催眠術なんて、きっかけにすぎなかった。幼なじみとの恋が動き出すまで

こうた

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5話 催眠術なんかじゃ、君の心は操れない

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 日曜の午後。俺の部屋に、陽菜がやってきた。

「なつかし~。この部屋、昔と変わんないね」

「お前が来るたびに勝手に本棚の並び変えるから、変えられなかったんだよ」

「あはは、そーだったね」

 中学時代、よくこうして遊びに来てた。ゲームしたり、お菓子食べたり、他愛もない話で笑い合ったり。あのころの空気が、少しだけ戻ってきた気がした。

「これ、まだ持ってたんだ」

 陽菜が手に取ったのは――そう、あの催眠術の本。

「うわ、これのせいで……いろいろ始まったね」

「……ほんとな」

 ふたりで笑った。でも、その笑いはちょっとだけ、苦くて甘かった。

「この本さ、もう処分しよっか」

 陽菜が言った。

「催眠なんてなくても、悠くんとちゃんと向き合えるし、私の気持ちも伝えられるから」

「……うん、そうだな」

 俺たちはその本を、庭で小さな箱に入れて燃やした。パチパチと小さな炎が上がり、表紙が黒く焦げ、ページが灰になっていく。

 まるで“あの頃の曖昧な関係”が、火の中で清算されていくようだった。

「ねえ、覚えてる?」

「なにを?」

「小5の時。私、クラスの男子にからかわれて泣いちゃったことあったじゃん」

「ああ……“陽キャぶってるけど泣き虫”とか言われてたな」

「そのとき、悠くんがひとこと『泣くのはダメなことじゃない』って言ってくれたの。あれ、すっごく嬉しかったんだよ」

 陽菜が、俺の手をそっと握る。

「それからずっと……あたし、悠くんのこと、特別だなって思ってた。だけど、あたしが近づくたびに悠くんはびっくりして、避けたがってるように見えて。だから“幼なじみ”って枠に閉じ込めてたの。ずっと、ずっと……」

 その声が少し震えていた。

 俺は陽菜の手を、強く握り返した。

「俺も、同じだった」

「……うん」

「お前が明るくて、誰とでも仲良くできて、まぶしくて……正直、自分とは違う世界の人間だって思ってた。でも――違ったんだな」

「うん。全然、違わなかった」

 お互い、ただ臆病だっただけだ。

「催眠術なんかじゃ、お前の心は操れなかった」

「そだね」

「お前が言ってくれた“好き”は……全部、自分の気持ちだったんだ」

「うん。悠くんの“好き”も……ね?」

「ああ」

 目を合わせる。もう、逃げない。

 そして俺たちは、ゆっくりと顔を近づけた。

 今度こそ、誰にも邪魔されない。

 唇が触れ合う一瞬、世界が音を止めた気がした。

 それは、ふたりのはじまりを告げる静かな合図だった。



 月曜日。

 教室の隅で俺が本を読んでいると、陽菜が笑顔で駆け寄ってきた。

「おはよ、悠くん! 今日も彼氏イケてんね~!」

「うるさいって……!」

 俺の耳まで真っ赤になってるのを見て、陽菜はケラケラと笑った。

 でもその手は、俺の袖をちゃんと掴んでいた。

 ――もう、離さない。
 ――もう、逃げない。

 俺と陽菜。陰キャと陽キャ。
 全然違うようで、実は一番近くにいたふたり。

 それは催眠でも魔法でもない、ちゃんと育ってきた“好き”の物語だった。

〈完〉
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