8 / 50
2-2 信寧寺の僧
しおりを挟む
それからというもの、俺と心光は旅をしている。
俺を封じていた札が、陰陽師の使う札によく似ていたとか。都には多くの陰陽師がいるから、きっと事情を知っているに違いないとか。旅立ちにあたって心光はそう説明した。
俺もそれを信じるしかなく、共に野を歩き続けた。なんでも、都とやらはここから東の地にあるらしい。そこまではひと月ほどだという。
季節は秋にさしかかる頃だろう。まだ日中は日差しが鋭く、じりじりと服越しに身を蒸すようだ。俺と心光は民家で見つけた笠や頭巾を被り、草むらの中に見える道を辿っていく。
俺はといえば、心光に着いて行くと決めたものの、彼が何者かも、自分が何者かもわからずただ黙って歩くよりほかない。
本当に彼と共にいていいのか。彼と共に旅をし都に行くことで、何かわかったりするのだろうか。
悶々と考えを巡らせていたからだろう。いつの間にか注意力を欠いていたようだ。
「おや、御同輩がた。行脚の途中ですかな?」
聞き慣れない声がして、俺ははっと顔を上げる。見れば、先を歩く心光の前にふたりの僧が立っていた。彼らは心光を同じ修行の仲間と思ったらしい。笑みを浮かべて挨拶をしているが、俺のほうは肝が冷え切った。
心光に、殺されてしまう。
「まっ……!」
俺が彼らを守ろうと声を出したその時、心光が口を開いた。
「はい。西方から都へ戻る途中にございます」
あまりに当たり前の受け答えに俺は面食らった。しかしすぐに思い出す。あの家を訪れたときだって、なんの変哲もない僧に過ぎなかった。今も演技をしているだけかもしれない。
だが確かに心光は夜まで住民を殺めなかった。なにがきっかけで人を襲うのかわからない以上、下手に刺激してもいけない気がする。胸の嫌な鼓動を感じながら、俺は彼らを見守る。もし、襲われることなどあれば、助けに入る覚悟を決めて。
「戻る、ということは都のかたですか。私どもはここから数里の小さな寺の者ですが……どちらのおかたか、お尋ねしても?」
「信寧寺のものでございます」
「信寧寺! ははぁ、それはさぞ高名なおかたとお見受けいたします」
「とんでもございません。わたくしはまだ修行中の身。仏に少しでも近づけたらと西へ旅をした帰りでございます」
しかし俺の心配をよそに、彼らはただ会話を交わしただけだ。困惑していると、心光が「ああ」と思い出したように彼らへ告げる。
「そうです。あなたがたもこの先に行かれるならお気をつけください。人喰いの鬼が出るそうでございますよ」
その言葉に俺は眉を寄せたが、僧たちは気付かない様子で息を呑んでいた。
「それは恐ろしい。都の陰陽師ならともかく、我らのような者には鬼を封じる力もありませんしなぁ」
「まことに、……そうだ、わたくしが行脚の無事を仏に祈りましょう。なにか手持ちの物をお貸し頂けますか? わたくしが願をかけますれば」
「おお、有難い限りです。ではこの杖にお願いいたします。都のお坊様に祈って頂けたなら、鬼など近寄ってこれますまい」
彼らは笑っていたし、心光は彼らの杖に祈りを捧げているし。しかし俺はその祈りを受けたって、何も感じないし。心光の白々しさに眩暈がするようだった。
そうして彼らとは別れた。完全に見えなくなってから、俺は心光に言う。
「人喰い鬼は俺だし、あそこで人を殺めたのはお前だろうに」
しかし心光はくすりと笑って、楽しそうに答えた。
「何をおっしゃいますやら。あそこに人喰い鬼が出ると告げておけば、死体があればその仕業と思うのが自然なことでございましょう。わたくしとあなたが疑われずに済むのですから、良いことではありませんか。それにわたくしは、虚言を申したわけではありませんからね」
「確かに嘘は言ってないかもしれないが、詭弁だろう。それにお前の祈りなんて意味がないじゃないか。俺は何も感じなかったぞ」
その問いには、心光はにっこりと目を細めて答えた。
「人の信じる力は、強いのでございますよ。彼らが心より信じるのなら、それは真実となりましょう。現に、人喰い鬼はここにいて彼らを襲うことはないのですから」
俺は心光の言い分に呆れかえった。が、それ以上何か言うのも諦めた。
ひとまず、彼は誰も殺さなかった。それだけでも良いことではあったし……その代わり、どうしてあの家の住人は襲ったのか、ますますわからなくなっていった。
彼の言う通り、住人たちは本当に盗人で、心光はそれから身を守ろうとしただけなのだろうか? わからないまま、俺は心光の後ろを歩くしかない。
それからも何日か旅を続けたが、やはり心光は誰かれ構わず襲って食うわけではないようだ。旅をするうちには幾人かと出会ったものだが、柔和に接するただの聖人だった。そして普段は俺と一緒に、例の家で拝借した麦や、道に生えている野草を食べて過ごしていた。
道すがら、心光は俺に色んな事を柔らかな口調で教えてくれた。
空に輝く星の名、仏の教え、野草の食べ方に、正しき人の営み。まるで人を殺して食ったものとは思えないほど穏やかに、静かに仏の教えを説く。その様はまるで気高く神々しい僧であり、俺は心光といることでますます混乱を極めたのだった。
この僧は一体、何なのだろうか──。
俺を封じていた札が、陰陽師の使う札によく似ていたとか。都には多くの陰陽師がいるから、きっと事情を知っているに違いないとか。旅立ちにあたって心光はそう説明した。
俺もそれを信じるしかなく、共に野を歩き続けた。なんでも、都とやらはここから東の地にあるらしい。そこまではひと月ほどだという。
季節は秋にさしかかる頃だろう。まだ日中は日差しが鋭く、じりじりと服越しに身を蒸すようだ。俺と心光は民家で見つけた笠や頭巾を被り、草むらの中に見える道を辿っていく。
俺はといえば、心光に着いて行くと決めたものの、彼が何者かも、自分が何者かもわからずただ黙って歩くよりほかない。
本当に彼と共にいていいのか。彼と共に旅をし都に行くことで、何かわかったりするのだろうか。
悶々と考えを巡らせていたからだろう。いつの間にか注意力を欠いていたようだ。
「おや、御同輩がた。行脚の途中ですかな?」
聞き慣れない声がして、俺ははっと顔を上げる。見れば、先を歩く心光の前にふたりの僧が立っていた。彼らは心光を同じ修行の仲間と思ったらしい。笑みを浮かべて挨拶をしているが、俺のほうは肝が冷え切った。
心光に、殺されてしまう。
「まっ……!」
俺が彼らを守ろうと声を出したその時、心光が口を開いた。
「はい。西方から都へ戻る途中にございます」
あまりに当たり前の受け答えに俺は面食らった。しかしすぐに思い出す。あの家を訪れたときだって、なんの変哲もない僧に過ぎなかった。今も演技をしているだけかもしれない。
だが確かに心光は夜まで住民を殺めなかった。なにがきっかけで人を襲うのかわからない以上、下手に刺激してもいけない気がする。胸の嫌な鼓動を感じながら、俺は彼らを見守る。もし、襲われることなどあれば、助けに入る覚悟を決めて。
「戻る、ということは都のかたですか。私どもはここから数里の小さな寺の者ですが……どちらのおかたか、お尋ねしても?」
「信寧寺のものでございます」
「信寧寺! ははぁ、それはさぞ高名なおかたとお見受けいたします」
「とんでもございません。わたくしはまだ修行中の身。仏に少しでも近づけたらと西へ旅をした帰りでございます」
しかし俺の心配をよそに、彼らはただ会話を交わしただけだ。困惑していると、心光が「ああ」と思い出したように彼らへ告げる。
「そうです。あなたがたもこの先に行かれるならお気をつけください。人喰いの鬼が出るそうでございますよ」
その言葉に俺は眉を寄せたが、僧たちは気付かない様子で息を呑んでいた。
「それは恐ろしい。都の陰陽師ならともかく、我らのような者には鬼を封じる力もありませんしなぁ」
「まことに、……そうだ、わたくしが行脚の無事を仏に祈りましょう。なにか手持ちの物をお貸し頂けますか? わたくしが願をかけますれば」
「おお、有難い限りです。ではこの杖にお願いいたします。都のお坊様に祈って頂けたなら、鬼など近寄ってこれますまい」
彼らは笑っていたし、心光は彼らの杖に祈りを捧げているし。しかし俺はその祈りを受けたって、何も感じないし。心光の白々しさに眩暈がするようだった。
そうして彼らとは別れた。完全に見えなくなってから、俺は心光に言う。
「人喰い鬼は俺だし、あそこで人を殺めたのはお前だろうに」
しかし心光はくすりと笑って、楽しそうに答えた。
「何をおっしゃいますやら。あそこに人喰い鬼が出ると告げておけば、死体があればその仕業と思うのが自然なことでございましょう。わたくしとあなたが疑われずに済むのですから、良いことではありませんか。それにわたくしは、虚言を申したわけではありませんからね」
「確かに嘘は言ってないかもしれないが、詭弁だろう。それにお前の祈りなんて意味がないじゃないか。俺は何も感じなかったぞ」
その問いには、心光はにっこりと目を細めて答えた。
「人の信じる力は、強いのでございますよ。彼らが心より信じるのなら、それは真実となりましょう。現に、人喰い鬼はここにいて彼らを襲うことはないのですから」
俺は心光の言い分に呆れかえった。が、それ以上何か言うのも諦めた。
ひとまず、彼は誰も殺さなかった。それだけでも良いことではあったし……その代わり、どうしてあの家の住人は襲ったのか、ますますわからなくなっていった。
彼の言う通り、住人たちは本当に盗人で、心光はそれから身を守ろうとしただけなのだろうか? わからないまま、俺は心光の後ろを歩くしかない。
それからも何日か旅を続けたが、やはり心光は誰かれ構わず襲って食うわけではないようだ。旅をするうちには幾人かと出会ったものだが、柔和に接するただの聖人だった。そして普段は俺と一緒に、例の家で拝借した麦や、道に生えている野草を食べて過ごしていた。
道すがら、心光は俺に色んな事を柔らかな口調で教えてくれた。
空に輝く星の名、仏の教え、野草の食べ方に、正しき人の営み。まるで人を殺して食ったものとは思えないほど穏やかに、静かに仏の教えを説く。その様はまるで気高く神々しい僧であり、俺は心光といることでますます混乱を極めたのだった。
この僧は一体、何なのだろうか──。
12
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる