魔王と聖女と世界

亨珈

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帰りたい 帰れない

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 聖女様万歳と、この世界の誰もが叫ぶ。ただ言われるがままに、いつの間にか授けられていた能力を使うことだけを期待され、望まれ、強制されてきた。
 最初、真っ白な長衣を着た複数の男性に囲まれた円の中心に出てきた私は、驚いて声すらも出せずにいた。
 成功だ、と口々に声をあげ、興奮した様子の見知らぬ人々は、みな金や銀の髪をしており、中には顔をしかめている人もいたように思う。それは、のちに知ることとなる蔑みの表情であったらしい。
 この世界には、おそらくいくつかの国がある。私のいた世界ほど細かくは分かれていないようだが、それがいくつなのかも何という名前なのかも、誰も教えてはくれなかった。確かに知らなくてもやってこれたし、知る必要もなかったのかもしれない。けれど、たとえば朝夕に提供される食事の名前やその食材がどのような形容であるのか、最初少しでも打ち解けようと尋ねた私の言葉は、すべてが黙殺された。
 私は、魔王を滅するために呼ばれた。世界を越えて召喚されたということだけは、理解できた。この世界のものでは歯の立たない存在である絶対悪。それが存在するだけで土地が腐敗し広がっていく上、天候さえもおかしくなるため、現れたときにはすぐにわかるらしい。
 しかし、魔王は不定期に顕現するが、その対抗手段である聖女は、人の手で召喚しなければならないのだ。神殿で修業を重ねた高位の神官たちが、飲まず食わずで三日間儀式を続けようやくなされるもの。場合によっては、命を失うほどに危険な儀式だという。
 そうしてあの場に現れたのが、私だった。
 疲労のあまり、夢を見ているのかと思った。あまりにも突然で理不尽な事故。その対応をしなければならないはずの脳は働かず、迎えた人々の歓喜がわずかに落ち着き声をかけられても、床にへたり込んだまま呆然とするしかない。
 まるで映画でも見ているかのように現実感がなく、さかんに話しかけても反応のない私に焦れて近付いた王子が私の顎を掴むまで、私は傍観していた。
「おぬし、五感は正常であろうな」
 腰を落としたものの王子の体格はよく、ぐいと捻るように持ち上げられて首がつらい。痛みで我に返った私は、同時にこれが夢ではないと悟った。
 瞬きをして、王子の視線を受け止める。それは、私の上司と同じ色を湛えていた。自分の意思が通るのが当たり前で、部下はただの駒であると割り切っているそれ。白のみの男たちの垣根を割って現れた彼は、童話に出てくる王子様そのものの金髪碧眼で、質のよさそうな服を身に着けている。さすがに冠などはなかったけれど、生まれながらに持っている気品と傲岸不遜な気配が感じられ、私は息をのんだ。
 言葉が出ない。だが、それがまた彼を苛立たせた。
 乾いた音とともに右頬が熱くなり、衝撃で頭が揺れる。あとから訪れた痺れるような痛みに、ようやく自分が叩かれたのだと理解した。
「返事をしろ」
 低い声が、私を促す。はいと言おうとして、乾ききった口の中が音を紡いでくれないことに焦った。
 唾を飲みどうにか声を出そうと呼吸を整える私の頬が、また鳴る。今度は反対側だ。頭がぐわんと揺さぶられ、どうにか姿勢を保とうとしていた私は、床に倒れ伏す。それなのに悲鳴すら漏れなかった。
「そう急くでない。初めての場所で緊張しておるのであろう」
「ですが父上、ことは急を要するのです」
 輪の外から厳かに声が響き、王子を止める。それは王の言葉であったから、さすがの王子も腰を上げ姿勢を正した。
 だが、誰も彼の所業を諫めることはなく、私を気遣う者もいなかった。
 もしかしたら、その場にいた王と王子以外の人たちの中に、優しい人もいたのかもしれない。けれど、それは私に届くことはなく、そのあともずっと、届けられることはなかった。

 たとえば、社内にあるシステムである改善提案。私の勤務先では、それは年に一度は必ず提出しなければならないものだった。
 簡単なものであれば、朝の清掃当番をこうこう組み替えた方が良い、こうすればより効率的であるというもので良い。それを実施してこういう結果になったというものであれば尚良いとされる。
 そのように個人あるいは小さなグループで達成可能なものが手軽で無難だ。
 技能があるならば、職場で使用する専用ソフトを作成するなどで、金一封を得ることができる。
 しかし、組織のシステムに問題があり、それが己に枷になっているので改善してほしいというたぐいのものは、大抵受理されないのだ。
 いや、受理はされるだろう。けれど、こう言われるのだ。
「考えておこう」
 と。

 いま、私の前で、王は厳かに告げた。一片の乱れもない服装で、玉座に落ち着いたまま、段の下に膝をつく私たち一行を見下ろして。
「すでに準備は進めておるゆえ、旅に費やしたより早く行われるであろう」
 魔王との対峙からこっち自失状態だった私は、先の言葉に反応するのが遅れ、この言葉にようやく顔を上げた。
 普段なら勝手に顔を上げることも咎められた。流石に魔王退治の立役者である私をいまこの時に叱責することは憚られたのか、居並ぶ誰からも責められない。けれど。
「どうして、ですか。私は、帰らせて欲しいと伝えたはず」
 声が、震える。
 旅に出る前、どうしても納得できなくて、また無視されると思いながらも叫ぶように頼んだ。
 悲願を達成したそのときには、元いた場所に送り返してほしいと。
 鷹揚に頷いた王に、安堵したわけじゃない。それでも、それしかよすががなかったからこそ、私はそれに縋りついた。
 一パーセントでも可能性があるならば。
 万に一つ、億に一つでもいい、あの日あの時、私が私であり、歯車の一つでしかない平社員でも、私という存在を必要としてくれる誰かがいる世界に戻れるのならば。
 頑張れる。生きていく意味がある。そう、思えた。
 それがどんなに愚かであったとしても、そう考える自分を封じ込めていなければ、私はいまここにいなかっただろう。
 皺一つない豪奢な衣装に身を包んだ王が、玉座で片眉を上げた。その瞳にあるのは、上司と同じ色だ。いや、同じではないか。上司にあったのはせいぜいが呆れの色だったけれど、こちらは侮蔑だ。
 私に拒否権などなく、もとより同じ人として扱われていない。
 聖女という綺麗らしい言葉に飾られた奴隷だ。一兵士ならば辞職もできるが、そのような自由もない。
「考えてはみた。だが、帰還の儀式を行うには再び神官らに負担がかかる。魔王のせいで荒れた国を浄化しきらねばならぬいま、そのような手間はかけられぬ。褒美として王族の血筋にお主の子を迎えると言っておるのだ。これ以上の誉はあるまい」
「そ、んな」
 ただ震える手で、自分を支えることしかできない。
 なんと便利な言葉だろうか。
 考えておこう。しかし、それは無理だ。そのように計らう利はない。
 省略された言葉。
 そうと知っていても、支えとして縋ってきた私には、もうなにも残らなかった。
 近衛とともに王が玉座から去り、私は騎士たちに引っ立てられるように、客室に放り込まれ、侍女たちによって磨き上げられる。
 なすがままに。
 思考を放棄して、私は身を任せた。
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