ある平凡な姉の日常

本谷紺

文字の大きさ
11 / 21
春、二の月

しおりを挟む
 二日目の朝。宿の主人が用意してくれた、朝から量のある食事を全員で綺麗に平らげて、私たちは再び調査地へ向けて出発した。
 今日は一日目よりも森の奥へ入り、調査範囲も広くなる。一日目は言うならば二日目のための練習だった。
 昨日よりも踏み入ったところで一度荷物を下ろし、必要な道具が配布される。昨日よりも装備が増えた。
 組分けは変わらず。私とオズ先生は道沿いを、他の三組は離れた箇所を調査する。
 最終確認の後、ティニリッジ先生から注意がされた。
「今日は調査地が大きく離れるから、各々相方とはぐれないように気を付けてくれ。万一の際にはすぐに合図をするように」
 獣に襲われる、足を滑らせて崖下へ落ちる、ちょっとした切り傷から毒が入る、遭難……野山での事故は珍しくない。先生方はともかく、私たち学生は不慣れだからなおのこと。
 何かあれば、爆発魔法などが使える者は空へ向けてそれを放ち、そうでない者は発煙筒を使うことになっている。
「じゃあ、みんな怪我のないように」
 そうしてそれぞれの持ち場へと散会した。

 作業としては昨日とほとんど変わりない。分担も、山へ登ったり草むらへ分け入ったりする他の組と比べれば楽な範囲だ。けれど昨日よりも神経を尖らせ、取りこぼしのないよう細かに移動しながら調査を進めていく。それは、私たちの調べているこの道沿いこそが、精霊落としの起きたまさにその場所とされているからだ。
 村から森の中を通り山へと続くこの道は、木こりなどにも普段から使われている。精霊落としに遭い失踪したとされている薬師の青年も、採取地へ向かう際にこの道を使うことが多かった。失踪後ほどなく調査が入った際に異変がないか徹底的に調べられたけれど、獣や山賊などに襲われた痕跡は見つからなかった。本当に、ふつりと、消息を絶ったのだ。それこそがまさに精霊落としの特徴。
 当時ですら見つからなかったものが、ふた月近く過ぎた今になって見つかるとは思えない。それでも、魔導士たちの手が入ることで、何か手がかりの欠片でも見つかるかもしれない。見つかるといい。これはそういう調査だ。
 全ての植生を書き留める心意気で、目を皿のようにして記録に注力する。
 作業自体は一日目と変わらないけれど、一段と密度の濃い時間が過ぎて行く。地道な作業には時間がかかる。本格的な野外調査には月単位で日数をかけることもあると聞くけれど、それも納得だ。いくら時間があっても足りる気がしない。
 オズ先生と離れないよう着いて行きながら、また次の地点の観察。
 昨日も思ったことだけれど、ここはとても豊かな森だ。私が暮らしている王都は繁栄と引き換えに緑が少なくなってしまった。生まれも育ちも王都だけれど、どちらかと言えば自然の中の方が性に合っていると思う。
 作業に没頭しながらも、脳裏には懐かしい記憶が過ぎる。幼い頃、家族みんなで夏を過ごした別邸。エリィやラスティの手を引いて、野原や小川や、色々なところへ出かけた。屋敷の裏の森は、この森とよく似ていた。そう、私たちは三人で、ちょうどこんな風な森の中の細い道を――。

 ――……。

 ざわり、と寒気がした。
 何かの囁きが聞こえた。
 獣の声。葉擦れの音。風のざわめき。
 

 ――……。

 笑っていた。小石を転がすような軽さで。硝子を叩き割るような激しさで。
 誰かが笑っている。
 私を見ている。たくさんの声。たくさんの目。
 体が動かない。

 ――……の、におい……。
 ――……どうして……。

 見られている。
 世界がぐらぐらと揺れて、回る。喉の奥に何かが詰まったように、息ができない。
 何かが、私の肌の内側を、見ている。暴かれている。体の、奥の、底の方まで、ざわざわと。

 ――……そうか……。
 ――……つながって……。

 私が解かれる。
 わたしが。

 は?



 ……何か。
 ぐずぐずに溶けた頭のどこかに、何かが響く。
 何だったろう、これは。同じものが何度も思考を叩く。
 これは、……声だ。
 わたしを壊す音ではない。もっと確かな、知った、声。
 何度も繰り返される。
 それは。わたしの、なまえだ。

「――バーウィッチ!」

 ひどく焦ったそれがオズ先生の声だと気付いた時、ようやく呼吸を思い出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

エメラインの結婚紋

サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢エメラインと侯爵ブッチャーの婚儀にて結婚紋が光った。この国では結婚をすると重婚などを防ぐために結婚紋が刻まれるのだ。それが婚儀で光るということは重婚の証だと人々は騒ぐ。ブッチャーに夫は誰だと問われたエメラインは「夫は三十分後に来る」と言う。さら問い詰められて結婚の経緯を語るエメラインだったが、手を上げられそうになる。その時、駆けつけたのは一団を率いたこの国の第一王子ライオネスだった――

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

処理中です...