ある平凡な姉の日常

本谷紺

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春、二の月

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 予定通り、太陽が一番高いところに来る前に村へ到着した。大きな街道からは外れたところにあるのどかな村で、唯一の宿を事前に押さえてある。先に部屋なんて取らなくても、そうそう客なんて来ませんがねぇ、と宿の主人は笑いながら言った。
 調査に使わないものは宿に置いていく。荷物を下ろし終えたら一階の食堂で遅めの昼食だ。
 一番大きなテーブルを八人で囲んでの食事はとても賑やかなものになった。
「これ美味いですよ」
「あ、そっち取って」
「馬車って結構疲れますね」
「午後の天気ですけど」
「それ肉? 魚?」
 大人数での食事は経験があるけれど、こうも会話が飛び交うのは初めての体験である。学院の食堂でもここまで賑やかな光景はそう見ない。
 喋りながらでも、男子たちの食事の速度は衰えない。私も自分から手を伸ばさなければすぐにも大皿が空になってしまいそうだけれど、どうしたものか。一人困っていると、隣の席の学生に声をかけられた。
「バーウィッチさん、ちゃんと食べてる? オレ取ろうか?」
「あ、あの……」
 答えるよりも早く、私の皿に料理が手早く取り分けられる。
「ありがとうございます……ええと……」
 視線をさ迷わせる私に首を傾げてから、彼は「あっ」と声を上げた。
「オレ、アキ・ターバラね」
「……すみません、ターバラさん」
 名前を覚えていないことを察されてしまった。馬車に乗る前に全員の自己紹介を聞いたというのに。失礼をした上に気を遣わせてしまうなんて、顔から火が出るほど恥ずかしい。
 身を小さくする私に、彼は気にしないでと軽い調子で言ってくれる。
「気にしないでいいよ。あんな短いやり取りで名前なんて覚えらんないって」
「何、何、何の話?」
 すぐに他の人も話に加わってきて、そこからは食事を続けながら自己紹介をし直すことになった。
 朝の時は名前を聞いただけだったけれど、今度はそれぞれの研究内容の話題も織り交ぜられた。単に顔と名前を覚えるより、それぞれの興味関心と紐づけた方が頭に残りやすくてありがたい。
 赤髪でそばかすのあるルズベリーは、未解読の古代詩の翻訳を目標としている。
 黒髪のトローツは小柄で背丈は私と変わらないくらい。サザランド地区遺跡群の発掘隊に加わる予定だとか。
 舞台俳優顔負けの美声を持つのはハイランズ。音声学にも造詣があり、古代魔法の呪文の発音を研究中。
 顎髭のせいか周りより大人びて見えるのがアント。古代人の精霊信仰に関心があるらしい。
 そしてターバラは、古代魔法の空白領域を研究するという。
「空白領域を……それは、学生には難しいのでは?」
 ティニリッジ研究室の面々の研究はどれも難易度の高いものに思えるけれど、中でもターバラのそれは群を抜いている。
 長い時の向こうに忘れ去られた古代魔法は、様々な研究者の努力によってその一部が復元されている。魔導士の中でもごく一部だけれど、実際に古代魔法を行使できる者もいる。
 けれど、現代によみがえったそれらの魔法は、完全な形ではない。
 私たちの学ぶ魔法とは異なる法則で成り立つ古代魔法は、解き明かされていない箇所を含んでいる。それ故に不安定で、効果や威力は古代の頃に遠く及ばない。
 空白領域を解き明かし、魔法を完璧なものにしたならば、現代の魔法理論にも大きな進歩が訪れるだろう。
 一介の学生が目指すにはあまりに高い山だ。驚きの隠せない私に、他の人たちも賛同する。
「そうそう、大それた研究内容だよな」
「そんなのできたらもう一流も一流だって」
「分かってるよ」
 からかうような口調だけれど、誰も本気でターバラを馬鹿にはしていないことが伝わる。彼の本気を理解して、その無謀にも思える挑戦を応援しているのだろう。
 ティニリッジ先生も、口を挟まず彼らの戯れる様子をにこやかに眺めている。
 ……一学年の頃の経験から、他の生徒とはあまり交流しない方が気が楽だと思っていたけれど。同じ歳の学生たちの、こういった姿を見ると、少なからず羨望の感情が胸の内に湧いてくる。
 オズ先生の研究室にも私の他に誰かいたら、同じように和気藹々とできただろうか?
 ティニリッジ先生の隣で無表情のまま食事を続けるオズ先生を秘かに見遣る。
 ……たとえ人が増えたところで、私たちの研究室の雰囲気は変わらない気がする。
「で、バーウィッチさんの研究は?」
 五人の話を順に聞いたのだから、次は当然私の番だ。
 改めて、自己紹介を兼ねて。
「リンジット・バーウィッチです。研究内容は……まだ詳細には決めかねているのですが、魔道具の利用法について再考したいと思っております」

 そうして昼食の時間はは賑やかに、和やかに過ぎて行き。
 私たちは、いよいよ調査現場へ向けて出発した。
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