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春、二の月
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オズ先生の作業速度は早かった。直接比較したわけではないけれど、潜針を使っている学生たちとは一箇所にかける時間が段違いに短いはずだ。
先生は潜針を使っていない。空間魔法の達人である先生は、道具や土を介さず、魔法で直に土中の様子を探ることができる。
私も、もとより悠長にするつもりはなかったけれど――迅速に記入を済ませなければ、先生を待たせることになってしまう。かといって焦りすぎて判別を誤っては元も子もない。魔法薬学の学年末テストでも草木の観察にこんなに緊張はしなかった。
調査した場所は、付近の樹木の目立つ位置に赤い紐を結んでおく。そして次の場所へ移動。そこも終えたらまた次の場所へ。オズ先生と私はどんどん作業を進めていく。
時折他の組と出会って、こちらは終わった、では次はあちらを、などと言葉を交わし。
気が付けば、明るかった空が、夕暮れの気配を纏い始めている。
日暮れ前には元の場所に戻って撤収しなければならない。オズ先生が時間を忘れることはないだろうけれど、一応声をかけてみた方がいいだろうか。
そう考えた時。
声が聞こえた。
「……?」
思わずぐるりと周囲を見回す。
他の組の会話が聞こえてきた……にしては、何かが違った気がする。どんな言葉だったのかも、どんな声だったのかすら判然としなかったけれど。獣の鳴き声や葉擦れの音を聞き違えたのだろうか。
どうしてか、胸の奥がざわめく。
「疲れたか」
声をかけられて我に返る。いつの間にか立ち上がったオズ先生がこちらを見ていた。何をするでもなく立っている私が傍からはどのように見えるか想像に難くない。
咄嗟に喉から出かけた否定の言葉を呑み込む。
自覚がないだけでそうなのかもしれない。神経が疲弊すると心も弱りやすくなる。
「そう……かもしれません」
「そうか」
先生は空に目をやって、
「いい頃合いだろう。引き上げよう」
「分かりました」
手荷物を持ち、早速歩き始めるオズ先生の後に続こうと、数歩進んだところで先生は足を止めた。
何かあったのだろうか。先生の様子を眺めていると、ややあって、私の方を振り返る。
何とも苦々し気な顔。
「……すまない」
「え?」
「君と行動を共にしていることを忘れていたわけではない、が……少しは気を払うべきだった」
これは、つまり。
私が疲労したのは自分のせいだと、そう言っているのだ、と。
理解した瞬間慌てに慌てた。
「そ、そんなっ、とんでもない!」
教員が生徒に謝っているところなどあまり見ない。まして、常に知識と技能と正論とを携え、生徒相手に一分の隙も見せないオズ先生の謝罪なんて!
「私に体力が足りないのがいけないのですから、先生の責任などございません!
それに、先生はずっと作業に集中されていたでしょう? 行動を共にさせていただいて、私もその集中力を見習うべきだと改めて感じました」
「違う」
心からの言葉だったけれど、先生は短く否定した。
いったいどの部分を否定されたのだろうか。
「違う、とは?」
「…………」
先生は私から視線を逸らした。何だか、語り難そうな。気まずそうな。初めて見る顔だった。
深く、溜め息を吐いてから。重たい声で話を続ける。
「集中していたのは確かだが、そう褒められたものではない」
「どうしてですの?」
「魔導士というのは、望む望まざると、己の習得した魔法にこだわりを持つものだ」
急に話が変わったように思えるけれど口は挟まない。先生の話は黙って聞くものだ。
「良く言えば愛着。有体に言えば執着だろう。自分が修めた学問こそがより優れたものだと思いたがるのは魔導士に限るまい。
ともかく、魔導士にとって魔法とはそういったものだ。恐らくは騎士が勲章に誇りを持ち立派な剣を持ちたがるようなものだろう。
魔導士はだれしも、己の魔法がいかに有用かを示したがっている。しかし残念ながらその機会はさほど多くない。学院に優秀な教員が集まるのは、学生に魔法を教え伝えることで顕示欲を満たしているという見方もある」
静かだけれど淀みない調子はかつて受けた講義を思い出す。けれど、いつになく迂遠な表現はオズ先生らしくない。
聞きながらその言わんとするところを推察する。
とどのつまり……
「空間魔法の行使を楽しんでいらした、ということでしょうか……?」
「……」
押し黙ったまま、先生はくるりと踵を返した。そのまま歩き始めてしまう。
図星を突いてしまったらしい。私はその後を小走りで追いかける。
謝ったり、言い訳じみた説明をしたり、図星を突かれて押し黙ったり。オズ先生にこんなにも人間らしい一面があるとは思わなかった。
体は少し疲れているし、足元の悪い中で先生を追いかけるだけでも大変だけれど、ひとりでに口元が綻ぶのを堪えられない。
やっぱり、調査に参加して良かった。きっとこの三日間は、知識だけでなく得るものの多い時間になるだろう。
先ほど聞こえた声や感じた不安はすっかりどこかへ吹き飛んでしまっていた。
先生は潜針を使っていない。空間魔法の達人である先生は、道具や土を介さず、魔法で直に土中の様子を探ることができる。
私も、もとより悠長にするつもりはなかったけれど――迅速に記入を済ませなければ、先生を待たせることになってしまう。かといって焦りすぎて判別を誤っては元も子もない。魔法薬学の学年末テストでも草木の観察にこんなに緊張はしなかった。
調査した場所は、付近の樹木の目立つ位置に赤い紐を結んでおく。そして次の場所へ移動。そこも終えたらまた次の場所へ。オズ先生と私はどんどん作業を進めていく。
時折他の組と出会って、こちらは終わった、では次はあちらを、などと言葉を交わし。
気が付けば、明るかった空が、夕暮れの気配を纏い始めている。
日暮れ前には元の場所に戻って撤収しなければならない。オズ先生が時間を忘れることはないだろうけれど、一応声をかけてみた方がいいだろうか。
そう考えた時。
声が聞こえた。
「……?」
思わずぐるりと周囲を見回す。
他の組の会話が聞こえてきた……にしては、何かが違った気がする。どんな言葉だったのかも、どんな声だったのかすら判然としなかったけれど。獣の鳴き声や葉擦れの音を聞き違えたのだろうか。
どうしてか、胸の奥がざわめく。
「疲れたか」
声をかけられて我に返る。いつの間にか立ち上がったオズ先生がこちらを見ていた。何をするでもなく立っている私が傍からはどのように見えるか想像に難くない。
咄嗟に喉から出かけた否定の言葉を呑み込む。
自覚がないだけでそうなのかもしれない。神経が疲弊すると心も弱りやすくなる。
「そう……かもしれません」
「そうか」
先生は空に目をやって、
「いい頃合いだろう。引き上げよう」
「分かりました」
手荷物を持ち、早速歩き始めるオズ先生の後に続こうと、数歩進んだところで先生は足を止めた。
何かあったのだろうか。先生の様子を眺めていると、ややあって、私の方を振り返る。
何とも苦々し気な顔。
「……すまない」
「え?」
「君と行動を共にしていることを忘れていたわけではない、が……少しは気を払うべきだった」
これは、つまり。
私が疲労したのは自分のせいだと、そう言っているのだ、と。
理解した瞬間慌てに慌てた。
「そ、そんなっ、とんでもない!」
教員が生徒に謝っているところなどあまり見ない。まして、常に知識と技能と正論とを携え、生徒相手に一分の隙も見せないオズ先生の謝罪なんて!
「私に体力が足りないのがいけないのですから、先生の責任などございません!
それに、先生はずっと作業に集中されていたでしょう? 行動を共にさせていただいて、私もその集中力を見習うべきだと改めて感じました」
「違う」
心からの言葉だったけれど、先生は短く否定した。
いったいどの部分を否定されたのだろうか。
「違う、とは?」
「…………」
先生は私から視線を逸らした。何だか、語り難そうな。気まずそうな。初めて見る顔だった。
深く、溜め息を吐いてから。重たい声で話を続ける。
「集中していたのは確かだが、そう褒められたものではない」
「どうしてですの?」
「魔導士というのは、望む望まざると、己の習得した魔法にこだわりを持つものだ」
急に話が変わったように思えるけれど口は挟まない。先生の話は黙って聞くものだ。
「良く言えば愛着。有体に言えば執着だろう。自分が修めた学問こそがより優れたものだと思いたがるのは魔導士に限るまい。
ともかく、魔導士にとって魔法とはそういったものだ。恐らくは騎士が勲章に誇りを持ち立派な剣を持ちたがるようなものだろう。
魔導士はだれしも、己の魔法がいかに有用かを示したがっている。しかし残念ながらその機会はさほど多くない。学院に優秀な教員が集まるのは、学生に魔法を教え伝えることで顕示欲を満たしているという見方もある」
静かだけれど淀みない調子はかつて受けた講義を思い出す。けれど、いつになく迂遠な表現はオズ先生らしくない。
聞きながらその言わんとするところを推察する。
とどのつまり……
「空間魔法の行使を楽しんでいらした、ということでしょうか……?」
「……」
押し黙ったまま、先生はくるりと踵を返した。そのまま歩き始めてしまう。
図星を突いてしまったらしい。私はその後を小走りで追いかける。
謝ったり、言い訳じみた説明をしたり、図星を突かれて押し黙ったり。オズ先生にこんなにも人間らしい一面があるとは思わなかった。
体は少し疲れているし、足元の悪い中で先生を追いかけるだけでも大変だけれど、ひとりでに口元が綻ぶのを堪えられない。
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