ある平凡な姉の日常

本谷紺

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春、一の月

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 遥か昔。この地には、今とは異なる文明が栄えていたという。
 当時ここには人類と精霊とが住んでいた。魔導士たちは精霊の力を借りて魔法を行使していた。今で言うところの古代魔法である。
 大陸全土に広がり栄華を極めた文明は、果たして何が起きたのか、ある時滅び潰えてしまった。その際、精霊たちはこの世界とは別のところ――「裏側」と呼ばれる場所へと去り、以来人類との交流は絶たれた。
 後の世の研究者たちは、わずかに遺された文献や遺跡を頼りに古代魔法の研究を続けてきた。
 彼らがどれだけ望めども、精霊にまみえることは叶わない。
 ……しかし。
 文明の滅んだこの土地に新たな住人が根付き、新たな国が興り、今日までの日々の中で。時折、忽然と人が消える事件が起きることがあった。
 ほんのわずかに目を離した隙に忽然と姿が消える。どれだけ探しても、足取りを探っても、何ひとつ痕跡が見つけられない。
 いつの頃からか、それは「精霊落とし」と呼ばれるようになった。人の目には見えない穴から、精霊の住む「裏側」に落ちてしまうのだと。
 明らかになっているだけでも数年に一度発生する「精霊落とし」において、こちら側へと帰還した例はほとんどない。

「どういうことですの?!」
 校舎から停車場へ一直線に歩いてきたエリィに物凄い剣幕で迫られる。
「精霊落としの調査だなんて、先生は何を考えておいでですの?! 信じられませんわ!」
 どう説明しようかと思案していたのは無駄だった。私も話を聞いてから数時間しか経っていないのに、いったいどこで聞きつけたのか――と思ったけれど、そういえばエリィは古代魔法の授業を受講していたはずだ。ティニリッジ先生から何か話があったのだろう。
「エリィ、落ち着いて、中で話しましょう」
 とにかく、外ではあまりに悪目立ちする。ただならない冷気に馬も怯えている。私はエリィと、同じく不満げな顔をしているラスティを馬車へ押し込んだ。
 肩を並べて座ると、エリィは多少落ち着きを取り戻したようだ。家へ向かう道中、事の成り行きを説明する。
「――学院の先生が付近で起きた事件の調査を受け持つのは珍しいことではないわ。それに、精霊落としのあった場所でその後も事件が続いたことはないし、今回は私たち学生に野外調査を体験させるための形だけのものでしょう」
「そうは仰いますけれど……」
「……リン様は、恐ろしくはないのですか」
 向かいに座るラスティの表情は険しい。
「オレにも納得できません。事件の起きた場所に、を連れて行くなんて」
 二人が何を懸念しているかは分かっている。お父様やお母様も同じことを言うだろう。
 かつて精霊落としに遭った私を心配しているのだ。
「どうしても参加されるなら、私も共に参ります!」
「もちろんオレも」
「平日に泊りがけで行くのよ? あなたたちは自分の授業があるでしょう」
『う』
 成績優秀者が上学年の授業に参加することはある。
 けれど、心配だから自分の授業を放り出して着いて行くというのは話が別だ。
 到底納得してくれそうにはないけれど。
「エリアデル、ラスティ」
 二人の手を取り、努めて優しく名前を呼ぶ。
 私の可愛い弟妹たち。二人が私を慕ってくれるのが嬉しくとも、いつまでもその庇護下に甘んじているわけにはいかない。
「あまり心配しないで。当日までまだ日があるから、二人は支度を手伝ってちょうだいね」

 二人に説明した通り、今回の調査で得られるものは恐らくないだろう。
 過去、調査によって精霊落としで消えた人物の足取りを掴めたことはない。
 けれど――もしも、何かの足掛かりだけでも見つけられれば。それは大きな前進になる。
 私はそれを果たしたい。魔法も使えないくせに、身の丈に合わない望みを抱いている。
 叶うなら、これ以上誰も「裏側」へ迷い込むことのないようにしたい。
 私のことなどいいのだ。エリィやラスティがもう二度と、あのような危険な目に遭わないように。
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