月に紅さし奈落に踊る

なずとず

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2-3 不殺生戒

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「ああ、蘇芳。ようやっと向こうが見えてまいりましたよ」

 長い長い山道の果てに、木々の合間から麓の様子が見えた時、心光は明るい笑顔を見せた。

 熱い日差しを浴びながらの山登りに、俺も心光も疲れ果てている。だから、ようやっと下りになりそうな気配に安堵した。

 それに麓には小さな川と、一軒の家が見える。今夜は野宿ではなく、屋根の有るところで休めるかもしれない、と思った。それと同時に……心光が今夜どうするか気にかかった。

 俺が視線をやると、心光は滴る汗を手拭いに吸わせながら、にこりと微笑んだ。

「どうなさいました?」

「いや、……なあ、もし……」

 あそこに人が住んでいたら。心光は、どうするのか。

 問うのが躊躇われて、俺は途中で口を噤んでしまった。心光は不思議そうに首を傾げてから、「あぁ」と気付いたように答える。

「心配はいりませんよ。あそこには罪人の気配はございませんから。きっと空き家なのでしょう。今宵は、ゆっくりと眠れそうですね」

 心光の言葉に、俺はほっとしたような、どうしてこの距離からそんなことがわかるのか恐ろしいような、複雑な心地になった。



「やはり、空き家のようですね」

 がらり、と引き戸を開けて、家の中を見た心光が呟く。俺も家の中を覗いて、眉を寄せた。

 床や壁にはべったりと血の跡がついていたが、それは乾ききって黒ずみ、死体なども無かった。しばらくの間空き家だったのだろうか、残されたものは埃を被っていたが、釜戸などはまだ使えそうではある。

「今夜はここを宿としましょう」

「…………」

 血の跡など気にも留めない様子で、心光は家の中へと入っていってしまう。しかし彼は室内で合掌し念仏を唱え始めたので、彼はやはり僧なのだとどこか納得した。俺はといえば、このなんとも言えない感情をどう表現していいかわからないまま、家の周りを見てみることにした。

 幸いにも近くの水場は澄んでいて、薪などもまだ使えそうだった。俺は薪や水を運ぶ力仕事を引き受けて、心光は麦粥を作り始める。

 しかし俺もいい加減、葉っぱや木の実だけの食事には飽き飽きしていたから、近くの川まで様子を見に行った。日差しを反射しながら煌めく水面の向こうに、魚影が見える。魚を焼いて食べられたら、どんなに美味いだろうと考えたら途端に腹が減った。

 そうして冷たい川に足を浸け、どれほど格闘したのやら。粥ができたと心光が呼びにくる頃に、俺はようやく一匹の魚を掴み獲った。

「こいつ、食べられると思うか?」

「ええ、よく食べられている魚のように見えますよ。火で焼いて食べるといいでしょう。骨にはお気をつけて」

「しかし、一匹だけでは俺たちのどちらかしか食べられないな……」

 呟くと、心光はきょとんとした表情を浮かべる。それは普段の妖艶な姿とは違って、どこか愛らしささえあった。やがて心光は微笑みを浮かべて口を開く。

「私は仏に仕える身ですから、魚を食したりは致しませんよ。どうぞ遠慮なく、あなたが召し上がってくださいな」

「……………………そ、うか……」

 人は殺して、血を吸うのに? 俺はその言葉を飲み込んで、魚をひとりで食べることにした。



「…………」

 魚は美味かった。久しぶりの肉質に、腹も心も満たされた気がする。満足していると、ふいに同じ室内に座る心光のことが気にかかった。

 静かに手を合わせ、目を閉ざし。何か小さな声で念仏でも唱えているようだった。その姿だけを見れば、彼は真っ当な美しいだけの僧にも思えた。

 頭巾を取り払っているから、その顔がよく見える。尼と言われてもおかしくはないほど、整った麗しい顔立ちは、彼が僧という禁欲的な人間であるが故、余計にどこか艶めかしく感じられた。

 そういえば。

 あの日、心光の双眸は血のように赤く見えたけれど。陽の光の下では、彼の瞳は亜麻色をしていた。人を平気で殺し血を啜るわりに、動物を殺したり食べようとしたりなどはしない。道中も穏やかな口調で、あの日の狂気は……片鱗は覗かせているものの、それ以上ではなかった。

(一体、何がどうなっているんだろうな……)

 心光の経に耳を傾けながら、ぼんやりと天井を見上げる。

 心光が何者で、俺に何故記憶が無いのか。よく考えてみれば、鬼が何なのかも俺にはよくわからない。都に住むそれなりの身分の者、とやらに鬼もいるのだろうか。

 わからないことだらけだ。

「蘇芳」

 考え事をしているうちに、心光はいつのまにか読経を終えていたらしい。いつになく穏やかな表情を浮かべた彼が、俺を柔らかな眼差しで見つめている。

「何か、聞きたいことがあればお答えしますよ」

「…………」

 正直、山ほどある。が、俺はそのうちで自分に最も関係あることを尋ねた。

「心光。お前はどうして俺が鬼だと思った? 鬼とはなんだ?」

 その問いに、心光は「ふむ……」と一度目を伏せ、考えるようにしてからゆっくりと答えた。

「鬼、にもいくつか種類があると聞きます」

「鬼に種類が?」

「はい。ひとつは常人の眼には見えぬ、この世に残る死者の霊魂の類。他にはこの世のものならざる、地獄に住まうという怪異の類。そして、人の中にある心の類でございます」

「……人の中の、心」

 心光は小さく頷いて、続ける。

「それぞれ成り立ちは違いますが、いずれも人の道とは大きくかけ離れたものではあります。そして彼らは皆共通して、瞳が月のように金色の輝きをもつと言います。加えて後者のふたつの鬼は、額に角を生やすと伝えられております故……」

 つまり、俺の額に角が生えていて、瞳が金色だから鬼だと思った、ということか。しかし。

 思わず額を撫でる。確かに、何かふたつの隆起はあるけれど。 鬼の角というよりは、出っぱりがあるという程度にも思えた。

 よくよく触ってみれば、何故かそれは封じられている時よりもその存在を主張しているような気がして。俺は薄気味悪くなって指を離す。

「……その。俺はどっちの鬼だと思う。地獄の鬼と、人の鬼の」

「さぁ……私は一介の僧でございますから、そうしたことには疎うございまして……。陰陽師にでも聞けば、わかるかもしれませんが……」

「陰陽師なんかに聞くことがあったら、俺もお前も退治されてしまうだろうよ」

「おや。何故わたくしが? わたくしはただの、仏に仕えるしがない人でございますのに……」

 何故、ではない。俺が思わず眉を寄せても、心光は不思議そうに首を傾げるばかりだった。

 しかし、確かに。その時の彼の様子は、ただ美しいばかりの、清廉なる僧のようには見えていた。
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