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【65】逆さの刻印
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黒い右腕を得て以来、トーマの歩みは止まらなかった。
その後、様々魔獣に何度も遭遇したが、彼はもはや疲弊という言葉から遠ざかっていた。
カオス―右腕に宿る闇の存在―が繰り出す“エナジードレイン”の禁技が、戦いのたびにトーマの肉体を満たしていたからだ。
剣を振り抜くたび、黒い右腕が蠢き、闇の筋が生き物のように波打つ。
刃が肉を裂けば、命の光が吸い上げられる。他者の活力を燃料にしているかのようだった。
息が乱れても、次の瞬間には肺が勝手に満たされ、裂けた皮膚がすぐに閉じる。
眠ることも、休むことも忘れたかのように、トーマは闇の道をただひたすらに進み続けていた。
“エナジードレイン”は、相手の体力や魔力、そして生命の源たる活力そのものを奪い取る。
奪ったエナジーは、己の回復し活力へと転化される。
だが――溢れた力は毒となる。体力が飽和している状態で更に吸収すれば、余剰の力が肉体を蝕み、器…骨や神経、身体を焼き尽くしてしまう。
かつて精神体であった頃のカオスには、その制限がなかった。しかし、依代としてトーマの“身体”を得た今、その暴力的な力は制御が必要になっていた。
幸い、トーマは絶えず戦っていた。
適度の魔獣との戦い、睡眠も休憩を取らずに動き回っているお陰で、体力の消耗と活力の供給が絶妙な均衡を保っていたのだ。
そして、気づけば第八階層――闇の奥深くまで辿り着いていた。
ふと、トーマは額の汗をぬぐいつつ、壁際に刻まれた人工的な線刻に目を留める。
「これは……冒険刻印、か?」
冒険刻印――それは、先に進んだダンジョン探索者が後続のために残す印。ダンジョン探索者たちの間で古くから受け継がれる小さな慣習だ。
「この先、強敵あり」「この先、行き止まり」「この先、罠注意」――命を賭した世界における、ささやかな連帯の印だった。
つまり、すでにこの階層に冒険者が訪れた証拠でもある。
その印に、どこか見覚えがあった。
トーマの眉がわずかに歪む。
「……ロガンの、印だ」
「この先、行き止まり」を示す冒険刻印だったが、本来の向きとは逆に描かれており、癖のある刻跡もあった。
トーマは、そこからロガンが残したものだと判断したのだ。
「この印……逆に描かれている。ということは、この先に進んだってことか……」
『ん? どういうことだ?』
カオスの声が頭蓋の奥で響く。トーマは鼻で笑い、苛立ちを抑えながら答えた。
「あいつは、こういうことをするやつだよ。悪ふざけの悪戯を。ああいう、冒険刻印を残して、人が迷うのを見て笑っていた……。俺がそれを咎めたら、逆ギレして、挙げ句、俺がパーティーを追い出されたんだ」
『なるほど、性根が腐ってるな。だが――人間らしい。俺は嫌いじゃないぜ』
「皮肉を言うな」
吐き捨てるように言って、トーマは刻印の奥へと足を踏み入れた。
足音が、湿った石壁にひとつ、またひとつと響く。
そのたびに、冷たい空気が肌を刺すようにまとわりつく。
どこからともなく吹いてきた風が、まるで生き物の吐息のように頬を撫で、髪をわずかに揺らした。
『ん? なんだ、今、魔素の流れが……』
カオスが何かを感じ取ったようで右腕が、わずかに震えた。
次の瞬間、足元の石床が軋んだ。
音は鋭く、裂けるようで、時間が一瞬だけ引き延ばされたように感じた。
「――ッ!」
ほんの一瞬の違和感を覚えたときには、もう遅かった。
息を吸う間もなく、床が崩れ落ちた。
「うっわああああああああああああ!」
足場が消え、視界が反転する。
かつて味わった感覚――重力が一気に身体を下へ引きずり込んでいく。
暗闇の底へ落ちていく中、思考の隙間に、あの夜の酒場のざわめきがよみがえる。
――八階層に挑んだ冒険者たちが、まだ帰ってきていないらしい。
誰かがそう言っていた。
だが今、この底知れぬ落下の感覚の中で、ようやく悟る。
これが原因だったのではと。
トーマの身体はそのまま、洞窟の深淵へと呑み込まれた。
その後、様々魔獣に何度も遭遇したが、彼はもはや疲弊という言葉から遠ざかっていた。
カオス―右腕に宿る闇の存在―が繰り出す“エナジードレイン”の禁技が、戦いのたびにトーマの肉体を満たしていたからだ。
剣を振り抜くたび、黒い右腕が蠢き、闇の筋が生き物のように波打つ。
刃が肉を裂けば、命の光が吸い上げられる。他者の活力を燃料にしているかのようだった。
息が乱れても、次の瞬間には肺が勝手に満たされ、裂けた皮膚がすぐに閉じる。
眠ることも、休むことも忘れたかのように、トーマは闇の道をただひたすらに進み続けていた。
“エナジードレイン”は、相手の体力や魔力、そして生命の源たる活力そのものを奪い取る。
奪ったエナジーは、己の回復し活力へと転化される。
だが――溢れた力は毒となる。体力が飽和している状態で更に吸収すれば、余剰の力が肉体を蝕み、器…骨や神経、身体を焼き尽くしてしまう。
かつて精神体であった頃のカオスには、その制限がなかった。しかし、依代としてトーマの“身体”を得た今、その暴力的な力は制御が必要になっていた。
幸い、トーマは絶えず戦っていた。
適度の魔獣との戦い、睡眠も休憩を取らずに動き回っているお陰で、体力の消耗と活力の供給が絶妙な均衡を保っていたのだ。
そして、気づけば第八階層――闇の奥深くまで辿り着いていた。
ふと、トーマは額の汗をぬぐいつつ、壁際に刻まれた人工的な線刻に目を留める。
「これは……冒険刻印、か?」
冒険刻印――それは、先に進んだダンジョン探索者が後続のために残す印。ダンジョン探索者たちの間で古くから受け継がれる小さな慣習だ。
「この先、強敵あり」「この先、行き止まり」「この先、罠注意」――命を賭した世界における、ささやかな連帯の印だった。
つまり、すでにこの階層に冒険者が訪れた証拠でもある。
その印に、どこか見覚えがあった。
トーマの眉がわずかに歪む。
「……ロガンの、印だ」
「この先、行き止まり」を示す冒険刻印だったが、本来の向きとは逆に描かれており、癖のある刻跡もあった。
トーマは、そこからロガンが残したものだと判断したのだ。
「この印……逆に描かれている。ということは、この先に進んだってことか……」
『ん? どういうことだ?』
カオスの声が頭蓋の奥で響く。トーマは鼻で笑い、苛立ちを抑えながら答えた。
「あいつは、こういうことをするやつだよ。悪ふざけの悪戯を。ああいう、冒険刻印を残して、人が迷うのを見て笑っていた……。俺がそれを咎めたら、逆ギレして、挙げ句、俺がパーティーを追い出されたんだ」
『なるほど、性根が腐ってるな。だが――人間らしい。俺は嫌いじゃないぜ』
「皮肉を言うな」
吐き捨てるように言って、トーマは刻印の奥へと足を踏み入れた。
足音が、湿った石壁にひとつ、またひとつと響く。
そのたびに、冷たい空気が肌を刺すようにまとわりつく。
どこからともなく吹いてきた風が、まるで生き物の吐息のように頬を撫で、髪をわずかに揺らした。
『ん? なんだ、今、魔素の流れが……』
カオスが何かを感じ取ったようで右腕が、わずかに震えた。
次の瞬間、足元の石床が軋んだ。
音は鋭く、裂けるようで、時間が一瞬だけ引き延ばされたように感じた。
「――ッ!」
ほんの一瞬の違和感を覚えたときには、もう遅かった。
息を吸う間もなく、床が崩れ落ちた。
「うっわああああああああああああ!」
足場が消え、視界が反転する。
かつて味わった感覚――重力が一気に身体を下へ引きずり込んでいく。
暗闇の底へ落ちていく中、思考の隙間に、あの夜の酒場のざわめきがよみがえる。
――八階層に挑んだ冒険者たちが、まだ帰ってきていないらしい。
誰かがそう言っていた。
だが今、この底知れぬ落下の感覚の中で、ようやく悟る。
これが原因だったのではと。
トーマの身体はそのまま、洞窟の深淵へと呑み込まれた。
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