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第一幕 白磁の神
六 母さん、後ろに……。
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「このあたりだね」
一果は提灯で辺りを照らす。音は聞こえない。
その場でしばらく待つと、目の前を何かが風のように横切っていった。
肌と髪が雪よりも白く、瞳は吸い込まれるように赤い、美しい横顔を朔夜は見た。
「白磁様」
朔夜は思わず神の名を口にした。そう直感したのだ。あの美しさは人間のものではない。白磁様だ。言い伝えられている白磁様の特徴とも大方一致する。
綴見町へ降りていくところだろうか。だが、それにしては何だか様子がおかしい。
「おお、あれがシェデーヴルか。本当に綺麗だね。さすが、我が友の最高傑作というだけあるな」
一果は飛び跳ねそうなほど嬉しそうにそう言った。朔夜は首をかしげる。
「………? 白磁様じゃないのか?」
朔夜の背中をパンと叩き、腹を抱えて笑う一果。なんだか母さんの様子もおかしい。ついていけない。
「違うよ。あれは、あたしの友人であるオリアナが作った人形だ」
「人形?」
「実によくできているだろう。石でできた硬くて重い体なのに、猫ちゃんのように俊敏でしなやかな動き、素晴らしいね。触ったら引っ掻かれるかな?」
一果は軽やかな足取りでシェデーヴルの向かった方向へ歩き出した。
「追うよ。とはいっても慌てる必要はない。追いかけっこしたところで、あたしたちの足で追いつくのは無理なんだから」
辺りは真の闇。シェデーヴルの足音は聞こえない。匂いも無い。それでも一果にはシェデーヴルの居場所が分かる。近くを走り抜けたときに紙人形を付けたのだ。
朔夜は背後から近づいてくる気配を感じた。
「母さん、後ろに……」
「振り向くな」
朔夜は黙って従い、体を硬くした。やがて黒のドレスと長い金髪をなびかせた少女が二人を追い越していった。
「あれは?」
「フタローイかな。こちらもオリアナの作品だよ。まったく卑怯な真似をするよね。新月にシェデーヴルを迎えに行かせるなんて。
今のオリアナにもフタローイにも、シェデーヴルを捕まえられるほどの力は無い。だからきっと彼らの力が最も弱まる新月を狙うんだろうと思って来てみたら……ふふ、予想が当たったね。長い付き合いの友人の考えることは手に取るように分かるものさ」
「助けに行かないと」
短刀の柄を握り力を込める朔夜。
フタローイはまだ姿の見えるところにいる。一気に距離を詰めれば……。
「やめておきな。人形に人間と同じ毒は効かないよ」
一果に制止され、短刀から手を離す。
「でも」
「無茶をしようとするな。あたしたちの目的は、シェデーヴルの回収。状態は問わない」
──この山に来た目的、いま初めて聞かされたんだけど。
一果は落ち着いた声で続ける。
「フタローイを退けるのは簡単だが、シェデーヴルは相手にしたくないんだよ。もし逃げるのをやめて捨て身で攻撃に転じてくることがあったら大変だ。神聖な山で血を流してほしくはないしね。もう少し待とう。
シェデーヴルは月明かりを動力源としている。月明かりの少ない時期、特に新月は目を覚ましていることさえ本来は不可能なはずだ。精神力だけで無理に動いているのだろう。そんなことでは限界が来るのも時間の問題だ。それまで待ってから回収するんだ」
「………おれは見てられない」
飛び出そうとする朔夜の首根っこが掴まれた。
「聞きなさい朔夜。これ以上近付くのは危険すぎる。おまえが行っても死ぬだけだ。今おまえにできるのは、機を待つこと。わかった?」
朔夜は不服そうに頷いた。
- - - - - - -
提灯の光がミーシャの髪に反射したときに見つかってしまったようだ。フタローイが背後から迫ってくる音が聞こえる。
「さっき、人間のようなものが見えたような。なんだか、あの人のことを知っているような気がするわ。会ったことはないけれど……」
「……………」
「お兄ちゃん?」
ミーシャは既にクレアと会話をする余裕を失っていた。立ち止まらないこと、ただそれだけだった。立ち止まったら二度とこの体は動かなくなる。
「お兄ちゃん……?」
不安そうなクレアの声。ミーシャは何か返事をしてやらなければと思った。
そのとき、足元の岩に躓いて、勢い余って体が高く浮いた。
空中で回転して着地の姿勢をとったが、地面があるはずのところに無い。落下が止まらない。あの先は崖だったようだ。
底の見えない闇の中で落ちていく時間は永遠のように思えるほど長く感じた。ミーシャは自分の背を下にしてクレアを抱きしめた。
ようやく終わりを迎えることができると思った。
- - - - - - -
ドーーーン……と、低い長い音が白磁山に響いた。
「すごい音……ただ事ではないよな。大丈夫かな」
「人形の追いかけっこは派手だね。神聖な山では静かにしてほしいんだけどな」
平然とした声でそう言いながら音の方向へ提灯を向ける一果。
「母さん、やっぱり心配だ、様子を見に行こう」
「まだ危険だよ。落ち着いてもう少し待ちなさい」
「……はい」
ズズズズ……と、地鳴りのような音が響く。石が擦れ合い軋むような音も混じっている。
「近付かなくて正解だったね。ここまでやるとは思わなかった」
「何が起きているんだ?」
「あたしの想像が正しければ、シェデーヴルが魔法を使った。…………無事では済んでいないだろうね」
「フタローイが?」
「いや、シェデーヴルがだ」
朔夜は首をかしげる。
「よく分からないけど……そしたらフタローイに連れていかれてしまうんじゃないか? 早く行かないと」
「フタローイはシェデーヴルの回収を諦めておうちに帰って行ったようだ。手を出せない状況なのだろう。慌てる必要はない」
音が完全に止むのを確認してから、一果は言う。
「……行こうか。今なら安全だ」
一果は提灯で辺りを照らす。音は聞こえない。
その場でしばらく待つと、目の前を何かが風のように横切っていった。
肌と髪が雪よりも白く、瞳は吸い込まれるように赤い、美しい横顔を朔夜は見た。
「白磁様」
朔夜は思わず神の名を口にした。そう直感したのだ。あの美しさは人間のものではない。白磁様だ。言い伝えられている白磁様の特徴とも大方一致する。
綴見町へ降りていくところだろうか。だが、それにしては何だか様子がおかしい。
「おお、あれがシェデーヴルか。本当に綺麗だね。さすが、我が友の最高傑作というだけあるな」
一果は飛び跳ねそうなほど嬉しそうにそう言った。朔夜は首をかしげる。
「………? 白磁様じゃないのか?」
朔夜の背中をパンと叩き、腹を抱えて笑う一果。なんだか母さんの様子もおかしい。ついていけない。
「違うよ。あれは、あたしの友人であるオリアナが作った人形だ」
「人形?」
「実によくできているだろう。石でできた硬くて重い体なのに、猫ちゃんのように俊敏でしなやかな動き、素晴らしいね。触ったら引っ掻かれるかな?」
一果は軽やかな足取りでシェデーヴルの向かった方向へ歩き出した。
「追うよ。とはいっても慌てる必要はない。追いかけっこしたところで、あたしたちの足で追いつくのは無理なんだから」
辺りは真の闇。シェデーヴルの足音は聞こえない。匂いも無い。それでも一果にはシェデーヴルの居場所が分かる。近くを走り抜けたときに紙人形を付けたのだ。
朔夜は背後から近づいてくる気配を感じた。
「母さん、後ろに……」
「振り向くな」
朔夜は黙って従い、体を硬くした。やがて黒のドレスと長い金髪をなびかせた少女が二人を追い越していった。
「あれは?」
「フタローイかな。こちらもオリアナの作品だよ。まったく卑怯な真似をするよね。新月にシェデーヴルを迎えに行かせるなんて。
今のオリアナにもフタローイにも、シェデーヴルを捕まえられるほどの力は無い。だからきっと彼らの力が最も弱まる新月を狙うんだろうと思って来てみたら……ふふ、予想が当たったね。長い付き合いの友人の考えることは手に取るように分かるものさ」
「助けに行かないと」
短刀の柄を握り力を込める朔夜。
フタローイはまだ姿の見えるところにいる。一気に距離を詰めれば……。
「やめておきな。人形に人間と同じ毒は効かないよ」
一果に制止され、短刀から手を離す。
「でも」
「無茶をしようとするな。あたしたちの目的は、シェデーヴルの回収。状態は問わない」
──この山に来た目的、いま初めて聞かされたんだけど。
一果は落ち着いた声で続ける。
「フタローイを退けるのは簡単だが、シェデーヴルは相手にしたくないんだよ。もし逃げるのをやめて捨て身で攻撃に転じてくることがあったら大変だ。神聖な山で血を流してほしくはないしね。もう少し待とう。
シェデーヴルは月明かりを動力源としている。月明かりの少ない時期、特に新月は目を覚ましていることさえ本来は不可能なはずだ。精神力だけで無理に動いているのだろう。そんなことでは限界が来るのも時間の問題だ。それまで待ってから回収するんだ」
「………おれは見てられない」
飛び出そうとする朔夜の首根っこが掴まれた。
「聞きなさい朔夜。これ以上近付くのは危険すぎる。おまえが行っても死ぬだけだ。今おまえにできるのは、機を待つこと。わかった?」
朔夜は不服そうに頷いた。
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提灯の光がミーシャの髪に反射したときに見つかってしまったようだ。フタローイが背後から迫ってくる音が聞こえる。
「さっき、人間のようなものが見えたような。なんだか、あの人のことを知っているような気がするわ。会ったことはないけれど……」
「……………」
「お兄ちゃん?」
ミーシャは既にクレアと会話をする余裕を失っていた。立ち止まらないこと、ただそれだけだった。立ち止まったら二度とこの体は動かなくなる。
「お兄ちゃん……?」
不安そうなクレアの声。ミーシャは何か返事をしてやらなければと思った。
そのとき、足元の岩に躓いて、勢い余って体が高く浮いた。
空中で回転して着地の姿勢をとったが、地面があるはずのところに無い。落下が止まらない。あの先は崖だったようだ。
底の見えない闇の中で落ちていく時間は永遠のように思えるほど長く感じた。ミーシャは自分の背を下にしてクレアを抱きしめた。
ようやく終わりを迎えることができると思った。
- - - - - - -
ドーーーン……と、低い長い音が白磁山に響いた。
「すごい音……ただ事ではないよな。大丈夫かな」
「人形の追いかけっこは派手だね。神聖な山では静かにしてほしいんだけどな」
平然とした声でそう言いながら音の方向へ提灯を向ける一果。
「母さん、やっぱり心配だ、様子を見に行こう」
「まだ危険だよ。落ち着いてもう少し待ちなさい」
「……はい」
ズズズズ……と、地鳴りのような音が響く。石が擦れ合い軋むような音も混じっている。
「近付かなくて正解だったね。ここまでやるとは思わなかった」
「何が起きているんだ?」
「あたしの想像が正しければ、シェデーヴルが魔法を使った。…………無事では済んでいないだろうね」
「フタローイが?」
「いや、シェデーヴルがだ」
朔夜は首をかしげる。
「よく分からないけど……そしたらフタローイに連れていかれてしまうんじゃないか? 早く行かないと」
「フタローイはシェデーヴルの回収を諦めておうちに帰って行ったようだ。手を出せない状況なのだろう。慌てる必要はない」
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「……行こうか。今なら安全だ」
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