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20、書庫の妖精 4
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一人だ。先程の見知った声の者はここには居ない。本棚の影から覗き見れば黒髪のやや細身の男性が姿勢良く座って読書をしている所がよく見えた。残念ながらここからでは件の者の顔貌は見受けられない。
「……!?」
古語だ……!男性の座る席の机には数冊古語で書かれた書物が置いてある。きっと今手に持っているものも古語で書かれたものだろう。なるほど…彼は本当に古語が得意な様で、常ならば手元に辞書を用意しつつ読み解いていくものを、机の上には手引き書なる物は一つも置いて無いのだ。
彼だ…書庫の妖精…間違えはないだろう。新鮮な驚きだ。今まで勉学のみに明け暮れ他人になど興味を持つ時間さえ無かったというのに、今は書庫の妖精がどんな顔をして古書を読んでいるのか知りたくてたまらない。
サイラスはグッと両手を握りしめた。
〔おはようございます。〕
意を決し、サイラスは一歩前へと進み出る。自分の姿が物陰から全て出た所で上の様に古語で話しかけた。
これは賭けでもあった。古語の発音を知っている者であればサイラスが何と言ったかわかるだろう。
ビクッと男性の肩が震えるのが見える。
〔お、おはようございます?〕
少し緊張した声が返ってきた。そして声の方、こちらの方を振り向くのだ。
〔驚きましたね。古語をよく理解しておられる様だ。〕
滑らかな黒い髪に朝日を浴びた白い肌、相当びっくりしたのだろう、深みがある青い目は大きく開かれていて、口もポカンと明けたままだ。呆気に取られた顔、それがサイラスが見た書庫の妖精の素顔だった。
「驚かせてすみません。」
ゆっくりと書庫の妖精の方へと近づく。なるほど、しっかりと姿を捉えてしまえば逃げると言う手段は使わない様だ。
「い、いえ…人が近くに居るとは思わなかったものでして、私は不作法を?」
こちらがいきなり声をかけたのだ。不作法ならば私の方…
「いえ、貴方が珍しい本を読んでおられたのが見えまして、つい声をかけてしまったのはこちらです。驚かせてしまって申し訳ありません。」
「そうなのですか。それならば良かった。私は貴方のお邪魔をしていませんでしたか?」
「邪魔などととんでもない…!古語が分かる者が少ないのにこれだけ理解しておられる貴方に会えた事は私の幸運ですよ?」
そう、思いがけない収穫だと思う。発音もすばしいものだった。
「古語の発音はどこで何方に習ったのでしょうか?」
「あ……えっと…基本の音は家庭教師に習いまして、その後は発音表を元に……」
「まさか……独学ですか?」
驚いた…!滅び去って久しい言語だ。発音表と言っても解説などは難解な謎解きの様になっているものもあるのに…今度は逆にサイラスの方が呆気に取られた顔になっていたと思う。
「………卿……?」
不安混じりの遠慮がちな声がサイラスを呼ぶ。
「あ、失礼しました。貴方の博識や努力に驚かされてしまって…私の努力などまだまだだと……」
「あの!その制服は書記官様のものですよね?」
「ええ、そうです。」
「では貴方様が凄いと思います。兄から聞いた事があるんです。書記官はあらゆる分野、言語に精通していないと務まらないと…そんな所で働いておられるのでしょう?」
「ええ、まぁ…」
「私が古語に詳しいのは、これを学ぶための時間は沢山あったからです。これしかしていない時もありましたし…」
実際に現実逃避だったと思うのだ。どんなに治療を受けても健康にはならない体を持て余していた時、全てを投げ捨ててしまわない様にこれが出来たら何かが変わる、そんな呪いをかける様に勉学に打ち込むことを自身に課していたから。
「発音はどれ位?」
「音を出すだけで三ヶ月は使いました。」
「なるほど、それ位掛かりますね…」
良く分かる。古語は基本的に音を出す発声方法から違うところがあるのだから。毎日の練習が物を言う。
サイラスは非常に楽しい事に気がついた。今までに古語に親しみ古語について語り合える者が周囲にいなかったからだ。
「私で良ければ古語の勉強に付き合いましょうか?」
「はい?」
サイラスから自然と出てきた言葉だ。サイラス自身も内心驚いている。自分の方から相手の距離を縮めようとして近づいているのだから。
「失礼…。ライーズ副書記官長?」
いつの間にか書庫に人が入ってきていた様だ。それも……この低い声は…
「ゴーリッシュ騎士団長!!」
パッと振り返った書庫の妖精の顔が満面の笑顔になる。
「……お知り合いですか?」
早朝の書庫には似つかわしくない騎士団団長と書庫の妖精、一体接点はどこなのだ…?
「はい、友人です!」
先程まで緊張で強張っていた書庫の妖精の表情が、ニコニコと輝くばかりの笑顔になる。友人というのは嘘ではない様でとても嬉しそうな様子である。
「ここに一人か?ウリート殿?」
心配気なゴーリッシュ騎士団長を他所に、ウリートと呼ばれた書庫の妖精はご機嫌である。
ウリート?
サイラスには社交界に出ている貴族家で思い当たる名前が無いのだが…
「はい、後で兄上が迎えにきてくださいますから。」
「そうか…アランドが来るならば心配はなさそうだな?それで、今日の体調は?」
「元気ですよ!?」
「では約束を果たそうか?」
アランド……聞き覚えがあるその名前は第3騎士団長のものだ。そうならばやはり、書庫の妖精はアクロース侯爵家の幻の君で間違えがない。
「ライーズ副書記官長、もしやウリート殿に何か用がありましたか?ここに二人だけでいた様なので…」
「いえ、私は珍しく古語を読んでおられる方がいたので声をかけさせてもらったまでです。」
「そうですか…ふむ…如何やらこれは兵法に関する歴史の様なものか?ウリート殿は流石だな?」
「ゴーリッシュ騎士団長、古語が読めるので?」
「いえ、私は単語を掻い摘んで読み取るくらいです。やはり難しいものでしょう。」
「なるほど、残念ですね。古語を愛する者がまた一人増えたかと思いましたが。私はこれでお先に失礼いたします。」
「そうですか、ではまた…それじゃあ、ウリート殿現代における軍編成の欠点と、古代における欠点について学んでいこうか?」
サイラスが書庫の出口に向かう中背中にはゴーリッシュ騎士団長の張りのある低い声が静かに響く。
「……!?」
古語だ……!男性の座る席の机には数冊古語で書かれた書物が置いてある。きっと今手に持っているものも古語で書かれたものだろう。なるほど…彼は本当に古語が得意な様で、常ならば手元に辞書を用意しつつ読み解いていくものを、机の上には手引き書なる物は一つも置いて無いのだ。
彼だ…書庫の妖精…間違えはないだろう。新鮮な驚きだ。今まで勉学のみに明け暮れ他人になど興味を持つ時間さえ無かったというのに、今は書庫の妖精がどんな顔をして古書を読んでいるのか知りたくてたまらない。
サイラスはグッと両手を握りしめた。
〔おはようございます。〕
意を決し、サイラスは一歩前へと進み出る。自分の姿が物陰から全て出た所で上の様に古語で話しかけた。
これは賭けでもあった。古語の発音を知っている者であればサイラスが何と言ったかわかるだろう。
ビクッと男性の肩が震えるのが見える。
〔お、おはようございます?〕
少し緊張した声が返ってきた。そして声の方、こちらの方を振り向くのだ。
〔驚きましたね。古語をよく理解しておられる様だ。〕
滑らかな黒い髪に朝日を浴びた白い肌、相当びっくりしたのだろう、深みがある青い目は大きく開かれていて、口もポカンと明けたままだ。呆気に取られた顔、それがサイラスが見た書庫の妖精の素顔だった。
「驚かせてすみません。」
ゆっくりと書庫の妖精の方へと近づく。なるほど、しっかりと姿を捉えてしまえば逃げると言う手段は使わない様だ。
「い、いえ…人が近くに居るとは思わなかったものでして、私は不作法を?」
こちらがいきなり声をかけたのだ。不作法ならば私の方…
「いえ、貴方が珍しい本を読んでおられたのが見えまして、つい声をかけてしまったのはこちらです。驚かせてしまって申し訳ありません。」
「そうなのですか。それならば良かった。私は貴方のお邪魔をしていませんでしたか?」
「邪魔などととんでもない…!古語が分かる者が少ないのにこれだけ理解しておられる貴方に会えた事は私の幸運ですよ?」
そう、思いがけない収穫だと思う。発音もすばしいものだった。
「古語の発音はどこで何方に習ったのでしょうか?」
「あ……えっと…基本の音は家庭教師に習いまして、その後は発音表を元に……」
「まさか……独学ですか?」
驚いた…!滅び去って久しい言語だ。発音表と言っても解説などは難解な謎解きの様になっているものもあるのに…今度は逆にサイラスの方が呆気に取られた顔になっていたと思う。
「………卿……?」
不安混じりの遠慮がちな声がサイラスを呼ぶ。
「あ、失礼しました。貴方の博識や努力に驚かされてしまって…私の努力などまだまだだと……」
「あの!その制服は書記官様のものですよね?」
「ええ、そうです。」
「では貴方様が凄いと思います。兄から聞いた事があるんです。書記官はあらゆる分野、言語に精通していないと務まらないと…そんな所で働いておられるのでしょう?」
「ええ、まぁ…」
「私が古語に詳しいのは、これを学ぶための時間は沢山あったからです。これしかしていない時もありましたし…」
実際に現実逃避だったと思うのだ。どんなに治療を受けても健康にはならない体を持て余していた時、全てを投げ捨ててしまわない様にこれが出来たら何かが変わる、そんな呪いをかける様に勉学に打ち込むことを自身に課していたから。
「発音はどれ位?」
「音を出すだけで三ヶ月は使いました。」
「なるほど、それ位掛かりますね…」
良く分かる。古語は基本的に音を出す発声方法から違うところがあるのだから。毎日の練習が物を言う。
サイラスは非常に楽しい事に気がついた。今までに古語に親しみ古語について語り合える者が周囲にいなかったからだ。
「私で良ければ古語の勉強に付き合いましょうか?」
「はい?」
サイラスから自然と出てきた言葉だ。サイラス自身も内心驚いている。自分の方から相手の距離を縮めようとして近づいているのだから。
「失礼…。ライーズ副書記官長?」
いつの間にか書庫に人が入ってきていた様だ。それも……この低い声は…
「ゴーリッシュ騎士団長!!」
パッと振り返った書庫の妖精の顔が満面の笑顔になる。
「……お知り合いですか?」
早朝の書庫には似つかわしくない騎士団団長と書庫の妖精、一体接点はどこなのだ…?
「はい、友人です!」
先程まで緊張で強張っていた書庫の妖精の表情が、ニコニコと輝くばかりの笑顔になる。友人というのは嘘ではない様でとても嬉しそうな様子である。
「ここに一人か?ウリート殿?」
心配気なゴーリッシュ騎士団長を他所に、ウリートと呼ばれた書庫の妖精はご機嫌である。
ウリート?
サイラスには社交界に出ている貴族家で思い当たる名前が無いのだが…
「はい、後で兄上が迎えにきてくださいますから。」
「そうか…アランドが来るならば心配はなさそうだな?それで、今日の体調は?」
「元気ですよ!?」
「では約束を果たそうか?」
アランド……聞き覚えがあるその名前は第3騎士団長のものだ。そうならばやはり、書庫の妖精はアクロース侯爵家の幻の君で間違えがない。
「ライーズ副書記官長、もしやウリート殿に何か用がありましたか?ここに二人だけでいた様なので…」
「いえ、私は珍しく古語を読んでおられる方がいたので声をかけさせてもらったまでです。」
「そうですか…ふむ…如何やらこれは兵法に関する歴史の様なものか?ウリート殿は流石だな?」
「ゴーリッシュ騎士団長、古語が読めるので?」
「いえ、私は単語を掻い摘んで読み取るくらいです。やはり難しいものでしょう。」
「なるほど、残念ですね。古語を愛する者がまた一人増えたかと思いましたが。私はこれでお先に失礼いたします。」
「そうですか、ではまた…それじゃあ、ウリート殿現代における軍編成の欠点と、古代における欠点について学んでいこうか?」
サイラスが書庫の出口に向かう中背中にはゴーリッシュ騎士団長の張りのある低い声が静かに響く。
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