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34身支度

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 淡い桃色の夜会服は私をいつにもまして幼く見せていた。鏡の中の少女は、どう見ても初等学校の上級生か中等学校に上がりたてのお子様にしか見えない。辺境にきて、少しは背が伸びて大人っぽくなったと思っていたのに。私はため息をついて鏡に背を向けた。

 ここは嫌い。
 砦の窓には厚いガラスが埋められていて、外からの光が歪んで見えた。狭い部屋に所狭しと置かれた荷物、乱雑に私の服を詰めていた梱包材が散らばっていた。

「かわいいですよ」
 ミーシャという男が手配した召使はにこりと笑いかけた。お仕着せがよく似合う彼女は内地の出身だ。髪を淡い金色に染めている。

「本当に髪色はこのままでいいのですか?染粉ならありますよ」

「いいの。これで」

 私は髪型だけ整えた。
 髪はもう、染めない。この町の女たちは堂々と黒い髪をなびかせて闊歩している。私も髪の色に引け目を感じることはないはずだ。

「それより、ごめんなさいね。こんな狭いところで」
 少女があまりにも窮屈そうに衣装を直すので私は謝る。

「気にしないでください。ここはどこもそんな感じですから」

 召使はにっこりと笑う。とはいえ、お針道具は寝台の上に並べられて、窓枠に櫛やブラシが並べてある部屋で物に当たらずに仕事をするのは難しいはずだ。

 この部屋でも、貴族用だなんて。
 これなら、自宅からここに来たほうがよかったかしら。そんなことを考えてしまう。

 それを召使にこぼしたら彼女は首をかしげた。どうやらこの砦ではこの部屋はましなほうらしい。

「外に住んでおられるのですか?」
 召使は目を丸くする。
「おひとりで? まぁ」

「あら、貴女、町に行ったことはないの?」

 そういうと彼女は首を振る。

「行ったことなんかありませんよ。だって外には危ない人たちがたくさんいるのでしょう? 呪われた民とか、分離主義者とか」

 さも恐ろしそうに召使はいう。呪われた民? 親切にしてくれた近所の人たちのこと? 分離主義者? フラウちゃんのファンクラブの会員のことかしら? まるで、化け物であるかのように声を潜める必要があるかしら。

「そんな人たち、いないわ」

 そう力強く主張したけれど。女の子は信じようとしなかった。彼女の頭の中では、砦の外は魔人が徘徊している危険地帯のようだ。

 砦の中と外ではこんなにも考えが違うなんて。
 私は彼女と似たような主張をしていたクリフ先生のことを考えた。彼はこんなところに住んでいるから、あんなに偏屈な考え方をしていたのだ。きっと。

 召使の女の子に弟を呼びに行かせて、私は連れてきた羽ウサギをようやく籠から出した。

 荷物を取りに行ったとき、うちには誰もいなかった。そういえば、みんな祭りに行くといっていた。部屋の中でごそごそしているのは羽ウサギたちだけで、誰も預ける人がいなくて、仕方なくつれてきた。

 女の子も羽ウサギを見てかわいいと目を輝かせたのだ。最初だけは。
 でも、魔獣だと聞いた途端害虫を追い払うような悲鳴を上げたので、かわいそうな羽ウサギたちはずっと狭いところに閉じ込められていた。

「おいで」

 二匹に餌と水をやる。こんなに大人しくてかわいいのに。餌と水に夢中な二匹の背中をなでる。
 ラーズ会長の話ではこの子たちは実はかなり頭がいいらしい。きちんと教えれば、犬並みのことはできるといっていた。

「ラーズさん……」

 私は彼のことを思い出して、またため息をついた。なぜ、彼は止めてくれなかったのだろう。私が内地に帰るといったら、真っ先に反対しそうな、そんな気がしていたのに。彼の力を使えば、私がこの町にいる口実の一つや二つ、作れると思うの。それなのに。

「あ、姉さん、着替えたんだ」

 そこへ、弟のザーレが私を迎えに来た。私は慌てて嫌がるウサギたちを籠に戻す。
 内地風に着飾った私の姿を見て弟は満足したようだった。

「うん、いいんじゃない。かわいいよ」

 私は弟をにらむ。

「その言い方、嫌いよ」

 弟は心外だという顔をする。

「この前は、『私、かわいいかしら』とかいってたじゃないか。少しは変わったと思ったのに。姉さん、気分屋だな」

 あのときはかわいいと思われたかったから、そういっただけ。誰にでもかわいいといってほしくはない。

「少し、裾を伸ばしますね」
 召使が立ち上がった私を見分して衣装を直す。

「ねぇ、ザーレ。ちょっと尋ねるんだけど、貴方のその、懐具合、大丈夫なのかしら」
 私はこそりと弟に耳うつ。

「大丈夫だよ。なにを、心配しているんだ?」

「いえ、だって、ここの砦付きの子でしょ。それなりに……」
 私は目で召使の女の子を追った。

「ここは人手が余っているから。安く人が雇えるんだよ」
 内地の十分の一だと、弟は自慢げに話す。そして、これみよがしに女の子に黄金を渡して下がらせた。

「いいの? そんな少額で?」
 私はびっくりする。

「いいんだよ。あの子、喜んでるよ」

 本当に喜んでいるみたいだったから、私はよりいやな気になった。砦の中は町よりも待遇が悪いような気がする。
 人が多すぎるのよ。私は結論付けた。こんな狭い場所に人を詰め込みすぎなのよ。ごみごみしたところに固まって住むくらいなら、外の町に住めばいいのに。

 廊下も外の通路も人でごった返していた。あまり広くない通路を、行ったりきたり、舞踏会に招かれたと思しき上流階級から、そのお付き、召使、いろいろな職業の人たちがうごめいている。背の低い私は何度も人とぶつかりそうになった。

「どうしてこんなに混んでいるの?」
 お祭りの雑踏ならともかく、これはひどい。
「召使の通路、この要塞にはないの?」

「あるさ」
 弟がぶつかりかけた男の背中に舌打ちしながら言う。
「でもね、今、この砦は人でいっぱいなんだよ。召使の通路、とか、分ける余裕がないというかなんというか」

「町の宿に泊まればいいのに」
 内地から招かれた人のほとんどがこの砦にとどまっていると聞いて私はびっくりした。

「そんな。黒い民がたくさんいるんだろ。森に棲んでいた連中が」
 とんでもないというようにザーレは言う。

「たくさんいるけれど、広いし、清潔だし。ここよりは快適よ。少なくとも私の住んでいるところは」

「姉さん、勇気があるというのか、愚かというのか、よくそんなことができたよな。呪われたりしない?」

「馬鹿なこと言わないで。呪いなんて迷信よ。あれはただの病気なの」

「姉さん、どうしたの? 頭の中まで呪われちゃった?」

 弟はとんでもないことを聞いたという顔をした。
 そうだった。このことは内地の人たちは知らないのだ。かつての私もそんなことは知らなかった。ここにきて、いろいろな経験をして見えてきた。辺境にはここでしか通用しない真実がある。

「ところで、舞踏会ってどこで行われるの? 本当にこっちでいいの?」

 弟がより込み合っているほうへ向かっているのを見て、私は聞いた。こんな中に突っ込んでいったら、私はつぶされてしまう。

「うん。ああ、みんな並んでいるねぇ。ミーシャに会えるかなあ」
 弟も不安そうにあたりを見回す。

「ああ、ここにいた」

 そこに着飾ってミーシャが現れた。黒を基調とした夜会服がとてもよく似合っている。

「よかった。うまく会えた」
 弟は心底ほっとした顔をする。

「ああ、エレッタ嬢、なかなかかわいらしい」
 ミーシャは私の姿を見て、微笑みかけた。
「昨日の服よりも、こちらのほうがあなたには似合っている」

「おほめいただいて、恐縮ですわ」

 私は儀礼的な挨拶を返す。ミーシャは普通の女性に対するように私に手を差し伸べた。
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