枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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針鼠の恋愛事情(グリーパス・スタン・アマルガムハート)  ⑤

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 ■ 異世界グリーバス(承前)
 天井裏からカーミラの嬌声が聞こえてくる。またインフォプレナーに興じている。よくあれだけ吼えて飽きないものだ。
 ラングドシャはくたびれたビジネススカートをハンガーに架け、下着一枚になった。原色のビキニに履き替え、フリフリのドレスを纏う。店に出勤するまであと一時間を切った。急いで娘たちに夜食と明日の朝食を準備しなければならない。
 こんな時に夫がいてくれたら、とラングドシャは吐息をついた。
 女は疲れるとつい暗い過去を思い出す。
 ラングドシャ・ルシャットは気苦労の多い女性だ。カーミラは逆子で難産だった。生まれつき病弱で部分視覚障害を持っている。チェシャは妻の高齢出産に猛反対したが彼女の意思が硬いとみるや、「勝手にしろ」と新しい女の元へ去った。
 臨月を迎えたある日、身重のラングドシャは乏しい出産準備金を取り崩して探偵を雇った。逢引の現場を押さえ、慰謝料請求権を振りかざして果敢に乗り込んだ。
 ところが、そこにいたのは見知らぬ第三の女。まだあどけなさが残るプラチナブロンド娘が下着を膝までおろし、チェシャの浮気相手とベッドルームで絡み合っていた。
「あの人をどこへ隠したの? この雌犬」
 ラングドシャはブロンド娘のぱんつを掴んで引きずり倒した。つかつかとビッチに詰め寄り、きつく締めあげる。
「うるさいねぇ!」
 不倫女はラングドシャに後ろ回し蹴りを食らわせ、破水に追い込んだ。救急車のサイレンに頭蓋骨が打ち震える中、娘の無事な誕生を願った。
「うぐぅ……」
 古傷が傷む。
 ラングドシャはスカートをへそまでたくし上げ、ポリエステル地のブルマをアンダースコートごと膝まで降ろす。みぞおちを手術痕が縦断している。リュミエールも帝王切開で生まれた。一度、切ってしまうと子宮破裂のおそれがあるためし自然分娩は望めない。
 それでも二人の娘は彼女にとってかけがえのない存在だ。
 天井から怒号が漏れ聞こえる。壁土がカレー鍋にパラパラと降りかかった;
「またあの子ったら……」
 ラングドシャは顔をしかめ、コンロの火を消した。エプロンで手をぬぐい、急ぎ足で勉強部屋に続く階段をあがる。
 ◇ ◇ ◇
 カーミラ・ルシャットは軽度の発達障害を抱えているが、母親の献身的な愛情と天の加護が補ってくれている。だからこそ、長女には辛く当たってしまう。手厚い庇護に依存しないように。
 それは彼女自身も自覚しているらしく、異世界の中でもとくべつ女に冷たいグリーバスで生き抜くために人脈構築しているらしい。
 母親としては本当はちゃんとした学校に通って欲しい。あのバカ雌犬どもが幅を利かせる社会に染まらないで学歴をつけて貰いたい。そんな期待を込めてカーミラを一喝した。
「いい加減にしなさい!」
 母親が部屋に踏み込んだ時、勉強机にインフォプレナーがつけっぱなしだった。
【どうしたの?】【親フラ?】【親なの】【親フラ、キタコレ】
 三次元液晶ディスプレイに吹き出しが積み重なる。親フラの「フラ」とは、徒競走でいうフライングである。つまり、生放送主の部屋に親がフライング的に乱入するハプニングを意味する。
「は? 関係ねーじゃん。つか、ローリング中なんだってば!」
 せっかくの実況を邪魔されてカーミラは怒り心頭である。その根本原因は生主が無職だったり夜中に大声で実況したり自業自得である。
「あなたねぇ。近所迷惑でしょ。試験勉強の妨げになる。リュミエールも嫌がってるでしょ」
 正論で畳みかけるラングドシャ。五分後に乗合自家用乗用車ユーバーが到着する。玄関前で彼女を拾って歓楽街に繰り出す。ホステスは彼女だけではない。待たせると同乗者に迷惑がかかるし、乗り逃がすと今度はいつ予約できるかわからない。
 だが、母親の言葉は長女に届かない。
【親フラ!】【親フラ乙】【親フラ△!】【親フラ祭りキタコレ!】
 画面にはギグラーたちの異口同音で溢れかえった。
「るせーよ。ギグラーがウザがってるじゃん!! 咆哮を楽しみにしてる人に迷惑だろーが!」
 社会経験に乏しい少女は公私の線引きが未熟で、母親よりも距離感の近いギグラーに重きを置いてしまうのも仕方ない。
「リュミエールも勉強できないって言ってるでしょ」
 机のインフォプレナーを取り上げようとラングドシャが手を伸ばす。
「汚い手で触るんじゃねーよ」
 カーミラが母親を押しのける。ラングドシャは勢い余って本棚に頭をぶつけた。彼女は外傷性硬膜下出血を起こして動かなくなった。「おかーさん? おかーさん!!」
 ラングドシャを揺り動かす妹。
 姉はまったく意に介していない。親よりも大事なインフォプレナーに取り付いて謝罪の咆哮を行う。彼女はギグラーの大幅減少を覚悟していたが、いざステータスウインドウを開いてみると、倍増していた。
「え? ナンデナンデ?」
 カーミラが戸惑うのも無理はない。インフォプレナーの咆哮AIは親子喧嘩の最中に然るべき相手に助けを求めた。彼らはその願いを聞き入れて局所的ピンポイントの地殻変動を誘発した。ルシャット一家の低所得層向け集合住宅は古い耐震基準に基づいている。階下ではリュミエールが救急隊員に事情説明している。
「あーウゼーんだよなあ」
 勉強部屋の扉がピシャリと閉じられた。カーミラは無我夢中でギグラーリストを一覧した。その中にアマラとカマラの名前があった。早とちりだったのだ。退会理由は必ずしも悪意があるとは限らない。咆哮システム認証サーバーのダウンやギグラー側のマシントラブルでカウントを作り直すこともあり得る。
「戻ってきてくれたんだ。疑ってごめんね」
 カーミラは自分の軽率さを恥じた。
 それで丸くおさまってくれればよかったが、事態は思わぬ方向に悪化した。
「――?」
 彼女は気づいてしまった。咆哮テンプレートの作者名に。通常、有用なテンプレはユーザー間で共有される。規定値デフォルトではおすすめのフィルターテンプレートをインストールする設定になっている。履歴によればアマラとカマラの共著がダウンロードされている。その直後にギグラーが異常な増え方をしている。特段、面白い咆哮をしたわけでもないのにこれは不可解だ。
「まさか、工作?」
 カーミラはいぶかしんだ。あの二人に恨みを買うほど親交は深くない。
 ダメだダメだ。物事を悪い方向に考えるのはやめよう。これは僥倖に違いない。地道な咆哮が実を結んだのだ。
 健全な人間なら、そう自分を戒めるだろう。だが、カーミラは素直に喜べなかった。
 おすすめ新着欄が更新された。
 ”※改変されたテンプレ(一件) 【爆笑! 咆哮中に親フラ】”
「これは?!」
 カーミラの懸念が確信に変わる。元テンプレの作者が良識者なら即刻削除するはずだ。それどころか、猛烈な勢いで再咆哮リロウされている。
「ざけんな!」
 彼女はインフォプレナーを壁に叩きつけた。どいつもこいつも嫌いだ。
 こんな世界、出て行ってやる。往くべきところがあれば、の話だが。少なくとも腐った社会を破壊してやる。
 彼女の邪気を感じ取った者たちは、機が熟したとみるや迎えをよこした。
【ペントラペントラ、宇宙こころの友より】
 咆哮が民間託送業者のサーバーに飛ぶ。
 予約取り消し。配車予定表、変更。新規予約追加。
 依頼人、カーミラ・ルシャット。ハバロフスク市ブラン通り。
 乗合自家用乗用車ウーバーはヒッチハイクを収益化した事業だ。ドライバーは出かけるついでに乗客を拾って小遣い稼ぎする。だから、臨機応変、神出鬼没だ。ユーバー配送センターがカーミラに吼える。
 ”お友達がお迎えにあがります”
 階下では妹が救急通報している。
 かわりに空のユーバーが到着した。妹がぐったりした母親を担ぎ上げると、カーミラが平手打ちした。
「他人の善意を無にするんじゃーねよ」
 これは母親でなく自分の乗り物だ。ドライバーも規則で予定外の人間を乗せられない、と断る。
「おか~さんがこうなったのはおね~ちゃんのせいじゃない」
 猛抗議する妹をドアで閉ざした。バックミラーを土気色の母親がよぎる。最悪の別離に感慨も後悔もない。
 むしろ、揺るぎない未来への航海に清々しい思いだ。ユーバーが加速する。汚辱と貧困にまみれたブラン通り。もう二度と戻ることはないだろう。街はずれの交差点を突き抜けてハイウェイに入る。
 グリーバスは極端な所得格差が硬直した世界だ。行きかう車は防弾使用のリムジンばかり。10分ほど走って渋滞に捕まった。
 道路情報掲示板に赤い電飾文字が躍る。
 ウラジオストク中央駅方面は一時間の渋滞。ドライバーが追加オプションの使用を薦めてきた。
 カーミラは気前よく返事した。どうせ支払いは母親名義だ。ユーバー社はラングドシャの口座から賄賂の決済を済ませた。
 ナビゲーションシステムに最寄りのパーキングエリア通用門から市道へ抜けるルートが表示される。
 もちろん、道路交通法違反だ。追加料金には反則金とドライバーの違反もみ消し依頼料と関係閣僚への謝礼が含まれている。
「コヨリ・ヌマタさん。お知合いですか?」
 ドライバーの男は配車予定表を横目でにらみながらたずねた。
「逢ったことないけど。その人、リア充なの?」
「その人、咆哮界隈では有名人っすよ」
「どう有名なの?」
「ガイキチっつーか、ちょっとアレな吼え方なんで、専用のフィルターが出回ってるす」
 カーミラは後部座席の車載インフォプレナーで過去ログを閲覧していた。コヨリは詳細な案内を送ってきた。なぜ、高名な学者がグリーバスで吼えているのか。持論なら学会でアピールすべきだろう。
 コヨリの弁によれば人材を急募しているのだという。個性的な破壊衝動の持ち主を咆哮で探している。確かに咆哮は強烈なキャラクターが履いて捨てるほどいる。セレブから社会不適合者まで飾らない自分を剥き出しに出来る。恣意的なフィルターを介して魂が響き合う。
 ユーバーは駅の反対側でカーミラを降ろした。代金は親の持ちだ。そそくさと走り去る自動車の陰からコヨリと思しき成人女性が現れた。
 二人は挨拶もそこそこにログの内容を語り合った。
「それで本気で世界を壊したいの?」
「そうです。破滅だなんて大仰なことでなくてもいいです。アマラとカマラにガツンと言わせてくれれば」
 自分を認めてくれる人が目の前にいる。それもリア充で有力者だ。カーミラは出会いの奇跡に打ち震えた。
「いいえ。十二分に活躍してもらわなきゃ。懐疑派は掘り出し物を得たのよ」
 沼田コヨリは「懐疑派」について一通り抗議した。
 異世界の滅亡に抗う二大勢力があり、そのどちらも根本から狂っている。世界の運命は地球外生命体に一任するべきなのだ。
 破滅の背景にはヤンガードライアス彗星という時空を超越した自然災害があり、懐疑派にはそれを打ち砕く技術も資金もあるという。
「……じゃあ、そのフラウンホーファー財団のメンバーとして咆哮するだけでいいんですか?」
 どんな難事業なのかと身構えていたカーミラは、拍子抜けした。
「そうよ。インフォプレナーに向かってローリングするだけ、の簡単なお仕事です」
 ■ 世界首都 ゲルマニア
 国立研究所アーネンエルベ
 コード1986から無事生還した一行はエルフリーデ大総統と面会している。思い起こせば波乱万丈な冒険だった。
 持ち帰ったD51は分析の結果、枢軸特急の素材として利用できそうだった。望郷の念に満ちあふれた旧日本兵の残留思念を核に強力な異世界踏破機関を開発できると科学者が興奮気味にいう。
 すでに急ピッチでTWX1369シリーズの試作が進んでいる。
「良かったですね。地方自治体七州が財政破綻しなくて」
 ハウゼル列車長は胸をなでおろした。
「そんなの些末事よ。コヨリに百裂鬼に川端エリス。途方もない難敵にエベレスト登頂する気分だわ」
 ハーベルトは頭を抱えた。
「それよりも、祥子はどうなってしまうの?」
 荒井吹雪が問題点を現実レベルに着地させる。
「祥子が地球外来種だという可能性は否定できません。問題は彼女がわたしたちの敵か味方かということ」
 ブレース機関士が難しい顔をする。
「祥子のことなら心配ないわ」
 明るい声が沈鬱な空気を破った。
 一同が顔をあげるとエルフリーデが一人の年老いた女を連れてきた。
「「「武鳥明菜たけとりあきな?」」」
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