シリーズ、世にも得体の知れない物語②

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ルームミラー

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車は高速に入った。もうすぐ北見氏が住む団地が見えてくるはずで、その辺りからなら、タクシーを捕まえられる可能性も出てくるのではないかと期待していた。が、道は混んでいなかったし、信号で捕まることもなかったのになかなか進めなかった。
「すみません。事故渋滞のようです」運転中の津久居はルームミラーで俺を見て言った。俺はまだ助手席にいる。つまり津久居は運転席から話しかけたのだった。
「ああ」
俺はシートに背中を埋めてぼんやりしていたのだった。
窓の外を見るともなく見ていた。
北見氏のマンションの前に、車が五、六台停まっていた。救急車が何台も集まって、中へ入れそうになかった。野次馬の姿もあった。人が集まって騒いでいるところへ行って、話を聞くべきかどうか、迷った。
やがて救急車も去った。俺は、今度はマンションを見ないように窓の向こうに視線を移し、津久居の方を向かないで言った。「さっきの人だけど」
北見氏の付き人である津久居氏と、さっき初めて出会ったわけだから当然俺は知らない体で接しなければならないのだが、どうもその設定を守るのが面倒になってきていて、口調がぞんざいになっていた。
彼は、美知香のことを知っていたのか。それを聞こうとしていたのだが、「あの男は何なんだ? どこから来てどこへ行った?」と聞くよりも前に彼が返事をしてくれた。津久居はまたも、ちらりとルームミラーに目をやっていた。そこに自分の顔が映っていることに、彼もまた気づいたらしい。だから、「さっきの人は……」と言いかけて、「あれ」と津久居の方が先に驚きの声を漏らした。
それからすぐに、「誰?」と尋ねられた。
俺は黙って津久居の方を見た。すると津久居が首を捻って、「あなたじゃない」と言った。
そこでやっと、俺は彼の顔をまともに見た。「俺だよ」
俺は言った。そして「俺は、杉村隆。君とは初対面だけどね」
と、自己紹介した。
俺が運転していて、後部座席には津久居氏。助手席の背にはスーツを着た北見氏の死体が載っているはずだが、バック・モニターで見てはいない。ただ津久居氏が息を引き取ったのを確認しただけ。死体がどんな状態だったのかも、もちろん知らない。
北見氏が死んでから、一時間くらい経っていた。
美知香の付き人をしていたはずの津久居氏を、俺は全く知らなかった。津久居氏は津久居氏の方で、俺が北見氏の知り合いであることをまったく疑っていない様子である。
北見氏が死んでいるという情報は警察からもたらされたものだ。俺は昨夜のうちに、津久居氏へメールを送っておいた。北見氏が亡くなったことを伝えておくべきだと思ったのだ。
ところがメールは届かなかった。届いていないのではなくて送信できなかったのだと言うことは、津久居氏からの返信メールが途中で途切れていることからも明らかだ。
なぜそんなことになったのか。
理由はいくつか考えられるだろうが、まず第一に、津久居氏の携帯電話が圏外にあったということが挙げられるだろう。電波が届かないような場所、例えば山奥などへ入った時、携帯電話はしばしばこういう状態になることがあるらしいと聞いたことがあった。
次に第二に、津久居氏の携帯が故障中だったということが考えられる。メールを送れない状態にされていたのだとすれば、津久居氏の方に原因があるということになる。あるいは第三に、津久居氏が何らかの理由で電源を落としていた可能性だ。これはあまり考えられないと思う。なぜなら、メールを受け取れなかったことに対して津久居氏がメールを送ってよこしているからだ。「メールが届きませんでした」と知らせるだけの文章ならば、わざわざ送信してこなくても済むだろうからだ。
最後に第四として、津久居氏のアドレス帳に登録されていないメールアドレス宛てに送ったために、相手側の受信ボックスに届けられることなく破棄されてしまったというケースが挙げられるだろう。いずれにせよ、俺の送ったメールは津久居氏の元へは届かず、そのせいで津久居氏からは返信がなかった。
北見氏の死に関して、俺と津久居氏は、お互い全くの初対面であるかのように振る舞わなければならなかった。
「美知香ちゃんは無事ですか」
津久居氏は、俺と北見氏が友人であることを知らないので、そんな質問をした。俺は「ええ」と短く答えたが、内心では混乱していた。
美知香が俺の家に来たことを知っているのは、津久居氏だけだ。美知香が津久居氏に相談を持ちかけていたことを俺は知っているが、津久居氏は美知香から相談を受けたことはないことになっている。美知佳の件は、俺と彼女しか知り得ない秘密だった。
美知佳の件を津久居氏に打ち明けて良いものだろうか。打ち明けて、津久居氏に協力を求めた方が良いのではないか。いやいや待てよ、と俺は考えた。美知佳の件を打ち明けたら、津久居氏が彼女に付き添うことになる。そうすれば、美知佳が今どういう状況にあるのか、津久居氏に知られてしまうではないか。
津久居氏が美知佳に付き従う限り、美知佳が俺の家にいたことは隠し通せない。
美知佳を匿うことは、津久居氏にはできない。津久居氏が彼女のそばにいる間は、美知佳の件は隠しておくしかないのだ。
では、津久居氏がいなくなった後で、俺はどうする? 美知佳のことはどうしたらいいのだ? 美知佳が津久居氏に何を話したかわからないが、美知佳は津久居氏に、俺の家の住所を教えたに違いない。俺が美知佳を匿ったことが知れるのは時間の問題だ。
「美知佳さんはどうしてますか」津久居氏はまた尋ねた。「ええと」俺は言い淀んだ。美知佳は家に帰ったが、まだ熱が高くて寝込んでいる。
「そうですか。それは心配だ」
津久居氏は呟いた。
「津久居くんは、美知香さんのお母さんと、お友達なんですよ」と、北見夫人が教えてくれた。
「お母様と美知佳様は、特に親しいご関係でした」と、津久居氏が続けた。
「美知佳様のことで、何かあったらお報せください。私にできることがあれば、何でもします」
津久居氏は俺に向かってそう言った。俺は思わず、苦笑してしまった。「津久居さん、美知佳はもう大丈夫ですよ」
「しかし」
「美知佳は家に帰っています。熱も下がりました」
「そうでしたか」津久居氏は安堵の表情を見せた。「よかった」
「お葬式には出られそうかい」と、北見氏が津久居氏に訊いていた。
「はい。もちろんです」津久居氏が答えると、北見氏は「じゃあ、喪服を用意しないとね」と微笑んだ。「ところで、津久居君はいつまで美知香さんに付き添っているつもりなんだい」
北見氏は、津久居氏の方を向いた。「今日は、私の会社へ行ってもらう予定だったんだけどなあ」「申し訳ありません。でも、美知佳様の具合がよくなるまでは、私が面倒を見ますから」北見氏は大きく溜息をついた。「仕方ないね。まあ、うちはいつでも人を雇えるからね」
北見氏は津久居氏の肩をぽんぽん叩いて、慰めた。
「私はこれから、東京へ帰ります」津久居氏が言った。
その夜、美知香の容態が急変して早朝に死んだ。津久居氏は仕事の都合で美知香の葬儀を欠席した。北見氏が死んで三日が経った。
北見氏の遺体は火葬された。
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