鍵を胸に抱いたまま

亨珈

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親公認の関係

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 テレビ画面の中では、芸能人たちが和装に身を包んでしきりに乾杯を繰り返している。
 先刻まで年越し蕎麦と共に饗されていたさまざまな料理で埋め尽くされた長テーブルの上は食い散らかされたままで、この昔ながらのやや広い日本家屋の中は静まり返っていた。
 耳に届くのは機械のスピーカーから聞こえる他人の声ばかりだ。
 吉岡実よしおかみのるは、そろそろ重たくなってきて半分閉じているような瞼をどうにかして押し上げると、テーブルに載せていた顎を持ち上げてから、ふわあと大欠伸をした。
 すぐ隣では、相棒の真山新汰まやまあらたがひっくり返って畳の上で大の字になってすいよすいよと寝息を立てている。
 毎度の事ながら、良く飲むものだと思う。
 黒々とした綺麗に整えられた顎鬚が呼吸に合わせて上下し、結構大きく口を開けているというのに鼾は掻いていない辺りが不思議だ。
 その向こうでは自分の腕を枕に新汰の父親が転がっていて、こちらも夢の中。
 紅白の途中までは忙しく立ち働いていた母親の方は、途中で「お先に」と就寝したのを見た記憶がある。新汰の兄と姉はそれぞれの連れ合いと除夜の鐘を突きに行き、そのまま初詣でもしているのだろう。よくそれで歩けますねと思うくらい、全員が浴びるように日本酒と焼酎を飲みまくり、母親が消えた後のテーブルと畳の上は空き瓶で散らかりまくっている。
 実はそうっと立ち上がると、倒れたりしてあちこちに転がっている一升瓶を集め、両腕に抱えてお勝手と居間を往復することに専念した。
 襖の開け閉てで冷気が移動し、ついでに小皿や箸も流しに置いてから戻ると、新汰が胡坐を掻いて大きく伸びをしているところだった。
しんさん、ごめん起こしちゃったかな」
「んにゃ~ここで寝ると風邪引くからいいって」
 石油ストーブはかんかんに室温を上げてくれているが、そこは綿壁土壁の日本家屋、隙間からの空気が常に動いていて、換気も必要ないくらいに寒い。真冬に敷布団無しでは底冷えがして堪らないだろう。
「みのちゃん」
 隣にもう一度座ろうか逡巡している隙に、両足を抱えられて背中から引き倒された。
 セーターと重ね着しているトレーナーが畳に付き、無意識に受身を取るのを見越して新汰はそのまま実の上に被さった。
「しん、さんッ」
 抗議の声を封じ込めるように、唇を咥えられて、空いていた隙間からすぐに中に侵入した柔らかな感触に、実はうっかり目を瞑りそうになる。
 二人の隣では、真っ白な髪の間から地肌が透けている父親がごろ寝しているというのに、こんな場所で何をしようというのか。
 ジーンズのチャックを下ろそうとする手の甲を思い切り抓ると、流石の新汰も口を離して不満そうに顔を顰めた。
「何考えてんだよ、もう」
「いいじゃん、公認なんだから」
 唇を尖らせる新汰の言葉は事実だった。
 男同士で、しかも新汰は実より十も年上だが、二人が恋仲であるという事実は新汰の家族全員が認めてくれている。しかも既に家族扱いでこうして盆暮れに呼ばれるようになって早数年。
 だが、それとこれとは別問題だろうと、実は思い切り睨み上げた。
「羞恥心とか、節度とか、おれまだ無くしたくないんで」
 んー、と困ったように唸りながら、その実新汰だって本気じゃないのは判っている。口角が僅かに上がっていて、ただ実の反応が見たかっただけなのだとピンと来てしまう。
 はい、どいたどいた。そう言って膝を蹴り上げる素振りをすれば、おっと危ないと冗談めかして機敏に脇に退く新汰を見ながら、よっこいしょと実は体を起こした。
「よっこいしょは禁止~」
 くすりと笑われて、ああと後ろ頭を掻く。
 そう言えば「よっこいしょ貯金」なんてのもしてたっけ。
「しょうがないよね、アラフォーだしさ」
 気付けば三十代も後半を過ぎ、なんだか色々なことがどうでも良くなってくる年頃だった。
 三十になった辺りで実の母親は縁談だなんだと持ち込み一旦は婚約まで進んだ時もあったが、結局流れて今に至る。
 あの時は、何となくこのまま落ち着くのも良いかと本気で思っていたのだ。だが、まだ本決まりになる前に家まで建てて同居前提と言われて唖然とした。
 仕事も他のものに変えてあちらの両親と同居。そんなの見合いの席では一言も聞いていないと、実の方の両親も大慌てで抗議しての騒動になったのだ。
 それ以来、母親も諦めているのかどうだか、親主導でも見合いには腰が引けているようで、実も助かっている。
 世間の風潮としても三十代以降の独身率も高く、同級生も既婚者の方が少ないと知り、そういうものかと納得したらしい。
 実は長男だけれど、幸いなことに弟がいる。そちらは学生時分から付き合っている女性が居て、家の面倒はこのまま実が見るにしても、孫はそちらに期待することに決めたのかもしれない。
 そうなら肩の荷が下りるのだけれど。
 とは言え、長男で跡継ぎというのが、今までネックとなってきた点も見逃せない。
 ごく普通の家庭とはいえ、地方都市の駅に近い昔ながらの土地持ち一軒家。それだけは維持して欲しいと言われて、さっさと家を出てしまった弟と入れ替わりに、大学卒業後は実家に戻り市内で職探ししたのだ。
 実を言うと、大学時代にはそれなりに先まで考えた恋人も居た。だが、実家に戻らねばならないことを告げたときから、徐々にあちらの心が離れていくのが判った。
 卒業を機に、自然消滅。そんなものかと思った。
 その後、社会人になってから、恋をした相手も居た。
 ただ、気が付けばどんどん苦しくなっていて、それを持て余している時に、新汰と出会った。
 それで救われたのは、最初の数ヶ月だけだったのだけれど。
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