枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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社会病理の対流圏(ヘヴンズドア・インサフェイス・オンフットルース)①

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 ■ 社会病理の対流圏ヘヴンズドア・インサフェイス・オンフットルース

 西日がビルの陰に傾くころ、場違いな陽気がホームを制圧する。重厚な金属が軋む音。歯髄ドリルよりも鋭い金切声。地殻を根こそぎ転覆しそうな衝撃。この世の物とは思えない喧騒が駅舎を揺らす。
 それでもオージラ・バイカールの市民にとって、これは晩鐘がわりだという。モンゴルと国境と接する街は始祖露西亜オソロシア巴里パリと呼ばれている。では、これは荘厳な宗教的儀礼の副産物と思いきや、騒音の源は教会ではなく真新しいコンクリート打設にあった。
 無人の貨物列車が玉突き衝突している。それも一つや二つでなく、ざっとみたところで数十編成はある。それらが、環境基準を棒高跳びするほどの騒音をまき散らしている。まるで誤審に激昂した野手が金属バットで切り結ぶような打撲音。
 連結器と連結器が拳で語り合い、世界副都心パレオロガスに向けて今夜旅立つ便が組み立てられている。
 青息吐息の夏が過ぎて、ひんやりとした風がミニスカートをそよぐ頃、モーリヤの肩があがらなくなった。始祖露西亜の貨物駅は着発線荷役方式イーアンドエスを採用していて、オージラ貨物駅でも最新のコンテナホームが稼働している。しかし、モーリヤのような未婚女性は相変わらず架線の無いに荷役線でフォークリフトを操っていた。荷役監督のカニークルィはいけ好かない女で生理不順の鬱憤を苛めで解消してきた。荷役婦たちの平均就業期間は長くて三ヶ月。その中でもモーリヤの班は奇跡的に生き長らえているほうだ。イルクーツクのモールで働いている女友達はモーリヤの精神が病んでしまわないかとヤキモキしていたが、当の本人は至って健康だった。
 それもそのはず、生き甲斐が同じ班にいるからだ。恋人のリュブヴィーはきつい目をしたスラヴ美人で頬がこけている。小柄な女の子であるモーリヤがリュブヴィーに一目ぼれ惚れた理由は、すらりとした細身であるだけでなく、モデルも真っ青というかモデル以上のすごいスタイルにあった。
 身長は2メートル近く。枢軸基幹同盟配給の女子標準服セーラーを着れば、スカートの裾がヤバい位置に来る。ペトロフカ出身のリュブヴィーは開放的で露出狂で単細胞生物だった。カニークルィの八つ当たりで萎んでいたモーリヤをハグするというか、ひょいと抱き上げて、慰めてくれた。そして、その日のうちにモーリヤは同床の猫となった。
 荷役線の向こうに大きな青色が広がっている。バイカル湖には地球上の淡水のうち、約二割が集まっており、ここに日独伊芬枢軸基幹同盟アクセンメヒテの重水プラントを建設する計画がずいぶん前から持ち上がっている。
 ドイッチェラントに完敗を喫した始祖露西亜人が嫌がらせで事業を遅滞させているというが、オージラにビジネスチャンスが燻っているらしく、ハリウッドセレブばりの女が豪華寝台列車専用ホームを頻繁にステージウォークしている。
 複雑性の天敵であるところのリュブヴィーは、その機動力を発揮して開発人民公社の職を得ようとBerufs informationzentrum(公共職業安定所)へ通った。

 それがたちどころにバレた。

 二日前の朝、カニークルィは訊く耳を持つどころか、その場で解雇と支給品の回収を言い渡し、二人の制服をアンダーショーツの一枚まで破り取った。
 白亜の建物。中世の城を想起させる職安でモーリヤは膝を震わせていた。リュブヴィーはもう一時間も翡翠ディスプレイに向きっぱなしだ。身体をよじり、足を広げて、顔だけ画面に向いている。ホームレスから煙草三本で買ったヨレヨレのシャツを着ており、だらしなく開いた両脚から独逸煙草ゲルベゾルテの銘柄が見える。無料求人誌を折ってつくったパンツは身体に厳しい。粗悪なインクが肌を赤紫色に爛れさせている。
「ねぇ。聞いているの?」
 モーリアは十二回目の呼びかけを終えた。相変わらずリュブヴィーは押し黙ったままだ。同じ画面が何度もスクロールしている。彼女に働く気が無いのか、ブラック求人ばかりなのか、定かでない。ただ、モーリアが眼中にない事は明確だ。
 そこで最後通牒を突き付ける。
「ねぇ。あなた! わたし、死んじゃうんだけど!!」
 声を荒げると、独逸煙草広告ゲルベゾルテの大総統閣下がお隠れになった。
「うっさいわねぇ。死ぬ死ぬ詐欺する暇があったら、窃盗しごとすれば?」
 リュブヴィーは成果が芳しくないらしく、敵意を剥き出しにする。そのことで昨夜も口論になった。シベリア鉄道が遣した退職金はなく、カニークルィの進言もあり、結局のところ二人は懲戒免職処分になった。リュブヴィーは男を買うために貯めていた金を出し渋り、モーリアの当座預金も底をついた。そして薄ら寒いなか、木賃宿から追い出されたのは彼女の方だった。
 自殺を仄めかすつもりはなく、本気で死ぬ気で問い詰めた。
「死んでやるんだから!」
 リュブヴィーはモーリアの言葉を額面通り受け取らず、逆に脅した。
「あんたはあたしを本気で愛してないのね。もしかして、あたしの金をクスねた? でしょ、でしょお? ねぇねぇ。昨日の男はどんな味だった?」
 モーリアは憮然とした表情でがっくりと肩を落とした。
「わかった。もういい……。あなたの本気度が判った。背中を押してくれてありがとう」
 そういうと、職安を出ていこうとした。出口で立ち止まり、画面に向いたままのリュブヴィーを名残惜しげに一瞥する。
「愛してるわ……」
「うるさい。あたしを心の底から愛してるなら、さっさと死んで見せろっっての!」
 哄笑を背にモーリアは街へ駆け出した。確実に自ら命を絶つためには銃かクスリが必要だ。刃物やロープは致命傷にならない。飛び降りや入水は論外だ。
 ヘヴンズドア・インサフェイス・オンフットルースは異世界の中でも比較的に厳格だ。社会不安を呼び起こす破壊行為には苛烈な制裁が科せられる。こと、第三者を巻き込むような自殺には周到な防止策が用意してある。
「ねぇ。貴女みて! あの子、自殺予防監視機スーサイドローンに追われてる」
 道端で唇を重ねてた女性二人がモーリアを振り返る。その頭上を複数のドーナツが浮いている。
「本当に死んでやるんだから。あっ、イリーナ!」
 モーリアは知り合いの路上生活者に声をかけた。歩道にしゃがみ込んで虚ろな目をしている。
「なぁに?」
「ねぇ。あたし、今すぐ死にたいの! 銃かクスリ、持ってる?」
「はぁ~~? あなたリュブヴィーとまた喧嘩したの?」
 詮索されてモーリアは立腹した。
「テメーに関係ねーだろ! ヤクよこせっつんだよ!」
「はぁ~。あなた、払うアテあるの~? 言っとくけど現ナマか薬だよ」
 イリーナは胸をはだけたモーリアを牽制した。
「お金って……」
 身一つのモーリアは出鼻を挫かれた。すると、イリーナは驚くことに助け舟を出した。
「あなた。病気もってるでしょ~~? ううん。隠さなくてもいいのよ。こないだ、あなたと寝た時に見つけちゃったぁ」
 そういいながら、モーリアの腕を引っ張る。イリーナの手には社会保険証が握られていた。
「ちょっと、あなた。それ、どこで手に入れたの?」
 社会保険証は文無し宿なしに無縁のアイテムだ。加えて月々の保険料が高額だと聞く。とてもその日暮らしなイリーナに払えるはずがない。
「ううん。社会福祉事務所に申請すればいいの。あたしが手続きしてあげようか。たんまり貰えるんだぁ」
 イリーナはそういうと錆びだらけのドアを開いた。シミだらけのアンダースコートを見せびらかしながら急な階段をあがっていく。どう見ても行政の出先機関とは思えないが。その証拠に壁紙の配色がみだらだ。
 モーリアが後ろ手に扉を閉めようとした瞬間、罵声を浴びせられた。
「税金泥棒!」

 ■ TWX1369 乗員室

 半ば誘拐同然にゲレルトヤーを母親から引き離したことに異世界逗留者たちは賛否両論だ。祥子と望萌はすぐさま引き返すべきだと言い張り、ハウゼルとハーベルトは前進を主張した。
 なおも、食い下がる望萌にハウゼルが耳打ちした。
「侵入者がいるの。積載重量が女の子一人分増えてる」
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