雨飾の森の魔女

本谷紺

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雨飾の森

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 贄になるために育てられた私は、あんまりにも世の中のことを知らない。
 頼るあてもないのに、一人で生きていくために何が必要なのか、何ができるのかも分かっていないのだ。

 魔女様が私を生かしてくれても、森を出たところで、路頭に迷って行き倒れるのが目に見えている。

「自分の力で生きて行けるようになったらすぐに出て行きます。なるべく邪魔にならないよう努めますし、私にできることなら何でもやります。
 ですから、どうか……!」
「オ、オレも! オレも働くぜ!」

 交渉できるような材料は何もないから懇願することしかできない。魔女様が嫌だと言えばそれまでだ。

 魔女様は私たちを見て、困ったような顔をした。

「いや、俺はもとよりそのつもりだったんだが」

 …………へ?

「お前に行くあてがないことくらいは分かるし、その上で放り出すようなことはしないさ。そうでなけりゃあわざわざ新しい部屋なんて用意しないだろ」
「新しい部屋、って」

 ふと、ひとつ、思い浮かんだことがある。
 私は二階からこの部屋に降りて来た。だけど昨日この部屋に、二階に続く階段なんてあっただろうか?
 昨日は精神的に今以上にいっぱいいっぱいだったから見落としていただけかと思っていたけど。……まさか。

「あの、私が使わせていただいた部屋って、もしかして……」
「お前が寝ている間に作った」
『作った?!』

 私とブレンダの声が重なった。

「この家に客室なんてものはないからな、ないなら作るしかないだろう」

 魔女様は当たり前のことみたいに言うけれど……この口ぶりからすると、何もなかったところに本当に「作った」ということなのだろう。
 魔法で?
 そんなことができるの?
 信じがたくても、私たち人間の想像が及ばないのが「魔女」だ。直接会ったのは雨飾の魔女様が初めてだけど、魔女に関する本は色々読んできた。
 
「じゃあ、私、ここにいてもいいんですか?」
「お前が嫌でなければ」

 本当に、信じられない。家を発つ時、森に入る時には想像もできなかった。こんなに何もかもがうまくいくなんて。

「よろしくお願いします!」

 勢いよく頭を下げる。
 魔女様が何を思って私によくしてくれるのかは分からない。
 何だっていい。
 せっかくのご厚意。せっかく繋いだ命。
 ここで暮らして、成長していこう。いつか一人で生きていけるようになるまで。


「さて、そうなればひとまず、契約を結ばなけりゃならんな」

 食べ終わった食器を片付けようとまとめていると魔女様が言った。

「契約?」

 何だか私、魔女様の言葉を繰り返してばかりだ。
 初めて知ることばかりなのだから仕方ないと思いたいけど、これから覚えていかないと。

「この森は俺の所有物で、よそ者が簡単には歩き回れないように魔法がかかっている。お前がこの家まで辿り着けたのはひとえに妖精の道案内のおかげだな」

 言われて、まじまじとブレンダを見つめてしまう。彼はテーブルの上のものを端から見聞している最中でこっちの話を聞いてもいない。
 私が歩きやすいように道を教えてくれたのは分かっていたけど、そこまで重要な役割を果たしていたなんて。

「そういうわけで、このままでは人間のお前がこの森で暮らしていくのは難しい。だから俺と契約して、……簡単に言えば、俺の所有物になってもらう」
「所有物、ですか」
「もちろん仮のものでいい。死ぬまでお前の命を縛るつもりはないからな。そうだな――」

 魔女様は私の顔の前に手を差し出した。人差し指の背がこちらに向けられている。

「ここに唇を当ててくれ」
「えっ!」
「本来なら口付けを交わす必要があるんだ。嫌だろうが、これくらいは我慢してくれ」

 い、嫌とは言いませんけども。

 魔女様の白く長い指。
 私はあまり外に出ることがなかったから日に焼けていない方だと思うけれど、魔女様の肌は比べ物にならない。――以前見た、どこかの国の陶器のよう。

 高価な美術品に触れるような心地で、私は恐る恐る唇を寄せる。
 触れた箇所にはひやりとした冷たさがあった。

 魔女様はその指を自分の顔の前に持っていくと、低い声で何か唱え始める。
 呪文、あるいは誓約文だろうか。魔術の呪文は私には分からない。
 そうして唱え終わると、魔女様は人差し指の背にキスをした。

 ……危うく喉から変な音が飛び出すところだった。
 本来なら口付けを交わすと言っていたのだから、間接的にそれを再現するのも考えてみれば当たり前なのかもしれない。
 それでも、無性にドキドキしてしまうのは仕方のないことだと思いたい。

 異性とこんな距離感で接するのは私にとって初めての経験なのだから。

「これで契約は済んだ。この森については追々教えていくから……どうした?」
「いっ、いえ、何でもありません!」

 動揺を隠せない私に魔女様は訝し気な顔をする。
 彼にとっては人間の小娘なんて特別な意識を抱く相手ではないのだろうに。一人で慌ててしまうのも馬鹿みたいな話だ。

 早く慣れていかなければ。
 この美しい人とこれから一緒に暮らしていくのだから。
 ……慣れるのかなぁ。

 テーブルの上のブレンダも、私の様子を不思議そうに見上げている。
 この子がいなければ二人きりだったのだ。そう思うと、これまでとは違った意味でブレンダに感謝したくなる。

「いつもありがとうね、ブレンダ。これからもよろしく」

 私の複雑な胸中など想像できるはずもない小さな妖精は、へへ、と照れ臭そうに笑った。
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