ある平凡な姉の日常

本谷紺

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春、一の月

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 教員たちはそれぞれ、学院内に自分の研究室を持っている。
 授業の内容について質問に行ったり、他の先生に頼まれて届け物をしたりで、色々な先生の研究室に足を踏み入れたことがある。
 教師という職業がそうなのか、優れた魔導士がそうなりやすいのかは分からないけれど、学院の先生たちは個性の強い人が多い。個性は部屋の内装にも反映され、同じ建物の中だとは思えないほど様々な様相の部屋があった。
 オズ先生の部屋は、私が見てきたどの研究室ともまた異なっていた。
 私がここを訪れるのは今日が初めてだ。厚い本がぎっしりと並ぶ、天井まで届く高さの本棚。見たこともない魔道具が置かれた棚。目に入るもの全てに歴史を感じるけれど、それらは綺麗に整頓され、不思議なほど清潔感がある。先生は一日の大半をここで過ごしているはずなのに、生活感のようなものがまるで感じられないのだ。室内の雰囲気はそのままオズ先生の印象と繋がっていた。
「わたしの指導を受けたいと?」
「はい」
 先生は椅子にかけたまま、机越しに、私の両目を見据える。立っている私の方が目線は高いはずなのに、押し潰されそうなほどの威圧感がある。
 歳の頃はお父様と同じくらいだろう。身長も同じくらいのはずだ。それなのに、纏う空気はまるで異なる。お父様の、貴族らしくないと言われるほどの穏やかさと、オズ先生の重く鋭い眼差し。逆と言われた方が腑に落ちるとさえ思える。
 先生は私を睨んだまま姿勢を変え、背もたれに体を預けた。
「わたしは研究指導は不得手だ。しかし、担当教員として名を連ねる以上、生半可な成果では君に卒業の資格を与えるわけにはいかない。当然、君のを加味するつもりもない。それでも構わないと?」
 ――四学年の終わり、研究提出の際に、その生徒が卒業に足るかを決めるのは担当教員だ。例え生徒が自分なりの最善を尽くしたとして、教員が不足と断じたならもう一年の学生生活を続けることになる。魔導士として大きな汚点だ。
 私が魔道士としてであっても情けをかけるつもりはないと宣言されている。
 その方がありがたい。
 無理を押して魔法学院に入学したのは、箔が欲しかったからではない。家に縋らずとも生きられる力が欲しかったからだ。
「それこそ、私の望むところです」
 一瞬たりとも目を逸らしてなるものか。心のままに言葉を返せば、先生はふぅと息を吐いた。
「……強情は姉妹ともか。
 分かった、引き受けよう」
「ありがとうございます!」
 やや呆れた風にではあるけれど、そう言われて緊張が解ける。
 正直なところ、先生が引き受けてくれるかは賭けだった。魔法が使えない生徒の指導など好んで引き受ける教員はいないだろう。何かと理由をつけて拒否されることも充分考えられた。一年間しか時間がない中で、担当教員が決まるまで頭を下げ続けるのは、それしか道がないとはいえ辛いことに違いない。第一希望の先生に跳ねのけられなかったのは幸いだ。

 こうして私は、晴れてオズ先生の研究室に所属することになったのだった。


「よくやりますよねぇ、実際」
「なに、がっ?」
 繰り出した切っ先をひょいとかわされる。
「あの、オズ先生でしょう? いくら優秀な、魔道士とはいえ、四六時中顔を合わせるのは、ね」
 引いた腕をもう一度突き出す、もう一度、今度は薙ぐ。致命のつもりの攻撃がまるでなかったかのように、するりと近寄られ肩を軽くはたかれる。
 もしもこれが実践ならここに刃を突き立てていましたよ、の合図だ。
 私は動きを止め、全身を弛緩させる。途端にどっと噴き出す汗。荒い息を何度も繰り返す。
 また、負けだ。もう何度目かなど数える気にもならないほど繰り返してきた敗北。そもそも私は、手合わせでラスティに一撃加えられたことなど一度もない。
 学院の鍛錬場。全学年合同での剣武の授業では、三十名ほどの生徒たちがそれぞれに刃を交えている。もちろん、怪我をしないよう木剣での模擬戦だ。
 他の生徒たちは先生の指導のもと鍛錬しているけれど、私は二学年の時からずっとラスティと手合わせし続けている。理由は主にふたつ。私のような女子と打ち合いたがる人がほとんどいないこと。ラスティの剣術と武術が優れ過ぎていて、先生を凌駕してしまっていること。――割れ鍋と綴じ蓋。
 四学年になり、剣武の授業にも参加せずともよくなった。それでも望んで出席を続けている。魔導士としての勉学に集中していると、簡単に体の動かし方を忘れてしまいそうで怖いのだ。ラスティは、私が短剣を扱うことを歓迎してくれている。ちなみにエリィはとても反対している。
『お姉様の美しいてのひらに肉刺まめができてしまいます!』
 妹の心配はありがたいけれど、こうして体を動かすのは気分転換にもなって良い。
 額の汗を指先で拭う。ようやく息も整ってきた。
 ……ラスティは息ひとつ乱さずに、調子をみるように手足を曲げ伸ばししている。実力差は自覚しているといえ何とも悔しい。
「四六時中と言うほどでもないわ。今のところ、呼び出されることもないし」
「まあ、オズ先生ですからね。よほどの用でもなければ部屋に生徒を招くなんてしないでしょう」
「そうね……」
 研究室に所属する学生は、ただ自分の研究を見てもらうだけではない。教員が必要とした際には、その研究の手伝いをしなければならない。それによって忙しい教員は人手を得、学生は教員の研究に触れ知識と経験を得る。そういった関係で成り立つのが研究室だ。
 私も、オズ先生に呼ばれれば何を置いても赴かなければならない。……のだけれど。数日が過ぎてもまだその機会は一度もない。
「研究室によっては、常に何人もの学生が部屋に詰めているところもあると聞くけれど」
「そこは先生次第でしょうねぇ」

 それからまた何戦か刃を交えて――正確には一度も刃は届かず――授業終了の鐘が鳴った。
「では、また帰りに」
「ええ」
 ラスティと別れ、それぞれ校舎へと戻る。
 今日はこの後予定がない。着替えたら、エリィとラスティの授業が終わるまでは図書館で調べものをしよう――。
 考え事をしながら歩いていたせいで、廊下の向こうから歩いて来る人影に気付くのが遅れた。
 ハッと顔を上げた時には、黒い影はすぐ目の前にあった。
 黒い髪、暗い色の瞳、着ている服はいつ見ても黒一色。もう少しお洒落をしても誰からも文句は出ないと思う。
 オズ先生だ。
「ご機嫌よう、先生」
「来月に調査が決まった」
 挨拶に、淡々とした言葉で返される。
「調査、ですか」
「ティニリッジ先生との合同調査だ。互いの研究室の学生にも助手として来てもらうことになる」
 ティニリッジ先生は古代魔法を専門とする先生だ。遺跡調査などにはよく行っている印象があるけれど、オズ先生も一緒にというのは――。
「先日起きた事件の調査に行く」
 先生の唇の動き。ほんの束の間、迷いが見えた。
 それでも言葉はすぐに紡がれる。
「……の調査だ」
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