鍵を胸に抱いたまま

亨珈

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「ふふふ、俺から離れられるはず、ないよなあ。何年掛けてここまで育てたと思ってんの。何処にも行かせないよ」
 ゆるりと内股を撫でる手は優しく、「動かないで」と笑顔で念を押す。
 ずれたら広がっちゃうかも。
 その言葉の意味が脳に届くより早く、ジュッと肌から水分が逃げていった。
「っ」
 悲鳴を上げようと開いた口にタオルを噛まされ、タンパク質の焦げる独特の臭いが充満するのを、必死に耐えた。
 熱い、痛い、熱い。
 袋の脇ぎりぎりの内股は、表皮の中ではもっとも柔く敏感な場所ではないだろうか。
 今その部分に、くっきりと新汰の印が焼き付けられ、熱源が離れても、更にひきつるような痛みがそこから全身を苛む。
 そのまま内股を眺める新汰の表情は恍惚としており、自分の作業に陶酔しているようだった。
 実は瞼を閉じて、静かに涙を流した。
 こんな新汰は、初めて見た。勿論、元からこのような倒錯的な性格ではなかったろうと思う。
 きっかけはなんだ。自分なのかと。
 気持ちがどんどん冷えて離れていった妻とは縁が切れないくせに、それでも実のことも離したくないのだ。
「あ、そうだった。記念写真撮っとかないと」
 いそいそと手袋を外す新汰を、滲む世界で見守りながら次なる戦慄に襲われたとき、勝手口が開き、外気が進入してきた。

「おい、なんだこの臭いは」
 オーナーの神楽の声に、出来るものなら何かで全身を覆いたくて、少しでも恥ずかしい箇所を隠そうと実は下半身を捩った。
 新汰にも予想外の出来事だったのか、慌てた様子を見せているが、もう工房に足を踏み入れている神楽には何も隠せない。
 驚愕に彩られていた神楽の顔が、縛られた実を見て複雑に歪み、それから新汰を憤怒の表情で睨みつけた。
「この、愚か者が」
 デニム地の作務衣に手拭いを首に巻いた総髪の神楽は、ぐ、と唇を引き絞り 、すぐに解くようにと指示して、和室の脇にある冷蔵庫から氷を取り出し、手拭いでくるんで持ってきた。
 ようやく自由になった両手にそれを渡され、そろりと傷の上に載せた。ズキズキが少し和らぎ、周囲の肌の熱も取れて気持ちよい。
「新汰。また改めて話す。今日はもう帰れ」
 顎で勝手口を示され、不承不承ながらも工房を後にする新汰の背がドアの向こうへと消えたとき、知らず実は大きく息を吐いていた。
 露わのままの下半身を隠そうとする実に服を渡し、神楽はコンクリに膝を突いた。
「もしかして、最近あまり顔を見せなくなったのはあいつのせいか」
 二人の事情は誰にも言えず、実は肯定も否定もせずに、ぎゅうっと手拭いを握りしめた。
 溶け始めた氷から、涙のように水が滴り腿を伝い落ちていく。
「続けたいなら、あいつを出入り禁止にするが」
 そう言われて、がばっと顔を上げて首を振った。
「いえ、新さんは、続けるべき人です。おれがいなければ……あの人の才能を潰したくない。元々、おれが割り込んだんです。おれが辞めます。だから」
 分厚い手が肩に乗り、労るようにそっと叩いた。普段使いの優しいフォルムの食器などを作り出す繊細な仕事をする指は太く、何も訊かずにただ「分かっている」と実にその先を言わせなかった。
「今はそんな気分になれなくても、また作りたくなったらいつでもおいで。会わなくて済む時間か、わしが居る時に来ればいい」
 止まっていた涙が、また溢れだしてきた。

 炎を扱う作業場では火傷などの怪我は切っても切れない関係にある。そのため、腕の良い皮膚科医とも懇意にしているという神楽の勧めに従い、時間外ながらも実は診療してもらうことが出来た。
 流石に今回のような部位は初めてだと驚かれたが、深くは追求されず、十分に冷やしてから行ったこともあり、割とあっさりとした治療で終わった。
 元通りに綺麗に治るかどうかはともかく、清潔にしていればやがて薄く見えなくなるものらしい。昔の奴隷などにしていた焼き印とは環境も異なるのである。
 入れ墨のようにずっと残るのではとハラハラしながら医院に向かった実は、説明を聞いて肩の力が抜けたのだった。
 新汰の意図は、はっきりとは解らない。だが、自分以外との親密な関係を阻止するためと、これは自分のものであると誇示するための行為であったのは解る。でなければ、わざわざこんな場所には押さないだろう。
 そして、もしもあのタイミングで神楽が入ってこなければ。
 家路に着きながらのタクシー内で、実は自分の肩を抱き締めるように胸の前で腕を交差させた。
 記念撮影、と言っていた。
 カメラであの写真を撮り、それをどうするつもりだったのかと悪寒が止まらない。
 仮にも何年も愛していた人だ。そんな卑劣な人間だとは思いたくない。
 けれど、と思う。
 自分一人の観賞用だとしても、局部の傍だ。そんな物を端末で持ち歩かれるだけでも十分精神的に苦痛を与えられる。そしてそのデータを職場などに送ると脅されれば。
 実のような事務員は、いくらでも替えが利く。まして、そのような醜態を晒されて、クビにされなかったとしても身の置きどころがない。結局は自分から退職願を提出する羽目になるだろう。
 どちらにせよ、職を失うかもしれなかったのだ。
 家に着き、二階の自室にこもる。夕食はとっておいてと声を掛けたから、後でまた降りねばならない。
 本当は食欲などなかった。だが、食べなければまた親に心配を掛ける。
 もしもあのまま新汰の筋書き通りに進んでいたらと、それを考えずにはいられなくて、ある程度思考がまとまるまでは何も喉を通りそうになかった。
 脅されて、関係を続けるように強要されるならば。
 目を閉じて、随分痛みの引いた傷跡を意識しながらも、浮かぶのは昨夜と今朝の哲朗の柔らかな笑顔だった。
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