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「でも悪い人じゃないよ」
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俺たちはその脇を通り抜け、後ろを振り向いて、窓の向こうに見える駐車場の車を見たのだが、どのナンバーもレンタカーではなかった。杉村幸一名義になっていたから。
つまり杉村は昨日の昼間に北見さんを迎えに来た時のままの姿で、あの車に同乗してここまで来ているわけだ。もちろん運転免許証も持って来ていて……。彼の身分を示す物は他に何も見当たらない。どこで手に入れたのか知らないが、着ているのは美知香の入院服だった。俺は、俺よりもよっぽど怪しい人間がそこにいたことを発見したことで、ほっとして肩の力を抜きかけるのだが、それもつかの間のことである。美知香は立ち止まることなく歩いていくものだから、結局俺はまた彼女に遅れを取る羽目になった。俺は慌てて追いかけながら聞いた。
「あいつは何なんだ?」しかし美知香からの返答は、「さあ」というものでしかなかった。
「知り合いなのか」
「さっき会ったばっかりだからよく分かんない」美知香は前を向いていたから横目遣いになりつつ、肩越しにこっちを見やり、「でも悪い人じゃないよ」と、なぜだか確信めいたことを口にした。「多分ね」
俺はもう一度だけ振り返って、男の顔を盗み見た。すると男と目が合ってしまった。向こうは目を丸くしているのだが、俺の方はぎょっとしただけだ。俺達はお互いに見合ったままで固まるしかないのだろうか。○ 4月7日月曜日午後12時30分 俺はレンタカーを駆って、北見氏のマンションを目指した。運転するのは好きだ。無心に車を走らせているだけでいい。
昨夜はいろいろとあって眠れなかった。眠らなくても済む薬を処方してもらって飲んでおいたので眠気に襲われることはなかったが、気持ちが落ち着いてくれないために落ち着けるはずの仕事が全く手につかなかった。今日これから、何をしなければならないかを必死になって思い出してみることで気を紛らわせるほかはない。
美知香はずっと眠りっぱなしであるらしいが、昨日に比べれば随分のっぴきならない状況というわけではないようだから、心配する必要もあまりないだろうと思われた。しかし、昨日の夕方以降については、北見氏と連絡がつかない。美知香の病室へ電話を入れてみても、彼が出ないのだ。
津久居と名乗った男が北見氏の側付きであることは間違いなかった。
津久居氏にメールを送った。
「美知香ちゃんの父親から、うちの家族全員についてくれてるそうだね。津久居さんが」
返事はなかなか戻って来なかった。待っている間も不安だったので、もう一通送った。
「ありがとう。君がいてくれて、本当に良かったと思う。感謝の言葉もない。だけど」
そこで送信ボタンから指が離れた。
どう言えば彼に俺の真意を理解してもらえるものなのか、考え始めたからだ。俺としては彼を褒めちぎることによって感謝を伝えようとしたのだ。ところがそれが誤解を招く結果になるとは予想していなかった。津久居氏も俺と同じく、美知佳と付き人が一緒に行動していることに疑問を感じないのだろうか。それとも、二人の関係について俺ほど深刻な認識を持っていないのかもしれない。
そもそも、俺達と彼らは、どのようにして結びついたのだろう? 美知香に津久居氏が付き人のようなことをしてくれていることを知らされた俺は、彼女が津久居氏にメールを送って相談していたのだと思った。そのこと自体は別におかしいことでもないし不思議でもない。
問題は、二人が知り合った経緯である。俺が知っているのはあくまで、北見氏の側からの話ばかりだ。美知香にそれとなく確認すれば、きっと違う答えを得られるはずだと想像がついた。ただ、それを確認するのには勇気がいる。もし俺の想像通りのことが起こっていた場合、「そんなのあたしに関係ないじゃん」と言われる可能性が充分にあったからである。
俺は車を左折させる。
美知香がどういうつもりか、分からない。
ただの反抗期なら良い。しかしそうでない場合はどうするべきか。彼女の将来を考えれば、やはり美知佳の件を公にすることはためらわれた。
それにしても、美知佳と美知香は、どう使い分けるべきか微妙な名前だった。「美知佳」が実名なのだとしたら、彼女のことを単に美知佳と呼ぶのは躊躇われる気がした。美知香のことは美知香さんと呼びたくはないが、しかし津久居氏が「美知佳様」と呼んでいて「ええ? 何ソレ、やめてよ」などと言われてしまえば違和感が生じるのではないか。俺はまた迷い始めて、右折のためにハンドルを右に切ると、アクセルを踏み込んでいた足を止めた。
「どうすりゃ良い?」思わず口に出た。
「はい?」津久居氏が隣にいたら、「なんですか?」と聞き返されていたに違いない。独り言を言うのは昔からの悪い癖で、ついやってしまうのだ。それで誰かから何か言われようものならばムッとしてしまうくせにやめられなくて……まぁ俺のことなどどうでもいいではないか。津久居氏に聞かれていなかったことが救いだと思おう。
つまり杉村は昨日の昼間に北見さんを迎えに来た時のままの姿で、あの車に同乗してここまで来ているわけだ。もちろん運転免許証も持って来ていて……。彼の身分を示す物は他に何も見当たらない。どこで手に入れたのか知らないが、着ているのは美知香の入院服だった。俺は、俺よりもよっぽど怪しい人間がそこにいたことを発見したことで、ほっとして肩の力を抜きかけるのだが、それもつかの間のことである。美知香は立ち止まることなく歩いていくものだから、結局俺はまた彼女に遅れを取る羽目になった。俺は慌てて追いかけながら聞いた。
「あいつは何なんだ?」しかし美知香からの返答は、「さあ」というものでしかなかった。
「知り合いなのか」
「さっき会ったばっかりだからよく分かんない」美知香は前を向いていたから横目遣いになりつつ、肩越しにこっちを見やり、「でも悪い人じゃないよ」と、なぜだか確信めいたことを口にした。「多分ね」
俺はもう一度だけ振り返って、男の顔を盗み見た。すると男と目が合ってしまった。向こうは目を丸くしているのだが、俺の方はぎょっとしただけだ。俺達はお互いに見合ったままで固まるしかないのだろうか。○ 4月7日月曜日午後12時30分 俺はレンタカーを駆って、北見氏のマンションを目指した。運転するのは好きだ。無心に車を走らせているだけでいい。
昨夜はいろいろとあって眠れなかった。眠らなくても済む薬を処方してもらって飲んでおいたので眠気に襲われることはなかったが、気持ちが落ち着いてくれないために落ち着けるはずの仕事が全く手につかなかった。今日これから、何をしなければならないかを必死になって思い出してみることで気を紛らわせるほかはない。
美知香はずっと眠りっぱなしであるらしいが、昨日に比べれば随分のっぴきならない状況というわけではないようだから、心配する必要もあまりないだろうと思われた。しかし、昨日の夕方以降については、北見氏と連絡がつかない。美知香の病室へ電話を入れてみても、彼が出ないのだ。
津久居と名乗った男が北見氏の側付きであることは間違いなかった。
津久居氏にメールを送った。
「美知香ちゃんの父親から、うちの家族全員についてくれてるそうだね。津久居さんが」
返事はなかなか戻って来なかった。待っている間も不安だったので、もう一通送った。
「ありがとう。君がいてくれて、本当に良かったと思う。感謝の言葉もない。だけど」
そこで送信ボタンから指が離れた。
どう言えば彼に俺の真意を理解してもらえるものなのか、考え始めたからだ。俺としては彼を褒めちぎることによって感謝を伝えようとしたのだ。ところがそれが誤解を招く結果になるとは予想していなかった。津久居氏も俺と同じく、美知佳と付き人が一緒に行動していることに疑問を感じないのだろうか。それとも、二人の関係について俺ほど深刻な認識を持っていないのかもしれない。
そもそも、俺達と彼らは、どのようにして結びついたのだろう? 美知香に津久居氏が付き人のようなことをしてくれていることを知らされた俺は、彼女が津久居氏にメールを送って相談していたのだと思った。そのこと自体は別におかしいことでもないし不思議でもない。
問題は、二人が知り合った経緯である。俺が知っているのはあくまで、北見氏の側からの話ばかりだ。美知香にそれとなく確認すれば、きっと違う答えを得られるはずだと想像がついた。ただ、それを確認するのには勇気がいる。もし俺の想像通りのことが起こっていた場合、「そんなのあたしに関係ないじゃん」と言われる可能性が充分にあったからである。
俺は車を左折させる。
美知香がどういうつもりか、分からない。
ただの反抗期なら良い。しかしそうでない場合はどうするべきか。彼女の将来を考えれば、やはり美知佳の件を公にすることはためらわれた。
それにしても、美知佳と美知香は、どう使い分けるべきか微妙な名前だった。「美知佳」が実名なのだとしたら、彼女のことを単に美知佳と呼ぶのは躊躇われる気がした。美知香のことは美知香さんと呼びたくはないが、しかし津久居氏が「美知佳様」と呼んでいて「ええ? 何ソレ、やめてよ」などと言われてしまえば違和感が生じるのではないか。俺はまた迷い始めて、右折のためにハンドルを右に切ると、アクセルを踏み込んでいた足を止めた。
「どうすりゃ良い?」思わず口に出た。
「はい?」津久居氏が隣にいたら、「なんですか?」と聞き返されていたに違いない。独り言を言うのは昔からの悪い癖で、ついやってしまうのだ。それで誰かから何か言われようものならばムッとしてしまうくせにやめられなくて……まぁ俺のことなどどうでもいいではないか。津久居氏に聞かれていなかったことが救いだと思おう。
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