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アレクサンドロス・ビギニング
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第三巻「酔夢/エーテル風速四十万光年」
■ アレクサンドロス・ビギニング
無――。
虚無――。
何もかも、素粒子もエネルギーも、その容器たる空間すらない世界。そこに存在はなく、運動する事物がなければ、時間経過もない。
しかし、虚無は存在の極限状態でもある。
そこに、なにもなければ……
……空白を埋めるために、どこからともなく物質が湧き出る。まるで魔法のようにエネルギー保存則をガン無視する。
量子物理学者はいう。
虚無は幻影にすぎない。真空中ではたえず物質が発生と消滅を繰り返している。ただ、その間隔があまりにも短いため、プラマイゼロとなる。何も無いように見える空間は観測者が錯覚しているだけなのだ。
虚無空間では常にエネルギー収支がゼロとなる。それはいいとしよう。では、一時的にせよ空間を満たす物質は、どこから「支出」されるのだろう。
ロンドン桜町通り17番地に勤務する乳母メアリーはさまざまな不足を魔法の言葉で解決した。
スーパーカリフラジリスティック・エクスピアリドーシャス。
■
本初始祖世界2020。
マドレーヌが時間軸上に築いた宇宙人の傀儡国家ラファーム・シノワは日本国のアンシャンレジームを破壊し再構築した。南シナ海の九段線を正式な領海に組み入れ、第二列島線すらをも実効支配しようと次々と布陣を打っていた。
丸の内仲通りの大深度地下40メートルに羽田成田直通列車専用駅がある。閑散としたホームにぽつぽつと人が集まり始めた。彼らのほとんどは外国人だ。東洋系は一人もおらず、色白肌の若い男女が旅行ケースを曳いている。そこに物売りらしきセーラー服姿の少女が駆け寄り、クールジャパンを盛んにアピールしている。擦れた観光客は彼女たちを空気のように透過して列車に乗り込む。
売り子に向けられるはずの冷ややかな目線や憐れむ眼差しはない。外国人の表情には、ただただ急いで帰りたいという焦りが見える。浅黒い長身のジャンムー人が流ちょうな日本語で柱のパネルに問いかけている。第二新成田急行線に連絡する列車はどれかかと尋ねられ、疑似人格は申し訳ございませんと頭を下げた。
「三里塚駅で折り返しって、どういうことだってばよ? この野郎」
ジャンムー人が怒りをあらわにすると、周囲の外国人観光客も同調した。たちまち円柱のまわりに黒や金色の波紋が広がる。
「新東京国際空港駅はただ今を持ちまして、一般旅客取り扱いを終了させていただきます」
プツ、と一方的に映話が途切れた。あとは新帝都高速度交通営団のシンボルマークが無言で威圧している。
「おい! すざけるなよこの野郎!!」
ジャンムー人青年が液晶パネルに飛び蹴りを食らわせた。
「あっ!」
「このバカ、やめろ!!」
見守っていた外国人達が制止するが、時すでに遅し。駅ホームの点字ブロックに人型の焦げ目が出来ていた。ゴウっと空調ダクトが唸り、甘酸っぱい白煙をたっぷりと吸い込んだ。
「死んだら他人が焼いてくれるのにテメェでテメーを焼いちまいやがんの」
ブロンド娘がべらんめえ口調を使うが、周囲から浮いている。偶然にもレーザー光線のきらめきを目撃した人間も証拠隠滅のため、白煙と化した。
「なんだなんだ?」
「人が大量に焼け死んだぞ」
野次馬が駆け付けて好き放題騒いでいると、老夫婦がようやく人間味のある言葉を投げた。
「世も末だなぁ」
「おいたわしや」
他人を弔う余裕のない外国人客はバイザーをかけて、羽田までの最短コースを検索している。十代の若者たちがソワソワしている。彼らは高価な量子情報端末を持てっていない。液晶画面を盗み見した男が逆ギレして、持ち主を殴った。それで群衆の怒りに火が付いた。あっという間に乱闘が広って、白煙が吹き荒れる。良識ある大人たちは日本の礼儀作法をわきまえている。静かに列を作って羽田行きを待っている。
すると、ハウリングが鼓膜をキーンと突き抜けた。くぐもった呼吸音とマイクヘッドを叩く音に続いて、起立と国歌斉唱を命じる構内放送が聞こえてきた。
「嫌だ。聞きたくない」
年かさの男が耳をふさいで走り出した。呆然と立ち尽くす人をかき分け、座り込む子供を飛び越え、荷物につまずいた。彼は線路の上で煙となった。
それで人々の冷静沈着が一気に崩れた。
「死にたくない」
その一言をきっかに我さきを争って改札口を目指す。自動改札機は逆流を想定していない。行く手を阻まれた外国人はバーを飛び越え、地上への階段を駆け上がる。しかし、無情にも防火シャッターが外界の扉を閉ざした。人々の阿鼻叫喚は連続する破裂音にかき消された。むっとする煙がやってくる。火災報知器が鳴って、スプリンクラーが誰もいない通路を洗い流していく。
「嫌だ……せんそ…う…は」
上半身だけになった男が、愛らしいキティちゃんの紙袋に手をのばす。べっとりとした血で袋の底部が地面に糊付けされている
「ジェニファー」
彼は娘の名を呼びながら、蒸発させられた。
生命反応の途絶えた駅構内に大本営発表が流れている。
それは東日本経済を維持している外国人旅行者にとって耳をふさぎたくなるような内容だ。近畿地方を縦断する第二列島線をを芦ノ湖まで押し広げたシワノ。
杜若之宮を首班とする御前会議は皇室典範に則り満場一致で国家元首の支持を確認。
つい、数分前に箱根湯本を実効支配する国連停戦監視団に対して燃料帰化爆弾が投下された。
安息香酸のにおいが充満する線路に青白いオタマジャクシが乱舞している。それらが大きくて冷たい火球に成長した。みるみるうちに幾何学模様が織りなして、メカニックなシルエットを形成する。
宣戦布告の勅令がTWX1369の汽笛に埋もれてしまう。
「ソースコード・トウキョウ。終着駅ソースコード・トウキョウ。お乗り換えのご案内です。コード6970にお越しの方は、-∴番線……」
言われるまでもなくカルフォルニアの残留思念がぞろぞろと降りてくる。ハーベルトは機略縦横の作戦で乗員乗客を無血のまま終着駅へ送り届けた。残留思念達が天に立ち上る。
ぐったりして疲れ切った異世界逗留者たちが最後に降りる。その顔触れに大きな変化があった。
「祥子……荒井先生……」
望萌は首を4度うえに傾けて、天井に遺影を思い描いている。
「熱力学第二法則の裏側に行ってしまった人はどうしようもないわ。ゲルマニアに帰って逸失申請しなくちゃ」
ハーベルトは重たいアタッシュケースをホームに降ろすと、ふうっと深呼吸した。
「貴女ねぇ!」
望萌が声を荒げる。あまりにも冷たい態度に対して彼女の正義感が爆発した。
「補充要員? え~と何だっけ。霊感の強い子が聖イライサニスにいたじゃん」
長谷江と鈴原なるみに乗車資格を与えればいい、とハーベルトは素っ気ない返事をした。
「でも、祥子はイリュージョンでいくらでも生き返るんでしょ? 武鳥明菜の光彩に……」
なおも食い下がる望萌。
「組み込まれているのはエーファ。エヴァ・ブラウンよ。あの女は極悪人アドルフ・ヒトラーですら拒絶する女よ。今わの際で婚姻届けに旧姓を記そうとした。潜在意識は夫を嫌っていた。そんなろくでもない女の系譜を……」
「ねぇ!」
つれないハーベルトの言葉を川端エリスが遮った。二人が振り返ると向かいのホームにウンエントリヒアハトアハトが入線していた。「望萌が祥子を蘇生しろって聞かないのよ~!」
ハーベルトは大声で窮状を訴えた。すると、宇宙人はふわりと線路に降りた。スカートの中身が盛大に披露される。異世界逗留者の渓谷など耳に入らないのか、聞こえないふりをしているのか、しゃがみこんで熱心に枕木を調べている。片膝をついて、スカートの裾をはだけ、ブルマのポケットからカロリーメーターを取り出した。そして、何かを見つけたらしく、急いでホームによじ登った。
「ちょっとこっちへ来てちょうだい」
彼女はダイマー通信で直接呼びかけてきた。望萌とハーベルトも線路に降りる。
◇ ◇ ◇
「大量殺戮ですってぇ?」
素っ頓狂な声をあげたのは望萌だ。
「ダイマー能力で索敵してみて。駅構内の至る所に高出力レーザーが設置されている」
宇宙人は顔をしかめて、ぐるりと見まわす。ハーベルトは網膜に浮かんだ結果を配信した。構内信号機や広告看板や時刻表にレーザー発振器が巧妙に隠されている。
「なにこれ? まるでガス室のレーザー版じゃない?」
「いいえ。ズバリそのものよ。ついさっきまで乗客がここにいたのよ。全員殺されている」
エリスはハーベルトに虐殺の証拠を示した。カロリーメーターは憤怒のQCDを異常検知している。
「そういえばきつかなかったけど……」
望萌が大量に放置された荷物を指さす。
「フムン。国外脱出しようとした外国人みたいね。暴動か……フムン」
ハーベルトは遺品の中から航空券やパスポートを見つけ出した。
「いくら何でも戦時下で他国民を焼殺するかしら? しかも公の場所で」
ナチスドイツを凌ぐ残虐ぶりに望萌が異論を挟んだ。エリスはカロリーメーターを構内Wi-Fi回線に接続して事態を掌握した。
「要人が羽田に殺到している。主に財界人とその家族。羽田成田連絡船に臨時の優等列車まで設定されているわ」
彼女は呆れたようにカロリーメーターを投げてよこす。
「疎開? なるほどね」
核兵器の時代に国内疎開はあり得ない。逃げるなら安全資産を運用できる国だろうと望萌が納得した。
「いいえ、その逆よ」
ハーベルトがきっぱりと否定した。
「去る者は追わず。消極的なお膳立てよ」
望萌は言葉を失った。
「――!」
■ 枢軸特急鉄道事業本部 枢軸特急総合指令所
「トルマリンソジャーナー2名の抹消登録を受理しました」
無味乾燥なメッセージが一行だけ表示される。パンセの時と同じようにハーベルトは淡々と端末処理をこなしている。出来る事ならこの女を解剖してみたいものだ、と宇宙人は興味を持った。きっと半導体で出来た脳とスパイクの刺さった心臓が詰まっているのだろう。
望萌は邨埜純色を伴って総統府に出頭している。ハード・カリクジット――連合国本土の強制分離独立を進めたハーベルトは独断専行を注意されたものの、大総統の反感を買うまでには至らなかった。むしろ彼女は領土獲得を喜んでいるぐらいだ。バハ・カルフォルニア島は南鳥島沖の太平洋上にある。さっそく鉄道連隊が異世界掘削機で隧道を掘り進めている。大総統ハートレーは後桜鳩上皇と緊急首謀会談を行い、宣戦布告の勅令について協議した。
■ 地中海 日独伊芬枢軸基幹同盟 ヴェネツィア駅
水の都ベニスには意外なことに鉄道駅がある。イタリア本土から陸路がのびているのだ。
終着駅ヴェネツィアには桟橋が併設されており、ヴェネツィア界隈の島に水上交通がつながっている。
戦艦ヴィットリオ・ヴェネト 貴賓室。
「ハード・カリクジットは緊急避難だ。ステイツ本土は大打撃を被った物の健在で、政府も存続している。周知のとおり、彼らはリメンバー・サンタモニカを連呼しているのだが、どうしたものかと」
エルフリーデが風雲急を告げる現状を切り出すと、上皇は一も二もなく両国民の保護を第一優先に考えた。
「あちらは開戦機運を抑えると国が持たない、とシュターツカペレから報告を受けています。亡命者を受け入れるべきでしょうか」
「銃社会を生きて出ることは出来ないだろう。バハ・カルフォルニアを救えただけでも良しとしよう」
エルフリーデは枢軸基幹同盟の安全第一を訴えた。
「そうなった場合、高次知能集団と一戦交えることになります。先進高度文明と正面衝突して勝ち目はありません。どう転んでもアップロードされるのですよ」
後桜鳩が懸念を表明すると、エルフリーデはハーベルトが遭遇したメタン生命体の話を持ち出した。国家機密で同盟国にも伏せてある。
「スマイルメッセージは実現させません。絶対に」
大総統はそっと手を差し伸べる。すると柔らかい手がキュッと握りかえした。二人の女性はじっと互いの瞳を奥まで見つめ、やがて急接近した。黒髪にブロンドが重なりあい。シルエットが一つになる。
「んっ♡」
「あン☆」
声にならない嗚咽が甘く溶け合い、国境を無意味なものにした。
■ アレクサンドロス・ビギニング
無――。
虚無――。
何もかも、素粒子もエネルギーも、その容器たる空間すらない世界。そこに存在はなく、運動する事物がなければ、時間経過もない。
しかし、虚無は存在の極限状態でもある。
そこに、なにもなければ……
……空白を埋めるために、どこからともなく物質が湧き出る。まるで魔法のようにエネルギー保存則をガン無視する。
量子物理学者はいう。
虚無は幻影にすぎない。真空中ではたえず物質が発生と消滅を繰り返している。ただ、その間隔があまりにも短いため、プラマイゼロとなる。何も無いように見える空間は観測者が錯覚しているだけなのだ。
虚無空間では常にエネルギー収支がゼロとなる。それはいいとしよう。では、一時的にせよ空間を満たす物質は、どこから「支出」されるのだろう。
ロンドン桜町通り17番地に勤務する乳母メアリーはさまざまな不足を魔法の言葉で解決した。
スーパーカリフラジリスティック・エクスピアリドーシャス。
■
本初始祖世界2020。
マドレーヌが時間軸上に築いた宇宙人の傀儡国家ラファーム・シノワは日本国のアンシャンレジームを破壊し再構築した。南シナ海の九段線を正式な領海に組み入れ、第二列島線すらをも実効支配しようと次々と布陣を打っていた。
丸の内仲通りの大深度地下40メートルに羽田成田直通列車専用駅がある。閑散としたホームにぽつぽつと人が集まり始めた。彼らのほとんどは外国人だ。東洋系は一人もおらず、色白肌の若い男女が旅行ケースを曳いている。そこに物売りらしきセーラー服姿の少女が駆け寄り、クールジャパンを盛んにアピールしている。擦れた観光客は彼女たちを空気のように透過して列車に乗り込む。
売り子に向けられるはずの冷ややかな目線や憐れむ眼差しはない。外国人の表情には、ただただ急いで帰りたいという焦りが見える。浅黒い長身のジャンムー人が流ちょうな日本語で柱のパネルに問いかけている。第二新成田急行線に連絡する列車はどれかかと尋ねられ、疑似人格は申し訳ございませんと頭を下げた。
「三里塚駅で折り返しって、どういうことだってばよ? この野郎」
ジャンムー人が怒りをあらわにすると、周囲の外国人観光客も同調した。たちまち円柱のまわりに黒や金色の波紋が広がる。
「新東京国際空港駅はただ今を持ちまして、一般旅客取り扱いを終了させていただきます」
プツ、と一方的に映話が途切れた。あとは新帝都高速度交通営団のシンボルマークが無言で威圧している。
「おい! すざけるなよこの野郎!!」
ジャンムー人青年が液晶パネルに飛び蹴りを食らわせた。
「あっ!」
「このバカ、やめろ!!」
見守っていた外国人達が制止するが、時すでに遅し。駅ホームの点字ブロックに人型の焦げ目が出来ていた。ゴウっと空調ダクトが唸り、甘酸っぱい白煙をたっぷりと吸い込んだ。
「死んだら他人が焼いてくれるのにテメェでテメーを焼いちまいやがんの」
ブロンド娘がべらんめえ口調を使うが、周囲から浮いている。偶然にもレーザー光線のきらめきを目撃した人間も証拠隠滅のため、白煙と化した。
「なんだなんだ?」
「人が大量に焼け死んだぞ」
野次馬が駆け付けて好き放題騒いでいると、老夫婦がようやく人間味のある言葉を投げた。
「世も末だなぁ」
「おいたわしや」
他人を弔う余裕のない外国人客はバイザーをかけて、羽田までの最短コースを検索している。十代の若者たちがソワソワしている。彼らは高価な量子情報端末を持てっていない。液晶画面を盗み見した男が逆ギレして、持ち主を殴った。それで群衆の怒りに火が付いた。あっという間に乱闘が広って、白煙が吹き荒れる。良識ある大人たちは日本の礼儀作法をわきまえている。静かに列を作って羽田行きを待っている。
すると、ハウリングが鼓膜をキーンと突き抜けた。くぐもった呼吸音とマイクヘッドを叩く音に続いて、起立と国歌斉唱を命じる構内放送が聞こえてきた。
「嫌だ。聞きたくない」
年かさの男が耳をふさいで走り出した。呆然と立ち尽くす人をかき分け、座り込む子供を飛び越え、荷物につまずいた。彼は線路の上で煙となった。
それで人々の冷静沈着が一気に崩れた。
「死にたくない」
その一言をきっかに我さきを争って改札口を目指す。自動改札機は逆流を想定していない。行く手を阻まれた外国人はバーを飛び越え、地上への階段を駆け上がる。しかし、無情にも防火シャッターが外界の扉を閉ざした。人々の阿鼻叫喚は連続する破裂音にかき消された。むっとする煙がやってくる。火災報知器が鳴って、スプリンクラーが誰もいない通路を洗い流していく。
「嫌だ……せんそ…う…は」
上半身だけになった男が、愛らしいキティちゃんの紙袋に手をのばす。べっとりとした血で袋の底部が地面に糊付けされている
「ジェニファー」
彼は娘の名を呼びながら、蒸発させられた。
生命反応の途絶えた駅構内に大本営発表が流れている。
それは東日本経済を維持している外国人旅行者にとって耳をふさぎたくなるような内容だ。近畿地方を縦断する第二列島線をを芦ノ湖まで押し広げたシワノ。
杜若之宮を首班とする御前会議は皇室典範に則り満場一致で国家元首の支持を確認。
つい、数分前に箱根湯本を実効支配する国連停戦監視団に対して燃料帰化爆弾が投下された。
安息香酸のにおいが充満する線路に青白いオタマジャクシが乱舞している。それらが大きくて冷たい火球に成長した。みるみるうちに幾何学模様が織りなして、メカニックなシルエットを形成する。
宣戦布告の勅令がTWX1369の汽笛に埋もれてしまう。
「ソースコード・トウキョウ。終着駅ソースコード・トウキョウ。お乗り換えのご案内です。コード6970にお越しの方は、-∴番線……」
言われるまでもなくカルフォルニアの残留思念がぞろぞろと降りてくる。ハーベルトは機略縦横の作戦で乗員乗客を無血のまま終着駅へ送り届けた。残留思念達が天に立ち上る。
ぐったりして疲れ切った異世界逗留者たちが最後に降りる。その顔触れに大きな変化があった。
「祥子……荒井先生……」
望萌は首を4度うえに傾けて、天井に遺影を思い描いている。
「熱力学第二法則の裏側に行ってしまった人はどうしようもないわ。ゲルマニアに帰って逸失申請しなくちゃ」
ハーベルトは重たいアタッシュケースをホームに降ろすと、ふうっと深呼吸した。
「貴女ねぇ!」
望萌が声を荒げる。あまりにも冷たい態度に対して彼女の正義感が爆発した。
「補充要員? え~と何だっけ。霊感の強い子が聖イライサニスにいたじゃん」
長谷江と鈴原なるみに乗車資格を与えればいい、とハーベルトは素っ気ない返事をした。
「でも、祥子はイリュージョンでいくらでも生き返るんでしょ? 武鳥明菜の光彩に……」
なおも食い下がる望萌。
「組み込まれているのはエーファ。エヴァ・ブラウンよ。あの女は極悪人アドルフ・ヒトラーですら拒絶する女よ。今わの際で婚姻届けに旧姓を記そうとした。潜在意識は夫を嫌っていた。そんなろくでもない女の系譜を……」
「ねぇ!」
つれないハーベルトの言葉を川端エリスが遮った。二人が振り返ると向かいのホームにウンエントリヒアハトアハトが入線していた。「望萌が祥子を蘇生しろって聞かないのよ~!」
ハーベルトは大声で窮状を訴えた。すると、宇宙人はふわりと線路に降りた。スカートの中身が盛大に披露される。異世界逗留者の渓谷など耳に入らないのか、聞こえないふりをしているのか、しゃがみこんで熱心に枕木を調べている。片膝をついて、スカートの裾をはだけ、ブルマのポケットからカロリーメーターを取り出した。そして、何かを見つけたらしく、急いでホームによじ登った。
「ちょっとこっちへ来てちょうだい」
彼女はダイマー通信で直接呼びかけてきた。望萌とハーベルトも線路に降りる。
◇ ◇ ◇
「大量殺戮ですってぇ?」
素っ頓狂な声をあげたのは望萌だ。
「ダイマー能力で索敵してみて。駅構内の至る所に高出力レーザーが設置されている」
宇宙人は顔をしかめて、ぐるりと見まわす。ハーベルトは網膜に浮かんだ結果を配信した。構内信号機や広告看板や時刻表にレーザー発振器が巧妙に隠されている。
「なにこれ? まるでガス室のレーザー版じゃない?」
「いいえ。ズバリそのものよ。ついさっきまで乗客がここにいたのよ。全員殺されている」
エリスはハーベルトに虐殺の証拠を示した。カロリーメーターは憤怒のQCDを異常検知している。
「そういえばきつかなかったけど……」
望萌が大量に放置された荷物を指さす。
「フムン。国外脱出しようとした外国人みたいね。暴動か……フムン」
ハーベルトは遺品の中から航空券やパスポートを見つけ出した。
「いくら何でも戦時下で他国民を焼殺するかしら? しかも公の場所で」
ナチスドイツを凌ぐ残虐ぶりに望萌が異論を挟んだ。エリスはカロリーメーターを構内Wi-Fi回線に接続して事態を掌握した。
「要人が羽田に殺到している。主に財界人とその家族。羽田成田連絡船に臨時の優等列車まで設定されているわ」
彼女は呆れたようにカロリーメーターを投げてよこす。
「疎開? なるほどね」
核兵器の時代に国内疎開はあり得ない。逃げるなら安全資産を運用できる国だろうと望萌が納得した。
「いいえ、その逆よ」
ハーベルトがきっぱりと否定した。
「去る者は追わず。消極的なお膳立てよ」
望萌は言葉を失った。
「――!」
■ 枢軸特急鉄道事業本部 枢軸特急総合指令所
「トルマリンソジャーナー2名の抹消登録を受理しました」
無味乾燥なメッセージが一行だけ表示される。パンセの時と同じようにハーベルトは淡々と端末処理をこなしている。出来る事ならこの女を解剖してみたいものだ、と宇宙人は興味を持った。きっと半導体で出来た脳とスパイクの刺さった心臓が詰まっているのだろう。
望萌は邨埜純色を伴って総統府に出頭している。ハード・カリクジット――連合国本土の強制分離独立を進めたハーベルトは独断専行を注意されたものの、大総統の反感を買うまでには至らなかった。むしろ彼女は領土獲得を喜んでいるぐらいだ。バハ・カルフォルニア島は南鳥島沖の太平洋上にある。さっそく鉄道連隊が異世界掘削機で隧道を掘り進めている。大総統ハートレーは後桜鳩上皇と緊急首謀会談を行い、宣戦布告の勅令について協議した。
■ 地中海 日独伊芬枢軸基幹同盟 ヴェネツィア駅
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終着駅ヴェネツィアには桟橋が併設されており、ヴェネツィア界隈の島に水上交通がつながっている。
戦艦ヴィットリオ・ヴェネト 貴賓室。
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「あちらは開戦機運を抑えると国が持たない、とシュターツカペレから報告を受けています。亡命者を受け入れるべきでしょうか」
「銃社会を生きて出ることは出来ないだろう。バハ・カルフォルニアを救えただけでも良しとしよう」
エルフリーデは枢軸基幹同盟の安全第一を訴えた。
「そうなった場合、高次知能集団と一戦交えることになります。先進高度文明と正面衝突して勝ち目はありません。どう転んでもアップロードされるのですよ」
後桜鳩が懸念を表明すると、エルフリーデはハーベルトが遭遇したメタン生命体の話を持ち出した。国家機密で同盟国にも伏せてある。
「スマイルメッセージは実現させません。絶対に」
大総統はそっと手を差し伸べる。すると柔らかい手がキュッと握りかえした。二人の女性はじっと互いの瞳を奥まで見つめ、やがて急接近した。黒髪にブロンドが重なりあい。シルエットが一つになる。
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青春
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ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
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