爆走娘のダンジョン探訪記

桜咲 京華

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1章 異世界転生してすぐ爆走!?

2 シルバーランク冒険者のアッシュ

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 私はかなりの距離を走った。
 
 スキルというもののおかげか、だらだら歩くよりも走るほうが疲れないという意味不明の状況にある事に気づいたからだ。
 
 しかも猛スピードで突っ走っているせいか他の生き物の気配も感じないし、何かが襲ってくるようなこともない。
 川沿いなので水は豊富だし、川辺は開けていてデコボコも無いので走り続けるのに全く支障は無い。
 
 ……筈は無い。

「お腹、すいた……」
 
 私はとうとう動けなくなってよろよろと木にもたれかかった。
 走る事による疲労は少なくても体力は減るしお腹は極限まで減っている。
 学校で弁当を食べたきりで何も食べていないのだから無理もない。
 こちらの時間は分からないが太陽がかなり傾いてきている、向こうでは午後3時過ぎだったので、トータルすればすでに晩御飯を食べる時間もとうに過ぎていることになる。
 ーーこの身体が同じ身体ならだけど。
 
「お母さん達心配してるかな」
 
 ふと、向こうの事が気になった。
 走れなくなってやさぐれていた私を心配して元気づけようとしてくれた両親の顔が浮かぶ。私の代わりに謝りに行くことになった時だって責めたりしかったりせず笑いかけてくれていた。

 先程聞こえた変な声は、私を転生者と呼んだ。普通に考えて、私は向こうで死んでここに来たということだろう。

 自分の身体を見下ろしてみれど、足が治った以外は特に変化の無い貧相な身体付き、服も学校のジャージ。川面で自分の顔を確認しても、相変わらず男とも女ともつかない中性的な顔立ちのまま。転生ではなく転移じゃないのかなと訂正したくなる。
 転生というなら赤ん坊から生まれ変わるのが普通だと思うのだが、この世界に私を呼んだ何者か、おそらく神様のようなものはそういう常識を無視しているらしい。

 あちら側には私の死体があるのかもしれないし、忽然と消えているのかもしれない。どちらにしても大騒ぎになっているだろうし、両親は恐慌状態に陥っているのではないだろうか。

「そもそも、スキルだのアイテムボックスだのってゲーム用語が出てくる時点で常識も糞も無いか……あ、ねむ……」

 立ち止まって俯いた事で、急にどっと疲れが押し寄せて身体がぐらりと傾いた。思考が纏まらない、でもこんなところで寝てさっきのイノシシモドキみたいなやつがまた出たら……。せめて木の影に……。





 ……。













「君! 起きなさい!!」
 
「へっ何!? 誰!?」

 突然肩を揺さぶられて飛び起きると、見知らぬ男の人に抱き起されていた。
 慌てて距離を取ると、呆れたような顔で私を見つめるイケメンが居た。
 よく見ると結構若くて20歳前後位の体格の良い男の人だった。でも色合いが凄い、夜のような濃紺の髪に月のような金色の目って人間の色合いとしてあり得るのかとびっくりする。目鼻立ちは整っていて外国の俳優みたいなのに色合いが凄すぎて特に猫のように光って見える瞳が異様に見えてちょっと怖い。服だって艶々の金属の鎧を付けていて腰には剣まで下げている。
 ファンタジー映画から飛び出してきた騎士みたい。

「よく、こんな所で無防備に寝ていられるね。この辺りには強い魔物だっているというのに、気を抜いていると死ぬよ」
「え、あ、ありがとう、ございます」

 じろじろと観察していると、叱られた。どうやら心配してもらったらしい。
 周囲を見渡すと、陽がかなり傾いて赤く染まり始めていた。3時間近く寝ていたのかな。

「野営しようと川に向かってきていたら偶然君を見つけてね。最初は死んでるのかと思って焦ったよ」
 
「あはは……」

 愛想笑いしようとしたら腹の音が響いて途切れた。
 嘆息した男の人は自分の懐から布袋を出すと、そこから何かを投げて寄越した。
 
 取り落さないように慌てて受け取ると、茶色い塊だった。これ、お父さんがビール飲んでいた時のおつまみで見たことがある。ビーフジャーキーだ。

「今から野営の準備をするから、用意出来るまでそれ食べていなさい」
 
「ありがとう、いただきます!!」

 少し怖いなんて思ってごめんなさい凄く良い人だ!
 私は一も二も無く噛り付いた。物凄く固いが、塩が効いていて美味しい。
 
 もぐもぐしている私の隣にキャンプで使うランプのようなものが置かれた。男の人の持っているあの袋から出てきた様だけど、サイズが見合ってない。私のアイテムボックスみたいなものかもしれない。
 レトロで可愛らしい雰囲気のランプの中心には真っ白な光る石が浮かんでいて、ボンヤリと光っている。まだ周囲が明るいのを差し引いても、明かりとして使うには光が弱すぎる気がする。

「それは魔物避けのランプだ。初めて見たかな? その近くにいれば危険は無いから安心して食べていなさい。あ、でも持ち歩くと効果が無くなるからそこから動かさないように」
 
 私がじっとランプを見つめていると、それだけ言いおいて森に分け入って行った。
 RPGゲームとかでフィールドで宿泊するアイテムっぽい。ちょっとワクワクしてきた、さっきまでそれどころじゃなかったけど、スキルがあって職業があってステータス画面があって、こんなアイテムまであって、本当にゲームのようだ。
 最後、あと一口というサイズまで小さくなったジャーキーを一気に口に放り込んでモグモグしながら、空が赤から紫へと移り変わっていくのをぼんやりと眺めていると、小枝を沢山抱えた男の人が戻ってきた。
 
 野営の定番、焚き火を作るようだ、モグモグ。

「それで、君はどうしてこんな処に? 街からもずいぶん離れているし、君みたいな子供が一人で来るような場所じゃない」
 
 しゃがんだ男の人が小枝を組み合わせていくのを、手伝うべきかと見守っていると、そう切りだされた。
 こ、子供って、これでも14才なんだけど……いくつにみえてるんだろう。
 いや、海外の人から見ると日本人は若く見えるというし私が特別幼く見える訳ではないと思いたい。
 訂正しそうになってふと思い直した。子供と思わせて保護して貰う方が安全かもしれない、と。とりあえず否定も肯定もしないでおくことにする。
 
「え、あ、えと。……気づいたらあっちの方で倒れてたんですけど、何も覚えてなくて、どこから来たとかも……ここどこ……ですか?」

 異世界転生だとか余計なことは言わない。変に怪しまれたら魔女狩りみたいな目にあうかもしれないし、それこそ漫画みたいに異世界から召喚された勇者とか言われて城に連行されて魔王討伐に出ろとかそんな展開になったら大変だ。
 安全第一安全第一。
 それ以上詮索されないよう視線を逸らしていると、ぽんと頭を軽く叩かれた。

「無理をしなくていいよ。何か酷い目にあった孤児の中にはそういう子は結構居るから」
「ありがとう」
 
 やっぱりとても良い人っぽい。ちょっと良心が痛む。嘘をついたわけじゃないけど、何でここにいるのかが分からないのは本当だし。

「んー困ったね。見た所外国人のようだけど……。港街ならともかくこんな森の深くに一人取り残される状況って一体……」 
「外国人?」
「黒い髪に黒い瞳という色合いはあまり居ないから、そうなんじゃないかと思うんだけど。確かめようがない話だね。名前とかも分からないの?」
「あ、名前は美琴っていいます」
 
 この国には黒髪の人間は居ないようだ、あと咄嗟にに名乗ってから思ったけど、偽名を使ったほうが良かったかもしれない。今更だけど。
 
「ミコト? 不思議な響きだね、やっぱり外国人なのかも。どうやってこんなところまで……この周辺には外国と繋がるような場所は無いのに」

 彼の様子からは外国人に対する差別意識などは感じられないけれど、不審者として扱われてるのは感じる。
 
「いやぁ、本当なんでか分からないんですよ、突然森の中に置き去られていたとしか思えない感じでぽつんと一人で寝そべってたので」
「服装も、囚人や奴隷みたいな見た目だけど、生地は縫製も王侯貴族でも中々手に入れられない位上等なものだし、色も鮮やかだ。靴も汚れているけど履きやすそうでしっかりしてるし、布で作ってあるようなのに、要所で弾力のある固い素材で覆われて補強してあるのか。益々不可思議だ」
「いや~あはは」

 もの凄く怪しんでる様子で私を観察してくる男の人に、なるべくフレンドリーに応じるが、頬が少し引きつってしまう。
 奴隷や囚人って、悪かったな、ダサいジャージ姿で。あと、この世界にはゴムは無いのかもしれない。スニーカーの靴底やつま先を覆っている部分をつつかれるのを抵抗もせず見守っていると、私の腹部からクゥンと物悲しい声が響いた。

「ぐっこほん。とりあえず話は後にして、夕食にしよう」

 今絶対笑いそうになっただろう、と腹を押さえて軽く睨むと、男の人は私から目をそらし袋から赤い石を取り出した。
 火打ち石かな? 初めて見たけど。
 組み上げた枝の山に屈むと、ふぅっと息を吹き込むと同時に赤い石から炎が吹き出て、枝を燃え上がらせた。

「うわぁっ凄い。魔法?」
「魔法ではないよ、魔石で着火しただけだ。見覚えはなさそうだね」
 
 いかにもファンタジーな光景を見せられて興奮して聞くと、男の人の方は落ち着いた様子で赤い石を見せてくれる。
 サイズは親指の先位で、表面はつるりとしている楕円形の石は、血のように深い赤で、少し禍々しさも感じる。思わず手を伸ばすとすっと避けられた。

「不用意に触ると体質によっては火が吹き出す事もあるから触らないほうがいい。こちらにしておきなさい。これなら手が濡れるだけで済む。水の魔石だ」

 代わりに手渡されたのは黒っぽい魔石だった。いや、よく見ると青色をしている。炎のオレンジ色に照らされているせいで黒っぽく見えただけのようだ。

「これが魔石ーーわぶっ」
「うわっ大丈夫か?」
 
 まじまじと見ていると、突然水が染み出してきて、驚いていると突然ジェット噴射の勢いで吹き出して顔中ビシャビシャになりながら後方に倒れてしまった。
 慌てた男の人が手を貸して起こしてくれて、厚手の布を手渡してくれるのを礼を言って受け取り顔を拭く。肩口まで濡れてしまっているがそれは火にあたって乾かすしか無さそうだ。

「やはりというか魔力持ちのようだね。体内の魔力が溢れ出て、魔石が過剰反応してしまうんだ。昔はそれによる事故も多発したから、子供のうちに訓練場に通って魔力のコントロールを身につける事が義務化されているんだけど」
「魔力持ち。もし私が火の魔石を持っていたら……」

 魔法が使えるようになったとかそんなワクワク感よりも、あり得た災難に身を震わせていると、厚手の黒いハンカチを渡された。

「あげる。魔力を遮断する布だよ。魔石に触る必要があるときはこれを使って。街に行けば手袋の形に加工している店があるから早めに自分の手に合うものを作って貰いなさい」

 手にとって検分すると、何か動物の皮で出来ているようで、黒い表面はつるつるしているけれど、裏側には手触りの良い黒い布がはられている。ハンカチとして使うにはゴワゴワしているけれど、畳むことは出来る程度にはしなやかさがある。良くわからないけれど結構高価なものかもしれない。
 
「ありがとう、いいんですか?」
「駄目なら渡してないよ。とりあえず夕食にしないとね。ーー俺の手までかじられそうだ」

 さらりと付け足された言葉に頬が赤らむ。先程からクゥクゥと腹が鳴っていたけれど、お互いスルーしていたのに、布を渡してきた男の人の手を見た時に一際大きな音が鳴った所為で最終的に突っ込まれてしまった。

 何か料理をするつもりなのか、大きめのナイフやら木で出来たまな板やらを袋から出していく、やはりあの袋は私のアイテムボックスと同じモノのようで、袋のサイズより中身の量のほうが明らかに多い。
 そして最後に別の袋を取り出したかと思ったら袋の口から巨大な茶色い塊が飛び出してきて私は仰天してひっくり返りかけた。
 
「そっそれ!」

 さっきのイノシシモドキだった。
 右目のところと、首筋に傷があるが、それ以外は無傷だ。かなり綺麗に斃してある。
 私が殺してしまったやつよりも少し小さいが、十分大きい。

「先ほど捕まえたベントステックだ。いつもならば日が暮れる前に街に戻るところを、これを捕まえた為に川へ立ち寄ったのだ。君は運が良いよ」

 機嫌良さそうに懐から出したナイフをベントステックの腹に突き立てたので思わず引いてしまった。血抜きは終わっていたのか出血こそしないが、生々しい裂け目がテラテラと炎に照らされて不気味に輝く様に血の気が引く。
 おうふ。スプラッタは苦手なんですが。

 腹を裂いて中に手を入れ、内蔵を掻き出し……。
 見ていられなくて目を逸らしている間も、血腥い臭いと、肉を切り裂いている音はしっかり聞こえて来る。
 どうしようあっち行ってちゃ駄目かな、駄目だよね。

「どうした、青い顔をして。……そうか、血が苦手なのか」
 
 声を掛けられて思わずそちらを見ると、示された血みどろの手の平の上には確かにさっきと同じ石があった。
 左手には切り裂かれた心臓であろうものが、パックリと縦に裂け目を覗かせていた。
 
 魔石ってこんな獲れ方するの!?

 布で血を雑に拭きとっただけの石は拳大で、先ほど焚き火に火をつけたものに比べるとかなり巨大だが、輝きは同じだった。

「うーむ。もしかしたら貴族の出なのかもしれないな。庶民だとこの程度で青くなっていたら生きていけないだろうし」

 王侯貴族が存在する世界観なのか、ていうか、血みどろのグチャグチャを見ても動じないようにならないと生きていけないって怖すぎるんですけど。
 私はホラー映画は嫌いじゃないけど、スプラッタものは大ッ嫌いなんですが。
 というか、この人貴族に対して抵抗とか無いみたい。貴族は庶民を見下していて、庶民は貴族を敵対視したり恐れたりするような話がよくあるけれど。彼の反応はフラットだ。何でも無いような顔をして取り出した内臓や魔石を袋に入れ、また肉を切り分けていく。
 
 R18な物音に耐え切れずに背中を向けていると、バシャバシャと水の音が聞こえて不思議に思って振り向いたら、まだ沢山身が残っている死体と、切り出した肉を川の水で洗っていた。この為に川へ寄ったらしい。
 死体は皮袋へ戻され、巨大な塊肉がまな板の上に載せられた。
 ここまでくれば手伝えそうだけれど、私はこみあげてくるすっぱいものを堪えていて動けない。その間にも塊肉は小さく切られ串に刺され、塩を降りかけられて火に炙られていく。驚くほど手際が良い。
 周囲には食欲を唆る良い匂いが立ち込めていて。腹の虫は絶好調だ。吐き気も食欲に押し流されていく。

「ベントステックの肉は街で出回る中では最高級の部類だ。凶暴で巨大、討伐難易度は高く、個体数も多くない。貴族でも中々頻繁には口に出来ないぞ。さぁ、食べなさい」 
「あ……いただきます」

 熱くないように持ち手を布で包んで差し出された串焼きの肉を、私は成すすべも無く受け取ったものの、そこから硬直してしまう。
 手元にあるのは串に刺された、お肉が3つ。香ばしい焼き目がつき、肉汁を滴らせている。 
 物凄くおいしそうだが、私はこれが元は生きて走って私に襲い掛かった所も、グチャグチャに顔がつぶれた死体も、ナイフで捌かれ内臓を引きずり出されるところも見てしまっている。
 
 どうしよう。気持ち悪い。でも、食べたくないとか言えない。
 
 見惚れるほど綺麗な笑顔で、優しく食事を差し出されて、断れる人間はそういないだろう。それに、ゲテモノだとかそういう訳ではない、普通にとても美味しそうなお肉なのだ。ただ心理的に壁があるだけで。だがその壁も風前のともし火、あんな小さなビーフジャーキーでは満たされない腹がもっと寄越せとぐーぐーと唸っている。

 食べて食べてと唸っているような凶悪な良い匂いに釣られて、私はきつく目を閉じ、思いっきり噛り付いた。

「うわぁっおいしい!!」

 驚いた。物凄く硬そうなお肉だったのに、噛めば適度に強い歯応えはあるもののしっかり噛みちぎれる。ちょっと弾力の強い豚肉のような味。

「そうだろうそうだろう! だからと言って自分で狩ろうとは思うなよ、凶暴で力も強く猛スピードで突進してくるから、君のような少年だと吹き飛ばされる。まぁあの巨体を見て初見で狩ろうなどと思う人間はいないと思うが」
 
「ショ!? あ、うん。そう、だね」

 少年と言われて反論しかけたものの、すぐに引っ込めた。男と思われている方が安全だと思いなおした為だ。別にこの人が信用出来ないわけじゃないが。今後のこともあるし、念のためだ。

「あ、忘れていたね。俺はアッシュ。シルバーランクの冒険者だ」

 お肉を一つ齧りとって食べた男の人が、名乗りながら首に下げた銀色のドッグタグのようなものをチラつかせた。あれが身分証明書みたいなものっぽい。
 やっぱり冒険者っていう職業があるんだとちょっと感動してしまった。やっぱりゲームみたいだ。

「シルバーランクって強い? 街へ行ったらオレも冒険者になれる?」
「ミコトは冒険者になりたいの?」
 
 異世界、魔法ときたらやっぱり冒険者でしょうと身を乗り出すと。ワクワク感を全面に押し出し、さらっと男のフリでオレとか言ってみた私に対し、アッシュさんの視線に鋭く切り返されて戸惑う。

「駄目?」
「……いや、そうだね。君位の年齢だと孤児院にも長くは居られないし、孤児院出身者を雇ってくれる店も多くは無い。冒険者になる気があるならそれに越した事はないか」

 さらっと孤児院に入れようとされていた事が判明した。
 でも確かにと、不意に不安が頭をもたげる。
 運良く出会えた良い人そうなアッシュさんに頼れば街に連れて行ってくれそうだとは思ったけれど、その後の事はノープランだった。働くにしたって戸籍も無い、初対面のアッシュから見て外国人だと思われるような容貌の私が簡単に就職先を見つけられるとは思えない。
 言うなれば不法入国者なのだから。
 お金だって無いのだ。

「お金……そうだ!」
「ミコト? 何を!?」
 
 突然立ち上がった私の行動にアッシュが警戒したように仰け反る。
 戸惑っているアッシュさんの近くの広いスペースに、アイテムボックスの中のベントステックを出して見せる。やはりデカイ。ぐしゃぐしゃに変形した顔が焚き火に照らされて一際ホラーな光景になっている。

「アッシュさん、これを買い取ってくれませんか? お礼になるかわかりませんけど、街で暮らせるように手伝って下さい! お願いします」

 頭を下げる。
 返事を待つが、パチパチと枝の爆ぜる音しか聞こえない。
 やはり初対面でこんな頼み事はいきなりすぎたかと思っていると、頭に手を軽く置かれた。軽くだが優しく撫でられて見上げると、金色の双眸に優しく見下ろされていた。宥めるように座らせられて、コップに注がれた水を手渡される。

「落ち着いて、座りなさい。君はアイテムボックス持ちだったんだね。ベントステックを倒せるなら俺の手助けが無くても冒険者としての実力は十分だと思うよ。これを自分で売り払えば実績にもなる」
「いえいえ、偶然なんです! 襲われて逃げまわってたら木にぶつかって自爆してくれただけ。あんなの真正面から相手するなんて不可能ですから……あの?」

 てっきり、袋にそのまましまわれると思っていたが、アッシュはそのままベントステックの傷を検分した後、ナイフで首筋に傷をつけた。血がゴポゴポと流れ出て血溜まりを作る。
 
「倒した後そのまましまったんだね、最低限血抜きをしないと臭みが出てお肉の価値が落ちるよ。まぁ、でもアイテムボックスのおかげで時間経過が止まっているから今からでも間に合っているけどギリギリだね。ほら、君も覚えなさい。冒険者になるんでしょ。ここを切れば価値を落とさずに血が抜けるよ。皮も肉も内蔵も売れるベントステックは解体手数料を取られないからこのまま冒険者ギルドに持ち込むと良い。下手に素人が解体すると価値が落ちるからね。本来獲物は内蔵を抜かないとそこから腐敗するんだけど、アイテムボックスならその心配もない。あぁ、肉が食べたければ売るときに申し出れば必要数だけ返却してもらえるよ。ーーほら、もう大丈夫だからしまいなさい」
「え、あ、でも、「早くしなさい」はい」

 アッシュさんに渡すつもりだったベントステックは、頸動脈から血だけを抜かれて返された。アイテムボックスはイメージ通り、時間経過しないらしい。出したら腐乱死体という惨劇は回避されそうだ。

「あの」
「話は後だ。ほら、これも食べごろだ。焼きすぎると硬くなるし、冷めたら味が落ちるよ。美味しいでしょ?」
「は、はい! 美味しいです」

 結局アッシュさんはベントステックから切り出していたあの大きな塊肉を全て串焼きに加工し、私が食べきれずにギブアップすると、残りは非常食にしなさいとプレゼントしてくれた。





 
「さて、君のこれからについてだけど」

 アッシュさんにそう切り出されたのは、私がはち切れるほどお肉を食べさせられて動けなくなってから数分、ようやく立ち動けるようになった時だった。
 
「俺は、街に着いたら君を孤児院に連れて行くつもりだった。孤児院ならば戸籍も貰えるし、最低限の生活の面倒を見てもらえる。多少寄進している関係で、彼らの暮らしぶりは確認しているし、そうひどい生活ではないことは保証出来る。あまり多くは無いが孤児院出身者を積極的に雇用している店もあるから成人までには働ける場所を紹介してもらえるしな」

 アッシュのしてくれた説明によると、この国には孤児がとても多いらしい。
 村が魔物に襲われて焼け出されるのもよくある話だし、冒険者が子供を残して死ぬのも珍しい話ではない。
 普通の人が所用で別の街へ移動する途中盗賊に襲われて、家に残っていた子供が突然孤児になることだってある。
 街の子供の殆どは両親のどちらかが孤児だった経歴があるのではないかという程だ。
 その為、孤児院出身だからと差別される事は無く、むしろ孤児院では礼儀作法や文字の読み書きを教え込まれる為、人手が足りない時は積極的に雇用されるのだとか。
 もしどうしてもとなったら、知り合いの伝手を辿って仕事を探しても良いと、私の事を色々と考えてくれていたらしい。良い人過ぎる。自分で言うのもなんだけどこんな怪しい子供によくぞそこまでと思う。

「だが、君がアイテムボックス持ちであることで、そうもいかなくなった」
「何でですか? 便利だと思いますけど」
「便利だからだ。アイテムボックスは超希少スキル。容量に制限はなく、中に入れたモノの時を止める。そんな君が保護者が居ないと分かっている孤児院に居たら、養子希望者で商人の争奪戦になるぞ。攫われて盗賊の下っ端にされる可能性だってある。最低限自分で身を守れるようになるまでは黙っている事だ」
「ひえぇ」

 確かにと引きつつ頷いてしまう。
 アッシュさんの追加説明によると、孤児院は寄進してくれる商人に強くは出られないし、例えその人柄に問題があろうと養子希望者には素直に差し出してしまうらしい。
 さらにいうと、人さらいに遭っても積極的に捜索してもらえる可能性は低いらしい。その辺り、やっぱり孤児の立場は弱いと思わざるをえない。
 
「だが冒険者になるというのなら、シルバーランク冒険者である俺の口添えがあれば、秘密を守らせることが出来るし、君自身がランクを上げれば、冒険者ギルドの宝として守ってもらえるようになる」

 冒険者ギルドではランクこそ正義であり、例えば貴族が理不尽な理由で冒険者を不当に扱ったりした場合に、冒険者が高ランクであれば組織ぐるみで貴族を弾劾する位には高ランク冒険者を大事にするし、相応の影響力や力もある。
 貴族の次男三男が冒険者としてランクを上げた事で嫡男を押し退けて当主に収まる事もあるらしい。
 事実現在の国王は元々側室の子で継承権の低い王子だったし、王妃も元男爵令嬢。それが国王はミスリルランク、王妃はプラチナランク冒険者になり、冒険者ギルドの後見と武勇伝に魅せられた熱狂的な民衆からの後押しを受けて即位した。それに憧れて冒険者になった者もゴロゴロ居る為、貴族であろうと平民だろうと冒険者になれば高ランクが正義という風潮になっているとか。

「でも、オレが冒険者になってもランクを上げられるかな。早く走れるくらいしか取り柄が無いんだけど」
「それだよ、ベントステックは普通の人間が逃げられるようなものじゃない。実は他にスキルがあるんじゃないか?」
「う、うん。俊足っていうんだけど、早く走れるだけのスキルだよ」
「俊足……その辺りもう少し詳しく話して」

 促されるままに、転生してたとか盗賊だとかの妙なアナウンス部分を省いて、森で目が覚めた後からベントステックを斃したあたりまでの事を話すと、物凄く長い溜息を吐かれた。何故。

「あのね、普通はそんなにポンポンスキルが増えることは無いんだよ。ベントステックを倒すだけでアイテムボックスが得られるならとっくに俺が得ているし。それ以前に狩り尽くされて絶滅していてもおかしくない」
「確かに」

 不思議ですねぇと相槌を打っていると「呑気な顔しないの」と呆れ顔で溜息を吐かれた。
 そうは言われても嘘は言っていないのでどうしようも無い。

「もういい。今日は俺も疲れた。明日は早起きしてもらうから、もう寝るよ。ほらこれを貸してあげるから寝なさい」
「わぷっ」

 頭にひっ被せるようにして渡されたのは毛皮で出来た布だった。二枚あり、布団代わりに使うようだ。表面は何枚か小さな獣の皮を継ぎ合わせてあって、裏側は手触りの良い布が貼ってある。中には綿も入っていて、この世界ではもしかして結構高級品なのではないかと思われる代物だった。
 アッシュの方を伺うと、同じものを二枚、毛皮が外側になるように被って寝そべっている。

「あのありがとう、アッシュさん。あと、その、トイレってどうしたら良いですか?」
「このランプの効果範囲は結構広いから、そこの木陰でするといいよ」
「ーーハイ」

 キャンプ場じゃあるまいしトイレがあるわけないとは思ったけれど、初対面の男の人の近くでというのはハードルが高い。結局魔物が来ないかどうかを気にしながら、アッシュに指定された場所よりも少し離れた森の奥ですることにしたのだった。
 

 



 


 
 
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