師に厭味を言っている時だって、本当は彼を心配していたと言っていた。

 なら、コイツのこういう言葉も全部、本当は違う意味なんじゃないか?

「……お前な、俺たち「ヒト」はルービットみてぇに心が読めたりしねえんだから、もうちょっとその言い方、なんとかならねえのか? こっちはお前の態度やら言葉やらをそのまま受け取るしかねえんだからよ」

「…………」

 シェラは返事もしないで、いつものローブに着替えていたけれど。ややして、振り返らないまま、ぽつりと尋ねた。

「……そう、なのか?」

 その問いに、今度は俺が目を丸める番だった。

「……まさか、知らなかった……のか?」

「…………」

「おいおい、シェラ。ならその……俺もちょっと認識を改めるから、もう少し俺たちにも、お前の考えが伝わりやすいように喋ってくれねえか」

 シェラはしばらく身動きもしないで、考えている様子だった。シェラ、ともう一度名を呼ぶと、奴はほんの少しだけこちらを見る、金色の瞳が、僅かに見える程度に。

「……私の力だけでは君たちを守りきることはできない。また私だけでも、生きてはいけない」

「あん……」

「だから、……私を過信するな。君は……勇猛果敢な強いガリア戦士とはいえ、脆いヒトなのだから。あまり無茶をしないでくれ。……私の、心臓がもたない……」

「…………」

「…………」

 シェラはぷいっとまた俺に背を向けて、服を着始めた。その後ろ姿を見ながら、俺はあんぐりと口を開けたまま、考える。

 要するに。俺はずっと心配され続けていたのか。見下されていたわけじゃなくて。

 いや、見下してはいたのかもしれない。例えば、俺たちが子どもを放っておけないように、思いやるように。それは保護される側にとっては不本意で鬱陶しいものだろうが、保護する側にとっては切実で、ずっとずっと気を張って見守るしかないもので――。

「……シェラ」

 名前を呼んだけれど、返事は無い。奴の綺麗な金色の髪、その隙間から覗く長い耳が、赤く染まっている。

「その、なんだ……」

「いい、何も言うな」

「……色々、ありがとな……」

「な、何も言うなと……!」

「あと昨日どさくさに紛れて俺にキスしてきた理由をわかりやすく説明してほし――」

「言うなっ!!!!」

 いよいよ真っ赤になったシェラがこちらを向いて叫んだ。





 まあ、なんだ。色々勘違いと不器用と事故が重なって、俺たちの仲は少しばかり、変な形で深まっていったって話だよ。おわり。


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