枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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エトワール・ノワールの燭光③

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■ 邨埜純色の礼拝堂(承前)

邨埜純色の胸中に深紅の殺意が燻ぶった。青白い種火は彼女が心の奥底に抑圧してきたマイナス感情に燃え移り、たちまちオレンジ色に燃え上がった。こんなはずじゃなかった。感情に押し流された自分を罵る。
戦乱に明け暮れる対立関係を隣人愛で修復できない理由は人間自身が物質の根本を理解できていないからだ。とかく精神論者は物質を排除したがる。万物は移ろいやすく壊れやすい。だからこそ形を持たない「精神」を生活の拠り所にすべきだ。と、解く。それが間違いである事は数千年の歴史を誇る既存宗教が証明している。事実、現実問題を何一つ解決できていない。
運命量子色力学研究所には「物質の結合こそが人間同士の接着剤だ」と信じる人々が訪れる。迷える彼らと純色は二人三脚で絆の本質を手探りしていた。それも、たった今、行き詰った。感情の昂ぶりが純色の理論をいとも簡単に突き崩した。小佐野ヨリコは研究所設立当初からの最古参だ。寝食を共にして十年になる。家族同然であり、理論が提唱する絆の完成版であるヨリコとの関係なくしては語れない。研究所を襲った武装集団は、色力学の具体的な研究材料となるホウ素12Λハイパー核を奪いに来たのであるが、思いのほか純色の理論を岐路に立たせた。
「ハイパー核が有るはずよ」
「あのババア、どこに隠しやがった」
強盗団は勝手なことをいっている。
「しくじったぜ。そいつの口を割らせておくんだった」
女子プロレスラー風の女がブーツの先でヨリコを遠ざける。
「こいつを吊るしておけばいいんじゃない? ババアが血相変えて戻ってくるよ」
さっきのリーダー格が部下に命じてヨリコを縛った。礼拝堂の入り口に逆さづりした。鼻から上を失った遺体は生前の面影はない。ただ、鮮血がボタボタと黒い床を濡らしている。
「――ッ!」
ここまでされては純色も黙っておけない。涙をこえて復讐心を滾らせる。有志の勉強会はカルト集団でもテロリスト組織でもない。社会秩序を叫ぶ潔癖症患者に危険視される言われはない。彼女は憤懣やるかたない思いをマドレーヌにぶつけた。
「流血で解決しようなんてナンセンスよ。復讐の連鎖を生むだけなのに」
「でも量子色力学もヨリコを救えなかったじゃない」
マドレーヌは身もふたもないことを平気で言う。
「門外漢が知ったような口を利かないで」
邨埜純色は冷静沈着さをかなぐり捨てて激昂した。そこには科学者としての矜持は微塵もなかった。礼拝堂を穢した連中はホウ素12Λハイパー核種を見つけようと躍起になっている。自然界に存在するホウ素10に荷電粒子を照射し出来るホウ素12はラムダ粒子と呼ばれる。他にもラムダ粒子は存在するが、これらは物質どうしを結びつける根源的な物理法則に当てはまらない奇妙な振る舞いをする。自然はすべて対称性に満ちており、プラスとマイナス、作用と反作用、物質と反物質、相反する要素がペアを組んでいる。ラムダ粒子はそれらの束縛を破壊するアウトロー的な属性を持っている。ただし、それ故に寿命も極端に短い。数億分の一秒にも満たない。大宇宙は「異分子」の存在を許さないのだ。
しかしながら純色が住まう【マインツ】の世界は数ある異世界の中でも、何故かラムダ粒子の寿命が長く、入手も容易だった。
 強盗団が単なる野盗の群れか、組織的な背後があるのか定かではない。が、枢軸の狙いははっきりした。
 しかし、眼前のマドレーヌは枢軸から来たという。自分の旗色はどちらに染めるべきか。マドレーヌは値踏みする様な視線をよこす。熟考の末に純色は結論を出した。

「人間としてのルールと常識は一から十まで互恵に裏打ちされたものよ。宿命量子色力学は絆の価値を高める。私の支持者のために戦うわ」
「マインツのためでなく?」
マドレーヌが意地悪な質問をする。
「量子色はどんな世界でも普遍よ」

■ 地獄 寂寥の漠野駅 南方 虚無山

TWX666Ωは駅の南側にある急斜面に停車していた。保線区武装司令部が地獄からの侵入に備えて強固な地下要塞を構築してある。軌道はフル規格で重武装した軍用列車も走行可能だ。ホームは断崖絶壁にカムフラージュしてあり、遠くに寂寥の漠野駅の連合軍列車が見下ろせる。

「こんなところ、二度と願い下げだと言ったのに~」
いつものハーベルトらしくない。戦闘指揮車のシートで座り心地が悪そうに何度も脚を組み替える。
「黒歴史でもあるんですか? 顔に一刻も早く帰りたいって書いてありますよ」
風吹の問いにハーベルトは嫌そうな顔で答えた。
「鬼よ。鬼が棲んでいるの。新人乗務員の貴女は見たことがないでしょうけど」
「それって、頭に角が生えている?」
「童話や絵本のイメージを根底から覆す存在よ。粗暴ってだけじゃないの。そりゃ暴力一辺倒の奴もいるけど、エリート層が邪悪なの。落ちくぼんで陰険な目つきをしていて、もっと狡猾で、禍々しいオーラをプンプンしているの」
ハーベルトによると人間そっくりで背広を着た個体もいるという。マンハッタンの様な大都市を築いて地上から来た亡者と地獄の一丁目で事業展開している輩もいる。
「ハーベルトはうっかりそいつと恋……」
つい漏らした望萌の口をハーベルトが「わああ」と慌てて塞ぐ。
「鬼のハーベルト閣下も女の子なんですね」、クスクスと笑う風吹。
「うっさいわね! 誰だってコロっと騙された黒歴史の一つや二つ、持ってるでしょう!」
ハーベルトがムキになっている間に留萌がフリップを用意した。黒い不気味な車両が止まっている。F117ステルス戦闘機のように鋼材を張り合わせた無骨なデザインだ。
「斥候隊員が命がけで得た最新情報です。ALX427ψに間違いありません」
「不知火高美がキッチリと地獄に落ちてるなんて笑っちゃうわね」
さんざん煮え湯を飲まされたハーベルトが写真を見やる。百裂鬼と旧スペースX関係者の会合が鮮明に捉えられている。
「あんたが祥子と一緒に叩き込んだんでしょうが!」、と留萌。
「どうします。暫く様子を見ますか?」
ハウゼル列車長は全体の運行責任を担っている。慎重な出方を暗に求めた。
「ドイチェラントから戦車隊を呼んで一気呵成に叩きましょう」
奇襲を提案したのは望萌だ。彼女はブリーフィングの類が苦手で、早く終わる魔法が欲しいと思ったのだ。もちろん本気ではない。刺激的な意見が会議を促すだろう。
「それが一番ね。連合も枢軸特急の運用経験が浅いでしょう。出鼻をくじいてトラウマにしてやるわ」
ハーベルトがあっさりと決断した事に一同は驚いた。彼女もまた早期解決を望んでいた。

■ 要塞駅操車場
ハーベルトはゲルマニアの官邸と協議した結果、機甲師団でなく陸上列車砲術軍の派遣が決定した。
カイザー・ヴィルヘルム砲は別名パリ砲とも呼ばれドイッチェラント陸軍が来たるべき西部戦線攻略のために開発した巨大な列車砲である。サラメーヤの鳩など獄卒鳥と呼ばれる飛行生物が飛び交う地獄大陸で誘導兵器の運用することは、不可能でないが難易度が高い。火砲の独壇場である。
砲弾を空気が希薄な高さまで打ち上げると、射程距離が飛躍的に向上する。空気抵抗が減じられるからだ。ドイッチェラント軍はこの事実から列車砲の着想を得た。地獄の大気でも同様の効果が得られる。
パーツを載せた貨物列車がひっきりなしに入線し、工兵部隊が突貫工事で組み上げていく。煌々とした照明を浴びて操車場の転轍機よろしく全長28メートルの砲身が屹立する。砲弾のサイズも特大だ。ドラム缶よりは小さいが重量は90キロを超える。
ハーベルトは平台に地図を広げて目標を選定している。
「フムン。考えたわね。資材や人員を施設丸ごと地獄に落とし込むとはね」
刑場跡が落下地点に指定されており、よどんだ曇天から薄汚れたコンテナが揺らめきながら降りてくる。百裂鬼の作業員は訓練が行き届いているらしく、テキパキと亡者を誘導している。罪人を滞留させていた空き地に宿舎が建てられ、さながら地獄のベースキャンプと化している。最新の偵察情報によれば、連合国本土からの輸送体制が確立するまでは空輸に頼るようだ。
「重点目標はここの操車場予定地と現在稼働中のコンテナヤード。それに変電所」
ハーベルトがテキパキと印を付けていく。
「対空銃座の類は見当たりませんでした」
若い女の偵察員が自信たっぷりに答える。腕に包帯を巻いており、獅子奮迅ぶりがうかがえる。
「結構。作戦開始よ」
ハーベルトが総員戦闘配置を命じた。

■ 要塞駅変電施設

「警戒厳重なTWX666Ωをどうやって乗っ取るの?」
「しっ」
マドレーヌと純色が岩場の陰に身を潜めている。そのすぐそばを歩哨が行き交う。純色は「危険だ」というマドレーヌの忠告に耳を貸さなかった。宿命量子色力学(QCD)の徒をあちこちの異世界からかき集めるためには枢軸の輸送機関が必要だと言うのだ。圧倒的な火力を誇る相手には数の暴力で勝るしかない。
「宿命量子色力学の面目躍如よ。枢軸特急の施設が半死半生のシュレーディンガーキャットでできていることは調べがついているのよ。だから冥界にもフリーパスできる」
純色がどうやって魔法を使うのかマドレーヌは興味津々に見守った。岩場の間から
「大仰な呪文でも唱えると思ってるでしょ? 至ってシンプルよ」
純色はスカートのポケットから携帯サイズの装置を取り出した。見透かされたマドレーヌはばつが悪そうに笑う。
「カロリーメーターよ。本来の意味で使う機器ではないけど、発動を促す”トリガー”として象徴的な役割を果たしてる」
マドレーヌの眼前でスイッチを入れる。液晶画面に複雑なデジタル表示がうごめき、数値が8の字の残像になる。
「物質同士を結び付ける力は強すぎて不確定性原理をある程度、減殺させるのよ。パッと目を離した瞬間に物が飛び散らないのは、そのせい」
純色が機器を調整すると、変圧器が虹色に揺らぎ始めた。
その時だった。毛むくじゃらの手が純色の腕をつかんだ。そのまま高々と差し上げて、パッと離す。ドスンと尻餅をついた純色は思わずカロリーメーターを手放した。岩場を転がり落ちていく。マドレーヌが慌ててて後を追うと、毛むくじゃらの足がカロリーメーターを踏みつけた。
「ここで何をしている」
野太い声。マドレーヌの眼前に棍棒が迫ってきた。
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