紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く

やしろ

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副官四年目、身体は正直

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 じりじりとにじり寄ってくるオネエサンに、俺は何となく後ずさる。 
 敵軍に遭遇した時よりも、圧が凄くて動揺していると、「ふふ」とオネエサンが笑った。その笑い方はどこか紅緒様に似ていて、少しだけ緊張が弛んで動けるようになった。 

「今の、笑い方……」 
「お気に触った?」 
「いや、俺の上官の笑い方にちょっと似てた」 
「女性の上官がおられるの?」 
「いや、違うけど……」 

 紅緒様は女性じゃない。 
 顔があんまりに綺麗だから「傾国の美女」なんて敵国の連中は揶揄うけど、その手は骨ばってごつく、指は長くて、握力だって物凄く強い。 
 研究者は技術者でもあって、案外重い物や固い物を持ったり力仕事が多い。紅緒様だって研究もするけど、道具を組み立てたり作ったりするんだから、自然筋力とかが付くし、手だって固くなる。あの人の手は働き者でモノ作りする人の手なんだ。 
 身体だって世間の人が言うほど華奢じゃない。しっかりとした体幹は、ばねのようにしなやかな動きを生んで、まるで大型の肉食獣のようだ。麗しくて強い。 
 俺の方が筋肉も筋力もある、耐久力や持久力もだろう。だけど瞬発力はきっと遠く及ばない。紅緒様は守られるだけの存在じゃなく、その頭脳と技術で、沢山の人を守り救っているんだ。 
 名前は伏せて紅緒様の事を話せば、オネエサンはころころと笑う。 

「兵隊さんはその人の事がすきなのね?」 
「あ? そりゃ好きだけど」 

 当然好きに決まってる。 
 あの人の見る未来を俺も見たいとか、その役に立ちたいとか、人として好きだからこそ、そう思うんだろう。そしてそんな俺にいつも柔い視線をくれるんだから、紅緒様だって俺を嫌いじゃない筈だ。それは自信がある。 
 そう言えばオネエサンはおかしそうに口元を袖で覆う。 

「そういう事じゃないんだけど」 
「?」 

 なんのことだよと思って首を捻れば、益々オネエサンは笑みを深めて、ゆるゆると距離を縮めてくる。そうして俺の胸へとしな垂れかかってくると、赤い唇を近づけて来た。あ、これ口づけられるかなと感じた瞬間、手が勝手にオネエサンの唇を覆っていた。 

「ええっと、その……」 
「口づけはダメなの? じゃあ何からしましょうね?」 
「いや、あの……何もしないってのは無し?」 

 だって全然興奮しないんだ。催す兆しさえ見えない自身をさすと、オネエサンが本当に大きな声を出して笑う。そのうち涙まで浮かべて笑うから、ついつい俺は余計な事を口走ってしまった。 

「だって、仕方ねぇじゃん。遅刻したくないし、あの人との時間以外に体力使いたくねぇんだ」 
「へぇ?」 
「そう思ったら勃つもんも勃たねぇんだよ」 
「あらあらまあまあ、試してみる?」 

 きらっとオネエサンの目が光ったけど、あれは捕食者の目だった。 
 そして深更。 
 俺は隠れるようにして砦に戻って来ていた。 
 疲れた身体を引きずって、宛がわれている部屋に戻ろうとすると、まだ紅緒様の執務室には煌々と灯りが点いていて。 
 俺は慌てて執務室に駆けつけると、勢いよくその扉を開いた。中には案の定紅緒様がいて、キョトンと此方を見る。 

「なにしてんですか、こんな時間に!?」 
「何って……仕事だが。こんな時間?」 
「っす。時計見てください!」 
「あ」 

 呟いて、紅緒様がもじもじと俯く。 
 俺と紅緒様には四年の間に約束が一つ出来ていた。それはどんなに遅くなっても、日付が変わるまでに仕事を終わらせること、だ。そして今は日付が変わって二時間は経っている。 

「いや、約束を破るつもりはなくて……」 
「はい」 
「その、出穂が、お前がいないから、時間の感覚がなくて……」 
「……飯、食いましたか?」 
「食べた……と思う」 

 食ってねぇ。絶対食ってねぇな、これ。
 いつもなら真っすぐ見てくる目線が合わないことで、俺は察してしまった。
 しかし今から飯って言っても、食堂の人だって眠ってる。叩き起こすわけには行かない。そういうことは紅緒様が一番嫌う権力の使い方だ。
 仕方ないから、明日、いや、もう今日だけど、執務の間のお茶の時に出すために、街で買った土産を解いて、中の饅頭を紅緒様に渡すと、小鳥のように小さく首を傾げられる。 

「もう遅いんで飯がわりに食ってください」 
「独りで?」 
「俺も食います」 
「ん」 

 俺が饅頭を食うと、紅緒様も齧り付く。 
 こうなるんじゃないかと思いつつ、誕生会なんかに出かけた自分に腹を立てていると、そっと紅緒様が俺を窺っていることに気が付いた。 
 だけど解ってない振りをして、紅緒様が食い終わったのを確認して、俺は紅緒様をお部屋に送るべく一緒に歩く。 
 そうするとやっぱり物問た気な視線が刺さるから、俺は根負けして紅緒様に声をかけた。 

「どうしました?」 
「いや、あの……泊ってくるんじゃなかったのかと思って」 
「ああ……」 

 娼館に行くって言ったら普通は泊ってくるもんだろう。実際外泊届けも出したし。でも俺は泊らなかった。 
 其処を追及されると俺は大変気まずい。だけど俺は紅緒様に秘密や内緒ごとを作る気は無くて。 

「出来なかったっす」 
「え?」 
「いや、オネエサンもあの手この手でなんとかその気にさせようとしてくれたんすけど、どうしても無理で」 

 そりゃあ、もう色々さわさわあの手この手で何とかしようとしてくれたけど、結局何をどうしたところで愚息はまったく役に立たず。仕舞にはオネエサンが「マムシの黒焼きでも食べる? スッポンの生き血がいいかしらぁ?」なんて、額に青筋浮かせて言うくらいだった。 
 肩を落としながらそう説明すると、きゅっと紅緒様の眉根が寄る。でもこれは怒ってるんじゃなくて、心配してるやつ。俺には何となくだけど解る。 

「その……アレが兆すの兆さないのは、疲労や心因性の病だったりすることもある。だから、えぇっと……」 

 紅緒様がいつになく歯切れが悪い。 
 でもそうか、心の持ちようが原因で勃起したりしなったりするのか。それなら俺の身体の反応は別におかしくない。 
 判れば何とも清々しい気分だったから、俺はにかっと紅緒様に笑いかけた。 

「や、原因は解ったから大丈夫っす」 
「え? そう、なのかい?」 
「っす。俺、仕事に遅刻したくないから勃たなかったんすよ」 
「……それは……遅刻したぐらいでそんなに叱ったりはしないぞ?」 
「ああ、違うっす。俺の側の問題で」 
「お前の側の?」 

 俺の晴れやかな言葉に、紅緒様のお顔が一瞬曇る。でも俺はすっきりしたので笑ったままでいると、紅緒様がは続きを促すように俺をじっと見た。 

「俺が嫌だったんすよ。旨くもない酒飲んで、したくもないことして、紅緒様との時間を減らすのが。心がそれを理解する前に、身体の方が正直だったんすね、きっと」 

 笑ってそう告げれば、紅緒様は困ったように俯く。そう言えば紅緒様は、こういう「シモ」の話が苦手だったんだ。 
 慌てて紅緒様の表情を窺えば、案の定その白い肌が夜目にも解るくらい首筋から頬、耳まで真っ赤に染まっている。 
 ヤバい、本当にこういう話が苦手なんだ。もう絶対せんとこ。 

「……出穂は変わったやつだなぁ」 

 蚊の鳴くより小さな声がして、紅緒様の方を向けば、へにゃっとした笑顔がそこにあって。 

「今日も俺は通常運転です」 

 俺は何故か恥ずかしくなって、ふいっと紅緒様から視線を逸らせた。
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