十九歳に戻った村の書商は、契約した魔女と共に世界を書き換え、人類の頂点を目指す

kairo_arche

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エピソード26兆し(前編)

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白柱の都市は、崩れなかった。
だが――静かに、歪み始めていた。

広場では人々が立ち止まり、理由もなく空を見上げている。
塔は立ち、道は整い、建物も変わらない。
それでも、都市全体に薄い膜のような違和感が広がっていた。

「……昨日まで、こんな音はしなかった」

一人の男が、足元を見つめながら呟く。
石畳の隙間から、かすかな軋み音が聞こえていた。

歯車が噛み合わないような、
あるいは、正確すぎた動きが初めて“遅れ”を持ったような――
そんな感覚。

トレイアウルスは通りの端で立ち止まり、その様子を見渡していた。
刻印書は閉じたままだ。
だが、手のひらに伝わる重みが、いつもより微かに脈打っている。

「反動が、出始めてるな」

彼の言葉に、隣のリナが小さく頷く。

「ええ。
 最適化っていうのは、均衡じゃない。
 均衡の“固定”よ。
 それを外せば……動き出す」

通りの向こうで、言い争う声が上がった。

「俺は、昨日まで何をしてた?」
「同じ帳簿を、何年も……いや、何十年も……?」
「おかしい……覚えてるのに、実感がない」

記憶は戻っている。
だが、それは“経験”としてではなく、
押し付けられた記録のように、頭の奥に沈んでいた。

「人はね」
リナが低く言う。
「選ばなかった時間ほど、後で重くなるの」

トレイアウルスは、ゆっくりと息を吐いた。

「……この都市は、
 “正しすぎた”んだ」

その瞬間、刻印書の縁が淡く光った。
ページが、勝手に一枚だけめくれる。

《干渉余波:検出》
《影響範囲:都市全域》
《進行状態:拡散中》

「……来たか」

彼は、ページを閉じることなく見つめた。
文字は淡々としている。
警告でも、叱責でもない。
ただ、事実だけが並んでいる。

「これは……失敗なの?」
リナが、珍しく迷いを含んだ声で尋ねた。

トレイアウルスは首を振った。

「いいや。
 これは――結果だ」

遠くで、行政塔の鐘が鳴った。
決まった時刻ではない。
不規則で、短く、まるで都市自身が呼吸を始めたかのような音だった。

人々が顔を上げる。
ざわめきが、少しずつ形を持ち始める。

「誰が、これを戻すんだ?」
「責任者は?」
「前の仕組みに戻せばいいだけだろう!」

その言葉を聞いた瞬間、
トレイアウルスは、はっきりと理解した。

――まだだ。
――この街は、選ぶ準備ができていない。

刻印書の中で、次の行が静かに刻まれる。

《次段階予測》
《要求されるもの:責任の所在》

彼は、本を閉じた。

「……行こう、リナ」

「どこへ?」

「この街の“外”を、見る必要がある」

白柱の都市の空は、まだ明るい。
だがその光は、確実に“揺れ”を帯び始めていた。

――兆しは、もう十分だった。
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