月に紅さし奈落に踊る

なずとず

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3-6 清濁

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 やがて、心光が俺の胸に倒れ込んでくる。はぁっはあっ、と大きな呼吸を繰り返しながら。

 そして、俺の呼吸がようやく落ち着く頃。心光は、静かに俺を見つめた。

 それで俺も気付く。

 心光の瞳は、赤くなどない。亜麻色の瞳が俺を見つめ、それからぽろぽろの大粒の涙を浮かべてはこぼした。

「……っ、ぁあ、あぁ……っ蘇芳……っ。わたくしは、わたくしはなんということを……っ」

「……心光……?」

 彼は明らかに動じているようで、まるで先ほどまで俺を蹂躙していた人物とは別人のようだった。匂い立つような色香も、抗い難い妖艶さももはやそこには存在せず、ただ美しくも儚げな僧の姿がある。

 そんな心光が、俺に縋りついて涙を零していた。

「なんという、浅ましい、わたくしは、わたくしは……っ」

 手で顔を覆って涙する、そんな心光に俺は困惑していた。

 もしかしたら。

 もしかしたら、心光というのは──。

「……っ、蘇芳、蘇芳……ごめんなさい、蘇芳……」

「心光……お前は……」

 人喰い僧としての、心光と、今ここで泣いている彼とは。別の人物なのでは──。そう考える俺に、心光が囁く。

「蘇芳、お願いです、お願いです。きっと、鬼であるあなたならば、きっと、わたくしを……っ」

 そこまで言って、心光は言葉を止めた。嗚咽も、動きさえもなくなり、辺りはしんと静まり返る。虫も、せせらぎも、時間さえも止まっているかのような静寂。

 ややして、心光が顔を上げる。その瞳は涙に濡れて赤く煌めき、麗しい顔には妖艶な笑みが張り付いていた。

「あぁ、蘇芳。どうかお願いです、わたくしにあなたの精を、たんまり注いでくださいませ。あなたの熱く甘美な子種を、わたくしに……!」

「……っ、心光……!」

 ぐっ、と俺を押さえ込む影に、再び力が込められる。俺は再びもがいたけれど、額が痛むばかりで、やはり何の意味も無かった。




「……っ!」

 はっと目を覚ますと、外が少し明るい。夜明けが訪れたのだろう。家の中には凄惨な光景が広がり、血と肉と、欲の匂いが充満していた。思わず口を押さえ、それから己を見る。

 裸にされた身体は血と、精に汚れ、四肢には押さえつけられていた跡がくっきりと残っている。そばには穏やかに眠る心光が転がっていた。

 もう、その身体から深い闇が溢れることもない、ただあどけないほどの寝顔を晒して。

「……心光」

 名を呼び、僅かに身体を揺すっても反応は無い。呼吸はしているから深く眠っているだけかもしれないが、事実がどうであるかはわからなかった。

 その身体も汚れている。着ていた服も血まみれだ。俺はのろのろと心光に腕を回して、彼を抱え上げた。その軽さに驚きつつも、彼を起こさないようゆっくりと家の外へと歩み出る。

 道にも死体が転がっていた。最後に逃げたあの男は、どうなったことだろう。そんなことを一瞬考え、それから小川へと歩む。

 朝の迫りくる薄明かりの中で、水はどこまでも清らかだ。冷たい水が、不浄を何もかも流し去ってくれることを祈る。服を洗い、身を穢れを流す間も、心光は俺の腕の中で穏やかに眠るばかりだった。

 もしかしたら。

 心光はなにか……よくないものに、憑かれてしまっているのではないだろうか。自分が見ている心光は、一体どちらなのだろう。清廉な僧としての彼と、淫らで残忍な妖としての彼。時折見せるおかしな言動は、そのふたりが存在しているからなのだろうか?

 あるいは、心光が人を襲うのには、なにか条件があるのか? ──そして、何故俺との交わりを求めたのか?

 わからない。なにもかも。

 目を覚ましたら、心光はなにか教えてくれるだろうか。

『蘇芳、お願いです、お願いです。きっと、鬼であるあなたならば、きっと、わたくしを……っ』

 あの時、彼は自分に何を求めようとしていたのか。涙を零し、震えながら助けを求めていたのか。

 なにもかもわからない。それでも。

 自分に何かできるというなら、そうしてやりたい。記憶の無い俺には、今のところまだ心光より他に待つ者も、何も無いのだから。

 ぎゅ、っと心光を抱きしめて、俺は目を伏せる。

 朝焼けに照らされ、澄んだ川ばかりが清らかに煌めいていた。
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