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第二話
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彼女の言葉に心が動かない人間などいるはずもない。けれど、それとこれとは話が別なのである。
「…は?」
「いやいや、は?じゃなくて。無理です」
「…え?」
「いやいや、え?じゃなくて。無理です」
「いやいや、無理です。じゃなくて。今のは完全に迎えいれる流れだったでしょ。あんな笑顔見せてきてさ」
「いいかい樹里ちゃん。物事がなんでも自分の思い通りに進むと思ったら大間違いだよ?」
「…正論すぎて何も言い返せないじゃない!!」
その場で大きく項垂れる樹里ちゃん。非道だと思われてしまうかもしれないが、俺は俺の考えを持って、居候したいという彼女のお願いを丁重にお断りさせていただいている。
「いつから陽斗はそんなド畜生キャラになっちゃったのよ…」
「ド畜生キャラって…。いくら樹里ちゃんのお願いでもそれは無理だよ。まずこのアパートは一人暮らし学生向けのアパート。まぁ社会人の人もいるけどそれでも一人暮らし向けなんだ。2人が満足に暮らせるほどの広さじゃない」
「う…」
「そもそもこのアパート、シェアハウスとか同棲とかその辺の類のは禁止されてるし。管理会社側も家賃諸々の配分とかでの面倒ごとは避けたいしね」
「うぅ…」
「それに、俺は男で樹里ちゃんは女。男女が屋根の下で共に生活するのは論理的に考えてちょっと…ってのは分かるよね?」
淡々と事実を羅列していく。彼女には申し訳ないが、長年お世話になってるアパートに迷惑をかけたくない。樹里ちゃんには恩を感じているし、なんとか助けてあげたいとは思うけれど、無理なものは無理だ。だからといって無下にするわけでもない。
「だからさ、樹里ちゃん。…樹里ちゃん?」
妥協案を提示しようとピンと指を立てるのだが、項垂れる樹里ちゃんがふるふると震えているのが分かった。まずい、これは…
「うるさいうるさい!もういいバカ!バカ!バーカ!えーっと…バーカ!」
「暴言のレパートリーの少なさに育ちの良さを感じますっ!」
「バカバカ…あっ、アホ!」と罵詈雑言を浴びさせ、バタバタと大きく音を立てて部屋から飛び出る樹里ちゃん。慌てて扉に付いている覗き穴を覗き込むと、樹里ちゃんは子供のようにあっかんべーをし、ひたすらバカバカと連呼しながら怒ったように去ってしまった。
「…居候は無理だけど二、三日泊まるのはオッケーだからひとまず中に入ったら、って言おうと思ったんだけどな。」
何度も言うように、俺は出来る限り彼女に味方してあげたいし、困ってるなら助けてあげたい。
そのための代案を提示しようとしたのだが…久々の邂逅に興が乗ってしまい思ってもないことまで言ってしまった。ああなってしまった樹里ちゃんはこちらの言うことに耳を貸してくれない。
なぜ居候をしたいのか、彼女の親はこの事を知っているのか、そしてなぜ、俺を選んだのか。そんな疑問だけを残し、樹里ちゃんは風のようにいなくなってしまった。
「…とりあえずスーパー行く?」
本当に困っているなら、落ち着きを取り戻した樹里ちゃんはまた家に訪問してくるはず。今追いかけるのは得策ではない。そんな楽観的な思考のもと、ひとまず本来の予定であった買い物を済ませ、彼女を待つことにする。
それにしても、何かの節目でもないこのタイミングで、あれだけの荷物を持ち、年頃の女の子が居候を?
居候とは、他人の家で衣食住を養ってもらうということ。ちょっと今日泊めて~というのとはわけが違うのだ。それだけの理由が、今の樹里ちゃんにはあるのだろうか。
…いや、考えても仕方がないか。
*
結局、予想に反して夜になっても樹里ちゃんは帰って来なかった。夕食を済ませ据え置きのゲームをしながら、頭は樹里ちゃんのことでいっぱいだった。ろくに集中できず、コントローラーを放り投げ寝転がる。
「そうだ、連絡先…は無理か」
スマホになら彼女の連絡先が入ってるはずだからそれで連絡を、と思ったのだが、スマホ買い替えの際にデータが吹き飛び、大学以降の友人と家族、バイト先くらいしか入っていない。
なんとなく、嫌な予感がした。
…もしまだ樹里ちゃんが泊まり先が見つかっておらず、1人夜の街を彷徨っているとしたら…
ここら辺は治安は悪くはないが、どこに誰が潜んでいるかは分からない。もしかすると悪い奴らに見つかり、酷い目に遭っている…
「あぁもう…!」
曲がりなりにも俺たちは幼なじみ。樹里ちゃんがどっか行ったからもう知りませんとはなりたくない。
樹里ちゃんが心配。とにかく心配だ。ジャケットを羽織り家を飛び出す。とはいえ、樹里ちゃんと別れてから時間が経っており、考えもなしに飛び出しても時間の無駄だ。
「樹里ちゃんの行きそうなところ…」
あの荷物の量。バスやらタクシーやらの公共交通機関を使っていなければ、そこまで遠くにいってないはず。ホテル等で安全に寝泊りしているならそれでいい。俺の取り越し苦労ならば万々歳だ。
近所のコンビニ、スーパーを探し回り、店員さんに大きなスーツケースを持った女の子が来なかったか聞いてみるものの収穫はなし。完全に日は落ち、真っ暗となった公園を駆け回るものこちらも収穫なし。近くのバス停にもいない。
「はぁっ…あとは…」
息を切らせながら最寄りの駅へと向かう。ここら辺ではそれなりの規模を持つ駅は仕事終わりのサラリーマンで溢れ返っている。駅周辺のベンチや休憩所に立ち寄り、人混みをかき分け改札口へ。
「…いない、か。」
しかしそこにも樹里ちゃんの姿は無かった。
駅にもいないとなると、もう外にはいないのかもしれない。
膝に手を置き肩で息をする俺を、不思議そうな目で見ながら腕を組んだカップルが横切った。
女性の方は化粧が濃く、若く派手な見た目をしているが、男性の方は40代半ばくらいで恰幅の良い身体をしており、頭頂部はかなり涼しそうで、言葉を選ばずに言わせてもらうとハゲたデブのおじさん。カップルと言うには少し歳が離れすぎている。
そんな2人は駅を出て左のエスカレーターに消える。
…まさか。
一抹の不安が拭いきれず、駅を出てホテル街にむかう。駅から右に向かうとビジネスホテルなどが立ち並んでいるが、左に向かうとラブなホテルが続いている。迷わず左に向かい、先程のカップルを追い抜く。
「はぁっ…はぁっ…」
額に流れる汗を乱暴に拭い周りを見渡す。スーツケースを2つ、ゴロゴロと地面に転がしながら歩いている女性を見つけた。見間違えるはずもない、樹里ちゃんだ。
隣にはスーツを着たサラリーマンがおり、今にもホテルに入ろうとしている。樹里ちゃんはホテルの前で立ち尽くしており、痺れを切らしたサラリーマンが樹里ちゃんの腕を掴んだ。
最悪のケースが頭に浮かび、全速力で樹里ちゃんの元に走る。なんとか間に合い、腕を引くサラリーマンの肩に手を置く。サラリーマンはギョッとした顔で俺を見る。
「すみっ…すみません!その子俺のツレで…離してもらっていいっすかね?」
驚いた様子のサラリーマンは30代後半といった印象。訝しむように俺を見、樹里ちゃんを見る。
「はると?」
酷く怯えた声で、樹里ちゃんが俺の名前を呼ぶ。
「そうなのかい?」
サラリーマンが樹里ちゃんに問いかける。樹里ちゃんは震える手を口元に添え、ゆっくりと頷いてくれた。それを確認したサラリーマンは少し不満げに鼻から息を吐き、掴んだ腕をほどいて何も言わずに立ち去る。
「すみません!ご迷惑をおかけしました!」
尚も震える樹里ちゃんに代わり、サラリーマンに謝罪する。サラリーマンは一度たりとも振り返ることは無かった。樹里ちゃんと向き合う。彼女は黒い瞳を左右に激しく動かしながらなんとか言葉を紡ごうとしている。
「あ、あたし…その…」
「とりあえずさ、家行こっか。ここは話をするのに不向きにも程があるからさ。」
先ほどのカップルがすぐ後ろのホテルの目の前で止まる。女が催促をすると男がお金を渡し、女が枚数を数えた後、笑顔でホテルの中に入っていった。
*
「入ってよ。何もないところだけどさ」
「…お邪魔します」
樹里ちゃんをアパートに招く。冷蔵庫の隣に荷物を置いてもらい、人をダメにするという謳い文句から衝動買いしたビーズクッションに座ってもらう。
ちなみにこちらの商品、高さが100センチ、横幅50センチほどあり、縦にして座ると背もたれができ、横にすると上で寝転がれるという代物でございます。超便利。
俺はというと、その隣の地べたにどっかりと座り込むのだが
「えっいいよ悪いし。こっち使って」
と言いながら、ビーズクッションに座り込みその心地よさにうっとりしていた樹里ちゃんが立ち上がった。
「あぁいいよ俺は床で。樹里ちゃんは招かれてる側なんだし、疲れてるでしょ。さぁほら、座り直してそのクッションを堪能するがいいさ!」
「なんで誇らしげなのか分からないけど…それならこうして…ほら、こっち」
立ててあるクッションを横にして端に座り、ポンポンと空いたスペースを叩き、座るよう促す樹里ちゃん。断る理由もないためご厚意に甘え座らせていただく。服が軽く触れ合うほどの距離だ。
「っにゃ!?」
「あ、ごめん…」
位置取りが悪く座り直そうとすると思い切り肩と肩がぶつかってしまう。可愛すぎる悲鳴に少し笑みが溢れてしまう。
「……」
「……」
無言の時間が続く。色々聞きたいことはあるが、あの状況を目撃していけしゃあしゃあと聞けるはずがない。
「…あたし、あんまりお金持ってきてなくて」
どうするべきかと悩んでいると、クッションの上で体操座りをする樹里ちゃんが独り言を言うようにぽつりと言った。目線は斜め下を見ており、言いにくいことであるのは明らかだった。
「陽斗のとこに戻ろうか悩んで駅のベンチで座ってたらあの人が話しかけてきて…出稼ぎに来た女の子みたいな見た目だったからそういうのだと間違えられたんだと思う。けどあたしもお金が欲しかったし、なんかもうどうでも良くなってついていっちゃって…」
そして俺が追いつき未遂にすんだ、というわけか。概ね俺の想像通りであった。
「何もされてないのね?」
「う、うん。ちょっと肩に手回されたくらい」
「……はぁぁぁぁ、良かったぁ」
と同時にそんな声が漏れる。あと一歩遅かったら。考えたくもない。状況がようやく分かったところで、俺はキッと樹里ちゃんに向き直り、その頬を手で勢いよくサンドイッチする。流石にこれにはその優しさのあまり菩薩と名高い俺(自称)にも思うところがあったからだ。
サンドイッチされおちょぼ口となった樹里ちゃんが目をパチクリとさせる。一種の変顔なのに可愛さをキープしているのはさすがと言える。
「…いひゃい。」
「女の子が!簡単に!身体を売るんじゃあ!ありません!」
単語で区切るごとにサンドイッチする手に力を入れる。言い切る頃には樹里ちゃんの顔は原型を留めていなくなってしまった。
「一度そういうことに身を染めちゃうとさ、その経験は悪い意味で一生樹里ちゃんに付き纏うんだ。一時の気の迷いで一生後悔する。お願いだから二度とあんなことしないでほしい」
樹里ちゃんから反応はない。手持ち無沙汰になりなんとなく頬を円を描くようにグリグリ回していると、その手がしめっていることに気づく。手を離すと樹里ちゃんの大きな瞳に涙が溜まっているのが分かった。慌てて手を離す。
「あ、いや、ごめん。馴れ馴れしく触ったりして–––」
「…あたしだってあんなことしたくなかったよぉ!」
彼女に触れてしまったことに対する俺の謝罪を遮る、悲鳴にも似た声が響く。その発言を皮切りにポロポロと涙を零す樹里ちゃん。女の子の涙に耐性のない俺はどうすればいいのか分からず、とりあえず箱ティッシュを樹里ちゃんの前に差し出した。
樹里ちゃんはえずきながらなんとか言葉を繋ぐ。
「いろんな友達の家に行って…けどダメで。でも陽斗ならって…陽斗ならなんとかしてくれるかもって…そう思って少ないお金で電車乗り継ぎして…やっとたどり着いたのに冷たく追い返されて…そんなの…そんなの…」
そんなこと俺に言われたって、とは到底言えなかった。俺の目も憚らず咽び泣く樹里ちゃん。弱音を吐く彼女は見たことがなく、俺には何もすることができなかった。
甘く、見ていた。
彼女が家を出た理由を軽んじていた。せいぜい、長期間家を出ることで親を心配させたいという強がりだろうと高をくくっていた。
樹里ちゃんが最初にアパートを訪れた時、冗談を言っていいような状況でなかったことは、今の彼女の涙を見れば明らかだった。
彼女の目線では、俺はその居候生活の最後の頼みの綱であり、そして俺のおふざけのせいで絶望の淵においやられた。こちらとしてはそのつもりは毛頭なかったが、追い詰められていた彼女がそう感じてしまったのは俺の責任だ。
俺は黙って彼女が落ち着くのを待った。
数分後、ようやく泣き止んだ樹里ちゃんは、ちーんとティッシュで鼻をかみ、それを俺に渡してくる。
「小学生が思いつくような嫌がらせしてくるくらいには元気になったって思っていい?」
「うん。…ごめん。」
「いや、いいけどさ。とりあえずこのティッシュはメルカリに売るとして…」
「ゴミで商売しようとしないで!?」
「ゴミじゃないよ。現役JDの使用済みティッシュ。全国のモテない男子からの需要は計り知れない…ってのはまぁ冗談だけどさ。まずは誤解を解かせてほしい。俺は別に樹里ちゃんを追い返そうとしたわけじゃないんだよ。」
現役JD、の辺りで少し困ったような表情をした樹里ちゃんが少し気になるが、構わず言葉を続ける。
「とりあえず話がしたかったんだ。なんで樹里ちゃんが居候しようとしてるのかとか、聞きたいことは山ほどあったんだよ。だからひとまず部屋に入ってもらって、一個ずつ話をしていってちゃんと樹里ちゃんのことについて分かったら答えを出そうと思ったんだ。まぁ、ずっとここにってのは厳しいけど、1週間くらいなら全然うちにいてくれて良かったしね。ただまぁ、久々に会えた嬉しさから少しばかりはしゃぎすぎてしまいまして…誤解を生むような発言をしたのは申し訳ない。それは謝ります。ごめんなさい。」
深々と頭を下げる。言いたいことは言った。上目遣いで樹里ちゃんを見ると、彼女は少しはにかみながら、かかえた膝の上に頭を置いてこちらを見ていた。どこか色気のあるその姿に少しドキリと胸が高まってしまう。
「…そう、だったんだ。」
「そう、なんすよね。てなわけで、ひとまず話し合いタイムを設けたいわけなんだけど。よろしい?」
「あ、うん。なんでも聞いていいよ?」
体操座りを解き、むん、と胸の前で握り拳を作る樹里ちゃん。いちいち動作が可愛らしい。なんでも、ということなのでひとまず最も気になっていることから。
「樹里ちゃんはなんで居候しにきたの?家出?」
「…多分そう、部分的にそう。」
「アキネーター?」
どこか歯切れの悪い解答をする樹里ちゃん。胸の前で握られた拳が力なく彼女の膝の上に落ちる。
「まぁ、言いづらいことなら無理にとは言わないけどさ。」
「…待って、言います。言わせてください。」
覚悟を決めたのか、立ち上がってスーツケースの中をさぐる。戻ってきた彼女が手にしたのは分厚い真っ赤な本。
その表紙には超一流大学の名前があり、その下には医学部と示されている。俗に言う赤本だ。それぞれの難関大学の過去数年の試験がまとめられており、受験対策として一役買ってくれる、受験生の頼れるお供。俺も3年ほど前にお世話になったものだ。
それにしても、まだ持っているとは物持ちがいい。大学受験を終えたなら捨ててしまっていてもおかしくはないのだが。して、その赤本が居候と何の関係があるのだろう?
「実はあたし、まだ大学に行けていません。」
「ほう。」
なんだろう、お金の問題とかかな?
「というか、入学してません。なんなら、合格すらしたことありません。」
「ほう?」
「浪人生活3年目に突入しています。」
「ほーぅ!?」
漫画だったら、今の俺の顔は目ん玉がポンと飛び出すように描かれているだろう。
樹里ちゃんの持つ赤本、そこには20XX年度版、と俺達が高校卒業後受験した翌年、つまり昨年販売されている。
それは樹里ちゃんが去年も大学受験をしていたという紛れもない証拠であり、つまるところ、俺は大学3年生なのに対し、樹里ちゃんは浪人3年生ということになる。
「…は?」
「いやいや、は?じゃなくて。無理です」
「…え?」
「いやいや、え?じゃなくて。無理です」
「いやいや、無理です。じゃなくて。今のは完全に迎えいれる流れだったでしょ。あんな笑顔見せてきてさ」
「いいかい樹里ちゃん。物事がなんでも自分の思い通りに進むと思ったら大間違いだよ?」
「…正論すぎて何も言い返せないじゃない!!」
その場で大きく項垂れる樹里ちゃん。非道だと思われてしまうかもしれないが、俺は俺の考えを持って、居候したいという彼女のお願いを丁重にお断りさせていただいている。
「いつから陽斗はそんなド畜生キャラになっちゃったのよ…」
「ド畜生キャラって…。いくら樹里ちゃんのお願いでもそれは無理だよ。まずこのアパートは一人暮らし学生向けのアパート。まぁ社会人の人もいるけどそれでも一人暮らし向けなんだ。2人が満足に暮らせるほどの広さじゃない」
「う…」
「そもそもこのアパート、シェアハウスとか同棲とかその辺の類のは禁止されてるし。管理会社側も家賃諸々の配分とかでの面倒ごとは避けたいしね」
「うぅ…」
「それに、俺は男で樹里ちゃんは女。男女が屋根の下で共に生活するのは論理的に考えてちょっと…ってのは分かるよね?」
淡々と事実を羅列していく。彼女には申し訳ないが、長年お世話になってるアパートに迷惑をかけたくない。樹里ちゃんには恩を感じているし、なんとか助けてあげたいとは思うけれど、無理なものは無理だ。だからといって無下にするわけでもない。
「だからさ、樹里ちゃん。…樹里ちゃん?」
妥協案を提示しようとピンと指を立てるのだが、項垂れる樹里ちゃんがふるふると震えているのが分かった。まずい、これは…
「うるさいうるさい!もういいバカ!バカ!バーカ!えーっと…バーカ!」
「暴言のレパートリーの少なさに育ちの良さを感じますっ!」
「バカバカ…あっ、アホ!」と罵詈雑言を浴びさせ、バタバタと大きく音を立てて部屋から飛び出る樹里ちゃん。慌てて扉に付いている覗き穴を覗き込むと、樹里ちゃんは子供のようにあっかんべーをし、ひたすらバカバカと連呼しながら怒ったように去ってしまった。
「…居候は無理だけど二、三日泊まるのはオッケーだからひとまず中に入ったら、って言おうと思ったんだけどな。」
何度も言うように、俺は出来る限り彼女に味方してあげたいし、困ってるなら助けてあげたい。
そのための代案を提示しようとしたのだが…久々の邂逅に興が乗ってしまい思ってもないことまで言ってしまった。ああなってしまった樹里ちゃんはこちらの言うことに耳を貸してくれない。
なぜ居候をしたいのか、彼女の親はこの事を知っているのか、そしてなぜ、俺を選んだのか。そんな疑問だけを残し、樹里ちゃんは風のようにいなくなってしまった。
「…とりあえずスーパー行く?」
本当に困っているなら、落ち着きを取り戻した樹里ちゃんはまた家に訪問してくるはず。今追いかけるのは得策ではない。そんな楽観的な思考のもと、ひとまず本来の予定であった買い物を済ませ、彼女を待つことにする。
それにしても、何かの節目でもないこのタイミングで、あれだけの荷物を持ち、年頃の女の子が居候を?
居候とは、他人の家で衣食住を養ってもらうということ。ちょっと今日泊めて~というのとはわけが違うのだ。それだけの理由が、今の樹里ちゃんにはあるのだろうか。
…いや、考えても仕方がないか。
*
結局、予想に反して夜になっても樹里ちゃんは帰って来なかった。夕食を済ませ据え置きのゲームをしながら、頭は樹里ちゃんのことでいっぱいだった。ろくに集中できず、コントローラーを放り投げ寝転がる。
「そうだ、連絡先…は無理か」
スマホになら彼女の連絡先が入ってるはずだからそれで連絡を、と思ったのだが、スマホ買い替えの際にデータが吹き飛び、大学以降の友人と家族、バイト先くらいしか入っていない。
なんとなく、嫌な予感がした。
…もしまだ樹里ちゃんが泊まり先が見つかっておらず、1人夜の街を彷徨っているとしたら…
ここら辺は治安は悪くはないが、どこに誰が潜んでいるかは分からない。もしかすると悪い奴らに見つかり、酷い目に遭っている…
「あぁもう…!」
曲がりなりにも俺たちは幼なじみ。樹里ちゃんがどっか行ったからもう知りませんとはなりたくない。
樹里ちゃんが心配。とにかく心配だ。ジャケットを羽織り家を飛び出す。とはいえ、樹里ちゃんと別れてから時間が経っており、考えもなしに飛び出しても時間の無駄だ。
「樹里ちゃんの行きそうなところ…」
あの荷物の量。バスやらタクシーやらの公共交通機関を使っていなければ、そこまで遠くにいってないはず。ホテル等で安全に寝泊りしているならそれでいい。俺の取り越し苦労ならば万々歳だ。
近所のコンビニ、スーパーを探し回り、店員さんに大きなスーツケースを持った女の子が来なかったか聞いてみるものの収穫はなし。完全に日は落ち、真っ暗となった公園を駆け回るものこちらも収穫なし。近くのバス停にもいない。
「はぁっ…あとは…」
息を切らせながら最寄りの駅へと向かう。ここら辺ではそれなりの規模を持つ駅は仕事終わりのサラリーマンで溢れ返っている。駅周辺のベンチや休憩所に立ち寄り、人混みをかき分け改札口へ。
「…いない、か。」
しかしそこにも樹里ちゃんの姿は無かった。
駅にもいないとなると、もう外にはいないのかもしれない。
膝に手を置き肩で息をする俺を、不思議そうな目で見ながら腕を組んだカップルが横切った。
女性の方は化粧が濃く、若く派手な見た目をしているが、男性の方は40代半ばくらいで恰幅の良い身体をしており、頭頂部はかなり涼しそうで、言葉を選ばずに言わせてもらうとハゲたデブのおじさん。カップルと言うには少し歳が離れすぎている。
そんな2人は駅を出て左のエスカレーターに消える。
…まさか。
一抹の不安が拭いきれず、駅を出てホテル街にむかう。駅から右に向かうとビジネスホテルなどが立ち並んでいるが、左に向かうとラブなホテルが続いている。迷わず左に向かい、先程のカップルを追い抜く。
「はぁっ…はぁっ…」
額に流れる汗を乱暴に拭い周りを見渡す。スーツケースを2つ、ゴロゴロと地面に転がしながら歩いている女性を見つけた。見間違えるはずもない、樹里ちゃんだ。
隣にはスーツを着たサラリーマンがおり、今にもホテルに入ろうとしている。樹里ちゃんはホテルの前で立ち尽くしており、痺れを切らしたサラリーマンが樹里ちゃんの腕を掴んだ。
最悪のケースが頭に浮かび、全速力で樹里ちゃんの元に走る。なんとか間に合い、腕を引くサラリーマンの肩に手を置く。サラリーマンはギョッとした顔で俺を見る。
「すみっ…すみません!その子俺のツレで…離してもらっていいっすかね?」
驚いた様子のサラリーマンは30代後半といった印象。訝しむように俺を見、樹里ちゃんを見る。
「はると?」
酷く怯えた声で、樹里ちゃんが俺の名前を呼ぶ。
「そうなのかい?」
サラリーマンが樹里ちゃんに問いかける。樹里ちゃんは震える手を口元に添え、ゆっくりと頷いてくれた。それを確認したサラリーマンは少し不満げに鼻から息を吐き、掴んだ腕をほどいて何も言わずに立ち去る。
「すみません!ご迷惑をおかけしました!」
尚も震える樹里ちゃんに代わり、サラリーマンに謝罪する。サラリーマンは一度たりとも振り返ることは無かった。樹里ちゃんと向き合う。彼女は黒い瞳を左右に激しく動かしながらなんとか言葉を紡ごうとしている。
「あ、あたし…その…」
「とりあえずさ、家行こっか。ここは話をするのに不向きにも程があるからさ。」
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*
「入ってよ。何もないところだけどさ」
「…お邪魔します」
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「えっいいよ悪いし。こっち使って」
と言いながら、ビーズクッションに座り込みその心地よさにうっとりしていた樹里ちゃんが立ち上がった。
「あぁいいよ俺は床で。樹里ちゃんは招かれてる側なんだし、疲れてるでしょ。さぁほら、座り直してそのクッションを堪能するがいいさ!」
「なんで誇らしげなのか分からないけど…それならこうして…ほら、こっち」
立ててあるクッションを横にして端に座り、ポンポンと空いたスペースを叩き、座るよう促す樹里ちゃん。断る理由もないためご厚意に甘え座らせていただく。服が軽く触れ合うほどの距離だ。
「っにゃ!?」
「あ、ごめん…」
位置取りが悪く座り直そうとすると思い切り肩と肩がぶつかってしまう。可愛すぎる悲鳴に少し笑みが溢れてしまう。
「……」
「……」
無言の時間が続く。色々聞きたいことはあるが、あの状況を目撃していけしゃあしゃあと聞けるはずがない。
「…あたし、あんまりお金持ってきてなくて」
どうするべきかと悩んでいると、クッションの上で体操座りをする樹里ちゃんが独り言を言うようにぽつりと言った。目線は斜め下を見ており、言いにくいことであるのは明らかだった。
「陽斗のとこに戻ろうか悩んで駅のベンチで座ってたらあの人が話しかけてきて…出稼ぎに来た女の子みたいな見た目だったからそういうのだと間違えられたんだと思う。けどあたしもお金が欲しかったし、なんかもうどうでも良くなってついていっちゃって…」
そして俺が追いつき未遂にすんだ、というわけか。概ね俺の想像通りであった。
「何もされてないのね?」
「う、うん。ちょっと肩に手回されたくらい」
「……はぁぁぁぁ、良かったぁ」
と同時にそんな声が漏れる。あと一歩遅かったら。考えたくもない。状況がようやく分かったところで、俺はキッと樹里ちゃんに向き直り、その頬を手で勢いよくサンドイッチする。流石にこれにはその優しさのあまり菩薩と名高い俺(自称)にも思うところがあったからだ。
サンドイッチされおちょぼ口となった樹里ちゃんが目をパチクリとさせる。一種の変顔なのに可愛さをキープしているのはさすがと言える。
「…いひゃい。」
「女の子が!簡単に!身体を売るんじゃあ!ありません!」
単語で区切るごとにサンドイッチする手に力を入れる。言い切る頃には樹里ちゃんの顔は原型を留めていなくなってしまった。
「一度そういうことに身を染めちゃうとさ、その経験は悪い意味で一生樹里ちゃんに付き纏うんだ。一時の気の迷いで一生後悔する。お願いだから二度とあんなことしないでほしい」
樹里ちゃんから反応はない。手持ち無沙汰になりなんとなく頬を円を描くようにグリグリ回していると、その手がしめっていることに気づく。手を離すと樹里ちゃんの大きな瞳に涙が溜まっているのが分かった。慌てて手を離す。
「あ、いや、ごめん。馴れ馴れしく触ったりして–––」
「…あたしだってあんなことしたくなかったよぉ!」
彼女に触れてしまったことに対する俺の謝罪を遮る、悲鳴にも似た声が響く。その発言を皮切りにポロポロと涙を零す樹里ちゃん。女の子の涙に耐性のない俺はどうすればいいのか分からず、とりあえず箱ティッシュを樹里ちゃんの前に差し出した。
樹里ちゃんはえずきながらなんとか言葉を繋ぐ。
「いろんな友達の家に行って…けどダメで。でも陽斗ならって…陽斗ならなんとかしてくれるかもって…そう思って少ないお金で電車乗り継ぎして…やっとたどり着いたのに冷たく追い返されて…そんなの…そんなの…」
そんなこと俺に言われたって、とは到底言えなかった。俺の目も憚らず咽び泣く樹里ちゃん。弱音を吐く彼女は見たことがなく、俺には何もすることができなかった。
甘く、見ていた。
彼女が家を出た理由を軽んじていた。せいぜい、長期間家を出ることで親を心配させたいという強がりだろうと高をくくっていた。
樹里ちゃんが最初にアパートを訪れた時、冗談を言っていいような状況でなかったことは、今の彼女の涙を見れば明らかだった。
彼女の目線では、俺はその居候生活の最後の頼みの綱であり、そして俺のおふざけのせいで絶望の淵においやられた。こちらとしてはそのつもりは毛頭なかったが、追い詰められていた彼女がそう感じてしまったのは俺の責任だ。
俺は黙って彼女が落ち着くのを待った。
数分後、ようやく泣き止んだ樹里ちゃんは、ちーんとティッシュで鼻をかみ、それを俺に渡してくる。
「小学生が思いつくような嫌がらせしてくるくらいには元気になったって思っていい?」
「うん。…ごめん。」
「いや、いいけどさ。とりあえずこのティッシュはメルカリに売るとして…」
「ゴミで商売しようとしないで!?」
「ゴミじゃないよ。現役JDの使用済みティッシュ。全国のモテない男子からの需要は計り知れない…ってのはまぁ冗談だけどさ。まずは誤解を解かせてほしい。俺は別に樹里ちゃんを追い返そうとしたわけじゃないんだよ。」
現役JD、の辺りで少し困ったような表情をした樹里ちゃんが少し気になるが、構わず言葉を続ける。
「とりあえず話がしたかったんだ。なんで樹里ちゃんが居候しようとしてるのかとか、聞きたいことは山ほどあったんだよ。だからひとまず部屋に入ってもらって、一個ずつ話をしていってちゃんと樹里ちゃんのことについて分かったら答えを出そうと思ったんだ。まぁ、ずっとここにってのは厳しいけど、1週間くらいなら全然うちにいてくれて良かったしね。ただまぁ、久々に会えた嬉しさから少しばかりはしゃぎすぎてしまいまして…誤解を生むような発言をしたのは申し訳ない。それは謝ります。ごめんなさい。」
深々と頭を下げる。言いたいことは言った。上目遣いで樹里ちゃんを見ると、彼女は少しはにかみながら、かかえた膝の上に頭を置いてこちらを見ていた。どこか色気のあるその姿に少しドキリと胸が高まってしまう。
「…そう、だったんだ。」
「そう、なんすよね。てなわけで、ひとまず話し合いタイムを設けたいわけなんだけど。よろしい?」
「あ、うん。なんでも聞いていいよ?」
体操座りを解き、むん、と胸の前で握り拳を作る樹里ちゃん。いちいち動作が可愛らしい。なんでも、ということなのでひとまず最も気になっていることから。
「樹里ちゃんはなんで居候しにきたの?家出?」
「…多分そう、部分的にそう。」
「アキネーター?」
どこか歯切れの悪い解答をする樹里ちゃん。胸の前で握られた拳が力なく彼女の膝の上に落ちる。
「まぁ、言いづらいことなら無理にとは言わないけどさ。」
「…待って、言います。言わせてください。」
覚悟を決めたのか、立ち上がってスーツケースの中をさぐる。戻ってきた彼女が手にしたのは分厚い真っ赤な本。
その表紙には超一流大学の名前があり、その下には医学部と示されている。俗に言う赤本だ。それぞれの難関大学の過去数年の試験がまとめられており、受験対策として一役買ってくれる、受験生の頼れるお供。俺も3年ほど前にお世話になったものだ。
それにしても、まだ持っているとは物持ちがいい。大学受験を終えたなら捨ててしまっていてもおかしくはないのだが。して、その赤本が居候と何の関係があるのだろう?
「実はあたし、まだ大学に行けていません。」
「ほう。」
なんだろう、お金の問題とかかな?
「というか、入学してません。なんなら、合格すらしたことありません。」
「ほう?」
「浪人生活3年目に突入しています。」
「ほーぅ!?」
漫画だったら、今の俺の顔は目ん玉がポンと飛び出すように描かれているだろう。
樹里ちゃんの持つ赤本、そこには20XX年度版、と俺達が高校卒業後受験した翌年、つまり昨年販売されている。
それは樹里ちゃんが去年も大学受験をしていたという紛れもない証拠であり、つまるところ、俺は大学3年生なのに対し、樹里ちゃんは浪人3年生ということになる。
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