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4辺境は退屈だ

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 『どうも助けていただいてありがとうございました』
  少女は怖さのあまり涙のたまった眼を青年に向ける。 
『いえ、このくらい大したことは……』
 光り輝く青年は白い歯を見せて笑う。
『それよりも、お怪我はありませんか?』
  闇の中で光り輝く青年の手を少女はつかむ。 


 こんな風にして、物語は始まるのだ。
 その舞台が帝都であれ、南方であれ、そしてここ、魔人が出るといわれる辺境地帯であっても。  
 私の大好きな小説はここ辺境を舞台にした作品だった。だからだろう。ここに就職できると聞いて心が躍ったのは。
 辺境という追放者や荒くれ者たちが住む土地をどこかあこがれていたのかもしれない。

 でも。
 
「……夜は冷えるから、この毛布を掛けておくといい」 
 私は炎を見て夢想するのをやめた。

 毛布を差し出すのはピカピカの騎士服を身にまとう美青年ではなく、髭を生やした中年の男だった。 

「ありがとう、ラーズさん」
 物語の世界が遠のいていく。
  私は現実に戻って手を伸ばして毛布を受け取る。

 その時、彼の皮手袋に手が触れた。 
 とたん、ラーズはやけどしたように手を引っ込めて、毛布がばさりと下に落ちた。

 これが物語だったら、目の前の男が杖の騎士だったら私の肩に毛布をそっと掛けて肩に手を回すだろう。

 慌てる様子は洗練された騎士のしぐさとはいえない。
 そもそも、騎士たるもの埃まみれの服など着ていないはずだ。そして女主人公も……私のように清浄魔法もかけていないなんて想像もできない。
 
 学校の知り合いが今の私の状態を見たら、なんというだろう。
 薄汚れた服を着て、毎日がキャンプ生活だなんて。
 幸いにもこれは私だけではなかった。火の回りでくつろいでいる人たちも似たり寄ったりだった。小説の騎士様のように魔法で体を洗ったり、輝かせたりする人などどこにもいない。
 
  あの本を描いた作者は辺境に足を踏み入れたこともないに違いない。
 辺境では魔法がほとんど使えないとか、乾いていて埃っぽくて、どこを見ても変化がなくて、ロマンのかけらも感じられない土地だということを知っていたのだろうか。 

 旅の間、車窓から見えるのは、岩山と、その向こうに見える青い山、ところどころにある畑と小さな村。それがなくなるとただただ荒れた平原が続く。ところどころに小さな林があるけれど、時期が悪かったのだろうか、赤茶けた葉がついているだけだ。

「もう少し、雨が降る時期になれば草が生えるんだがね」
 代り映えのしない風景に飽きてきた私にラーズさんは残念そうにそう言う。
「もっと黒の町の近くに行くと、黒の森もある。緑も多いし、水もある。ここよりももっと住みやすいんだ」

 本当だろうか。代り映えのしない荒野をぼんやりと眺めるしか私の仕事はない。

 駆ける馬の足音や鳥のさえずりといった風景描写が小説の中には頻繁に登場する。私もそれを期待していた。でも、ここではただただ静寂が広がっている。

 暇だ。こんなに楽でいいのだろうか。

 私の秘かな夢想は壊れてしまったけれど、客観的に見て辺境への旅はそれほど悪くなかった。

 辺境と言えば、みんなが思い浮かべるのは山賊や魔獣、魔人だろう。常に警戒していないと、襲われて命すら危ない。呪われた土地。足を踏み入れるのは危険な場所。そんな風に学校でも習った。

 でも、山賊はどこ? 魔獣や魔人なんて目を凝らしても影さえ見当たらない。
 あまりにも何も起きなすぎる。少しは物語のように心躍る展開があってもいいなと思っていたのに。

 それを同じ車に乗っている女性たちに話すと、彼女たちは爆笑した。

「魔人? 魔獣? この辺りでは見たことないね」

 辺境の女性たちは男性と同じような格好をして働いていた。たくましい体つきのおばさ……もといお姉さんたちばかりだ。

「魔人戦争以来、車には魔人除けの魔法がつくようになったから、魔人が襲ってくることはないんだよ」

「そうなんですか。魔人除けを……知りませんでした」ち
 裸馬に乗った魔人が襲ってくるものだと思っていたというと、再び笑いが起こった。

「馬なんて、あんな凶暴な生き物なのに」
「車の方がずっと快適だよ?」

 小説では馬車もよく登場するはずなのに…みな馬を使っていると思い込んでいた。

「昔は確かに馬車だったよ。ここでは車を動かすのに内地の倍以上の魔力が必要なんだ。でも最近ではみんな車を使っている。便利だからね」

「魔力は大丈夫なんですか?」

 私は荷物の中にしまったままのタブレットをちらりと見た。旅が始まってから何度か使おうとしたが、私の魔力量では固まってしまい、小説を読むことすらできなくなっていた。黒い民であるこの人たちがどうやって車を動かしているのか、不思議に思っていたところだ。

「魔道具を使っているんだよ」お姉さんたちが教えてくれた。「ここは魔道具の産地なんだ。知ってる? 星の帝国で使われている魔道具のほとんどはこの地で掘り出されたものなんだ」

「え? 本当ですか?」
辺境で魔道具が発掘されているなんて、私は聞いたことがなかった。

「へぇ、内地の人たちは本当に知らないんだね」
彼女たちは言いながらまた笑い出した。

「仕方ないよ。魔道具は神殿か軍か、あるいは私たちのような免許を持った商人じゃないと扱えないんだから。出所が確実に洗われてから商品として出荷されるんだろ」

「つまり、ラーズさんたちが扱っているってことですか?」

「そうさ。会長は魔道具の流通免許を持ってるからね。それであたしたちも魔道具を手に入れることができるってわけさ」
 女たちは得意そうに身に着けた装身具を鳴らした。
だから彼女たちはこんなに豪華な飾りを身に着けていたのか。

 私はいつものように無言で鍋をかき混ぜている母ちゃんのつけている指輪を横目で数えた。
 あれが全部遺物だとしたら、一財産だ。

「先生も、これ、ほしいの?」 
「大丈夫、ちび先生もたくさん手に入れることができるよ」 
「そうそう、会長に頼んだら、ねぇ」 
 女たちはうれしそうに笑う。

  ちび先生……お嬢ちゃんといわれるよりはいいのだろうか。 からかいの種にされてはいるものの、そんなに悪い気はしない。たぶん、みんながあまりにおおらかで、陰でこそこそとうわさを流すことをしないからかもしれない。
  ちょっと振る舞いがおかしいのは会長であるラーズくらいで、あとは田舎によくいる素朴な人たちだった。私を露骨に子ども扱いしたり、変なちょっかいを出してくる人は誰もいない。私の気になる振る舞いをする人はいなかった。

 その例外であるラーズ会長は、時々女たちの仕事場に顔をのぞかせて、すぐに立ち去るのが通例だった。 

「会長。お茶しましょうよぉ」 
 今日も会長は女たちにからかわれている。
「会長、ちび先生は魔道具に興味があるみたいですよ」 
「あたしたちみたいな、装身具が欲しいんだって」 
「いいものを見繕ってあげたらどうですか」

 「うるさい」 
 ラーズは女たちをにらみつけた。それを見て、みんなけらけらと笑う。
 
「あ、ああ、すまない。先生に言ったわけじゃないから……」
  私が見ていることに気が付いたラーズは口調を変えて、謝った。
  誰かが吹き出す。ラーズはそちらをにらんで、足音を立てて、車を出て行った。 

 ゴンという鈍い音が響いて、ラーズのうめき声が聞こえた。彼はしょっちゅうなにかにぶつかっているようだ。   どこか、体調でも優れないのだろうか。 

 遠回しに、周りの人に聞いてみたが、ごにょごにょとお茶を濁された。 頼れる男性のようにも思われたり、やはりどこか頭がおかしいような気もしたり。どうなのだろう。これまでにあったことがないような男の人だ。
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