魔王と聖女と世界

亨珈

文字の大きさ
2 / 9

会いたい 会えない

しおりを挟む

 『いつもの場所で、いつもの時間に』
 『りょーかい』
 彼からのメールは簡潔至極。私の返信も簡単なもの。
 それでも、不安ではなかった。まだ、あの頃は。
 いつも通り一足先に到着した私は、ほんの二十メートルほどの石橋のたもとで周囲を窺う。すっかり日が落ちて水面は黒く、両岸にずらりと並んだ店や宿の明かりが映りこんでいる。
 いちど中ほどまで渡り、引き返して川沿いに少し下る。
「やっぱりいないか~」
 昼間に仲良く泳いでいる白鳥のつがいが見つからない。もうねぐらに帰ってしまったんだろう。
 諦めてぼんやりと川面を眺めていると、背後から静かにフルートの音色が流れてきた。それを殺さないようにと、控えめなピアノが追従する。大正モダンと呼べば良いのか、白い壁に黒い屋根のその建物は、一階のホールで度々音楽関係の催しがある。たいていの待ち合わせがここだから、知るともなく知ってしまった。
 もう一度見回して待ち人来たらずと確認してから、その建物に近付いていく。
 窓がたくさんとってあるので、立ったまま中を窺うことができる。
 ベンチ椅子はほぼ埋まっており、シンプルな白いドレスの伴奏者の前で、赤いドレスの女性が金のフルートを奏でていた。
 シャンデリアの明かりがフルートに反射して、私を射す。
 薄いガラスの向こうは、まるで別世界のようだ。この窓を開ければ、あるいはぐるりと回って濃茶の木のドアを開ければ、繋がっているはずなのに。
 窓枠はテレビ画面のようで、現実感が薄れる。
 こちらとあちらでは、空気すら違うような。
 彼がいたら、入ったかもしれない。
 入ってしまったら、彼に気付けなくなる。
 踵を返し、遠のく音楽を背中で聞きながら、橋の中央へと戻った。

 結局、その日彼は来なかった。
 三十分ほど待った頃に携帯端末が鳴り、音声着信を知らされた。
『ごめん、まだ終わらない。寒いだろ? ごめんな』
「ううん、それは大丈夫だよ。もう少しで終わりそう? 待ってるよ」
『少しといえば少しなんだけど、後輩が自分で仕上げるの待ってるから、先が読めない。悪い! また今度埋め合わせするから、今日はキャンセルにして。ホントごめんな』
「わかった……」
 電波の先の彼の声は本当に申し訳なさそうで、終わるまで待つといってもその方が負担になるだろうと思うと、会いたいとは言えなかった。
 もう、一か月会ってない。
 しかも、明日から出張が入っているからと金曜の夜に予定を入れていたのに、これでまた次の週末まで会えない。
 私は携帯端末をショルダーバッグの内ポケットにしまうと、駅へと足を向けた。
 音楽が遠ざかっていく。
 ひとりでも入ろうとは、思えなかった。


 怒涛の年度末を乗り越えて、春先に白鳥の雛が生まれた。
 午前様が当たり前の時期は、疲れ果ててメールでの連絡しかできなかった。声を聴きたくても、深夜の電話は気が引ける。彼はそこまで繁忙ではなかったようだけれど、相変わらず後輩のサポートで四苦八苦しているらしい。
 そんな中、新芽の出た柳の下でしゃがみ、ふたりで雛を眺めていた。
「なんていうか、ホント醜いアヒルの子って感じだよなぁ」
 ふわふわの産毛でおっかなびっくり親鳥について回るグレーのかたまりを見て、彼はしみじみと呟いた。
「でも可愛い」
「うん、それは同意」
 膝に頬杖をついている私の腰に、彼の腕が回る。
「去年もその前も、卵孵らなかったんだよな、確か」
「うん」
 いくつかは外敵にやられてしまったけれど、最後に残った一個もいつの間にかなくなっていたらしい。なにがダメだったのか判らないけれど、生まれなかった命について思うと、心臓がぎゅっと縮こまる気がする。
「命ってすげえ」
「このまま、すくすく育つといいね」
「だな」
 彼との会話はいつもこんな風にのんびりとしている。
 けれど、その会話から先へと発展しないように、私は「お腹空いた! ふうまん大判焼き食べに行こ」と彼の顎に頭突きをした。 

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

家出を決行した結果

恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。 デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。 自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。 ※なろうさんにも公開しています。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

王宮メイドは今日も夫を「観察」する

kujinoji
恋愛
「はぁぁ〜!今日も働くヴィクター様が尊すぎる……!」 王宮メイドのミネリは、今日も愛しの夫ヴィクターを「観察」していた。 ヴィクターが好きすぎるあまり、あますところなく彼を見つめていたいミネリ。内緒で王宮メイドになり、文官である夫のもとに通うことに。 だけどある日、ヴィクターとある女性の、とんでもない場面を目撃してしまって……? ※同じものを他サイトにて、別名義で公開しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

処理中です...