枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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彗星発、永劫回帰線(マーサズ・ヴィニャード・ブレイクスルー・スターショット) ③ ソルスティスの海に消ゆ

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 小興凱湖の砂州にゴトゴトと重苦しい貨物列車が入線してきた。鈍重そうな図体に関わらずピタリと停車する。
 危険を顧みず前進していた爆撃誘導員コンバットコントローラーから速報が入った。
「貨車に地対艦ミサイルランチャーを確認。南満州鉄道の六十トン級チイ無測車を流用しているようです」
 レールや鋼管など車体よりも長い物を平積みするための台車だ。おそらくは八路軍が鹵獲したであろう帝国陸軍九十四式装甲軍用列車だ。重機関銃や迫撃砲の砲身が左右にせり出している。そして戦闘指揮車から接続アンビリカルケーブルに制御信号が流れ、ミサイルキャニスターが吼えた、
 追跡艦マーシャ・クリロフ。
「ねぇ。ハーベルト。ノーザンプトンの火力で片づけちゃいなよ」
 後手後手に回る采配ぶりに祥子が苛立つ。
「できるなら、やっているわ! ワールドノイズが邪魔をしているのよ!!」
 確かにオレゴンシティ級重巡は魔改造が施されている。しかしながら、所詮は異世界の産物――異物だ。この世界に拒絶されては元も子もない。
「アマルガムはシノワに味方しようっていうの?!」
 望萌がクリロフの耳目を総動員して世界雑音の原因を探っているが、ジルバーフォーゲルの探知能力に比べると気休め程度だ。
 やはり最後に頼れるのは人の力か。彼女は苦渋の決断を下した。
「高速飛翔体を探知! 重水素二量体能力者ダイマーダンサーは総員、迎撃態勢!!」

 
 ダイマー能力を持つ兵士たちがよろよろと甲板に向かう。しかし、度重なる戦闘で消耗しきっており、誰もが肩で息をしている。
「待って。皆さん、死にますよ」
 吹雪がデッキに立ちふさがって、出撃をやめさせる。
「逃げよう。どこか。出来るだけ遠くへ」
 祥子が焼け石に水の回避行動を提案する。
「相手は射程130キロメートルの長距離ミサイルよ。何処へ行こうというの? おまけにS字に蛇行して防空網の裏を掻く凶悪兵器よ」
 望萌は踏みとどまる覚悟を決めた。
「男は負けると分かっていても戦わなくっちゃいけないんだ! 逃げて千載一遇を伺うのも戦い方だ。たとえ、血反吐を吐いて、のたうち回って、他人から後ろ指をさされようとも、生きのびて寝首を掻かなくっちゃ駄目なんだ!」
 祥子はそういうと、焼け焦げたメインマストによじ登り、ブラジャーからオペラグラスを取り出した。ブラジャーがぺたりとへこむ。レンズ越しに見る湖面はただただ穏やかに広がっている。何でもいい。何か利用できる物はないか。一寸のゴミも見逃すまいと眼を血走らせる。
 その時、祥子はハンカ湖の南岸、オオルリハムシが生息する湿地帯にキラリと光る何かを見た。
 手をこまねいている間にも、ミサイルは刻一刻と間合いを詰めている。
 守備力と攻撃力は枢軸国軍アクセンメヒテが凌駕している。しかし、大同盟軍シノワには未知数という名の神秘が味方していた。彼らは「シュレーディンガーの猫」ならぬ「鳥」を飼っている。
 その視神経に充満するロドプシンは、たった一個の光子に興奮する。留守番猫シュレーディンガーの安否は飼い主が帰宅するまで五分五分の状態にあり、部屋の扉を開けた瞬間に生死が確定するという。現実はきわめてあいまいであり、この宇宙において、人間の認識が実体化すると言い換えてもいい。
 シュレーディンガーの鳥が現実を捻じ曲げる力は猫と比較にならない。
「シナガチョウの眼力を黙らせないと、手も足も出ないのよ」
 ハーベルトはオカルト雑誌月刊ゴンドワナの愛読者に相談を持ち掛けた。
「そうねぇ……」
 吹雪が大車輪で記憶のページを繰り始めた。
「ミサイル弾着まであと三分」
 警戒システムが死の秒読みを開始する。
「とにかく、座して死を待つわけにはいかないわ……うっ」
 ハーベルトはダイマー能力者特有の頭痛発作に見舞われた。指揮官の不調に際して、有能な女子将校たちが、冷静沈着な対応で命令をつないでいく。
 素早く戦力評価を終えた少女が識別結果を伝える
「弾体を特定しました。地上発射型対艦ミサイル『3K60パル』と思われます」
「ドイッチェラントの魔改造済みよ。電波妨害ジャミングできない」
 ハーベルトは頭を抱えた。
「では、ダイマー能力で……」
「重水が足りないのよ。じゅうぶんな重水素ダイマーがあれば……」
 不足分は補えばいいのだ。ハンカ湖は琵琶湖の七倍も大きい淡水湖だ。重水素はごまんとある。
 望萌が造ればいいじゃない、と指摘すると、ハーベルトがブチ切れた。可能ならばやっている。
 と、戦闘指揮所にスキンへッドの貧乳天使が降臨した。
「祥子さん。パンツぐらい履きましょう」
 荒井が顔を赤らめつつ、新品のビキニを差し出す。
「おおっと。ボクは女の子だったんだ。メンゴメンゴ」
 祥子は昭和の死語を連発しながら、オペラグラスを首から外した。
「何なの? タンチョウヅルに跨るのに飽きたの。悪いけど今は気分じゃない」
 ハーベルトが長い髪をかきあげ、とげとげしく言う。
「藤野ソジャーナーはオオルリハムシに着目したようです」
 双眼鏡が祥子の大発見を報告した。
 ブン、とハム音が唸るとメインスクリーンが玉虫色に輝いた。
 オオルリハムシの羽根を電子顕微鏡観察した結果である。電子で捉えた写真に色はつかない。それにもかかわらず規則正しい紋様が虹色に染まっている。
「これは構造色ですね。被写体じたいに色はありませんが、光の乱反射と複雑な形状が疑似色を見せてくれます」、と吹雪。
 画面がワイプして、湖岸に停車中のALX427から純色が割り込んできた。
「ハーベルト。これは使えるわ。オオルリハムシでシナガチョウの量子効果を破れる」
 顕微鏡写真に次から次へと量子色力学の数式がオーバーラップし、目がチラチラする。
「咆哮/脳炎ネットワークノードを断ち切るっていうの? マジ無理。あんた、もういいわ」
 ハーベルトはお話にならない、と一方的に通信を切った。
「ハーベルト! ボクはキミを見損なったよ」
 祥子が蔑むような眼で睨み付けると、閣下は弱々しく答えた。「もう……二量体がないの。とても、そんな……」
「造ればいいのでしょう!」
 ふだんはおとなしい教師が珍しく声を荒げた。
「わたしは藤野さんと同じ考えです。歯を食いしばって最後まで頑張りましょう」
「だったら、とっととと重水汲んで来いよ! 根性ババア!! 精神論でどうにかなるもんなら、竹槍で対艦ミサイル落としてみせろや!!! アーン?!」
 女は時にどこからともなく大声を出す。さっきまで虫の息だった筈のハーベルトが元気になった。重水は通常の水より比重が重い。沸騰した時にわずかながら残留する。その性質を利用して煮詰めていくのが一般的だ。
「竹槍……?! そういうことなら!!」
 ハウゼル列車長がポンと膝を打った。経験豊富な彼女は様々な異世界を巡って来たらしく、その道中で竹槍の形をした重水素プラントを見たという。
「二重温度交換法による重水の濃縮ですね。ステイツでは主流になっています」
 いつの間にか純色がちゃっかり話に加わっている。
 二重温度交換法は、重水を含んだ淡水を大小二つの容器に分けて、温度差による反応速度を利用して重水を取り出す。二つの塔に触媒として硫化水素を循環させると高温塔内で重水が気化し、低温度塔内で逆に液化する。これを繰り返して重水を濃縮していくのだ。
「電源さえあればね……」
 ハーベルトが投げやりに答える。ドイッチェラント鉄道連隊がハンカ湖畔に敷いた軌道はもちろん電化されているが、枢軸特急の電源を回すには面倒な工程が必要だ。
 ミサイル着弾まで一分強。下手をすれば年単位のプロジェクトだ。もうどうしようもない。
「そうですよ。ここは直流区間です。単相交流を降圧したうえで直流に変換したり色々厄介なんです」
「架線から枢軸特急を経由して給電するには、電動発電機や制止形インバーターを使ったり大掛かりな施設が必要になります」
 話を聞いていた女子保線区作業員たちが「たまったもんじゃない」と口をそろえる。
「要するに自前の電源を持ってくればいいのね?! 大陸横断鉄道アムトラックの電源車、とくとご覧あそばせ!」
 ALX427がワールドチューブに姿を消すと、ものの数秒もせずに車両を連ねて戻ってきた。電源車は文字通り自家発電機を備えている。横長のボディにはこれ見よがしにスター・アンド・ストライプス――星条旗がペイントされている。
 その間に異世界逗留者たちはドイッチェラント本国にプラントを発注した。世界首都ゲルマニアのメーカーは各異世界の下請け企業に協力をあおぎ、異世界時差をフル活用した。ハーベルトの主観にして二十秒足らずのうちにハンカ湖が泡立った。
 潜望鏡がにょきにょきと生えてくる。続いて小島のような巨体が浮かび上がった。
「重水素工場プラント艦?」
 ハーベルトが新しい玩具を買ってもらった子供のように飛び跳ねる。ドイッチェラントの工業力は比類ない。注文どおり、黒光りする紡錘形の背中に竹やりが二本刺さっている。
「ステイツの鉄道技術こそ世界一ィィィ!!」
 純色も負けじと電源車を連ねる。常温対消滅炉を搭載した最新バージョンだ。電圧とシンクロするようにハーベルトの顔色が好転する。彼女が湿地帯のオオルリハムシめがけて咆哮/脳炎ネットワークノードを誘導すると、七色のカーテンがシナガチョウたちを取り囲んだ。
「ワールドノイズ信号比えすえぬひ、逆転!」
 ALX427が異世界雑音の晴れ上がりを確認。ノーザンプトンと連絡手段確立を試みる。

「たっぷりお仕置きしてやるわ。そぉれ、ミュ~ヂックっ!」
 ハーベルトがノリノリで命じるとショスタコーヴィチの交響曲五番が鳴り始めた。
 接岸した潜水艦と電源車が接続され、重水の生産が始まった。祥子は望萌と吹雪を引き連れてオホーツクの空に駆け上がっていく。
「重水濃縮カスケード、充填開始!」

 ハーベルトがマーシャ・クリロフの周囲に氷柱を打ち立てた。高さはビル十階分、幅は幹線道路の一車線ほど。案の定、ミサイルはそれらに激突、爆散した。
 九十四式装甲車は異変に気付いたらしく、無線で雷撃機と更新している。
「好きにさせるものですか。硫化水素、廃棄します」
 望萌が命じるよりも早く、重水素工場プラント潜水艦から次々と乗員が脱出する。
「えっ? 玩具を棄ててしまうの?」
 予想外の出来事にハーベルトは衝撃を受けた様子だ。
「二重温度交換法は厄介な工業廃水を生み出すんです。強酸性の硫化物を!」
 望萌がそういうと、ハーベルトの首根っこを掴んでTWX1369に押し込んだ。続いて、ALX427が電源車を分離廃棄パージ。枢軸特急の後を追ってトンネルに消えていく。
 潜水艦は湖面を自走して小興凱湖に特攻した。
 濃硫酸の津波が養魚池になだれ込む。装甲列車が飴のようにとろけていく。
「ゲッ!?」
 マドレーヌ・フラウンホーファーの肉体は黄緑色の液体に沈み、その魂は黒ずんだほうき星に吸い上げられた。

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