ある平凡な姉の日常

本谷紺

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春、二の月

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 二日目の朝。宿の主人が用意してくれた、朝から量のある食事を全員で綺麗に平らげて、私たちは再び調査地へ向けて出発した。
 今日は一日目よりも森の奥へ入り、調査範囲も広くなる。一日目は言うならば二日目のための練習だった。
 昨日よりも踏み入ったところで一度荷物を下ろし、必要な道具が配布される。昨日よりも装備が増えた。
 組分けは変わらず。私とオズ先生は道沿いを、他の三組は離れた箇所を調査する。
 最終確認の後、ティニリッジ先生から注意がされた。
「今日は調査地が大きく離れるから、各々相方とはぐれないように気を付けてくれ。万一の際にはすぐに合図をするように」
 獣に襲われる、足を滑らせて崖下へ落ちる、ちょっとした切り傷から毒が入る、遭難……野山での事故は珍しくない。先生方はともかく、私たち学生は不慣れだからなおのこと。
 何かあれば、爆発魔法などが使える者は空へ向けてそれを放ち、そうでない者は発煙筒を使うことになっている。
「じゃあ、みんな怪我のないように」
 そうしてそれぞれの持ち場へと散会した。

 作業としては昨日とほとんど変わりない。分担も、山へ登ったり草むらへ分け入ったりする他の組と比べれば楽な範囲だ。けれど昨日よりも神経を尖らせ、取りこぼしのないよう細かに移動しながら調査を進めていく。それは、私たちの調べているこの道沿いこそが、精霊落としの起きたまさにその場所とされているからだ。
 村から森の中を通り山へと続くこの道は、木こりなどにも普段から使われている。精霊落としに遭い失踪したとされている薬師の青年も、採取地へ向かう際にこの道を使うことが多かった。失踪後ほどなく調査が入った際に異変がないか徹底的に調べられたけれど、獣や山賊などに襲われた痕跡は見つからなかった。本当に、ふつりと、消息を絶ったのだ。それこそがまさに精霊落としの特徴。
 当時ですら見つからなかったものが、ふた月近く過ぎた今になって見つかるとは思えない。それでも、魔導士たちの手が入ることで、何か手がかりの欠片でも見つかるかもしれない。見つかるといい。これはそういう調査だ。
 全ての植生を書き留める心意気で、目を皿のようにして記録に注力する。
 作業自体は一日目と変わらないけれど、一段と密度の濃い時間が過ぎて行く。地道な作業には時間がかかる。本格的な野外調査には月単位で日数をかけることもあると聞くけれど、それも納得だ。いくら時間があっても足りる気がしない。
 オズ先生と離れないよう着いて行きながら、また次の地点の観察。
 昨日も思ったことだけれど、ここはとても豊かな森だ。私が暮らしている王都は繁栄と引き換えに緑が少なくなってしまった。生まれも育ちも王都だけれど、どちらかと言えば自然の中の方が性に合っていると思う。
 作業に没頭しながらも、脳裏には懐かしい記憶が過ぎる。幼い頃、家族みんなで夏を過ごした別邸。エリィやラスティの手を引いて、野原や小川や、色々なところへ出かけた。屋敷の裏の森は、この森とよく似ていた。そう、私たちは三人で、ちょうどこんな風な森の中の細い道を――。

 ――……。

 ざわり、と寒気がした。
 何かの囁きが聞こえた。
 獣の声。葉擦れの音。風のざわめき。
 

 ――……。

 笑っていた。小石を転がすような軽さで。硝子を叩き割るような激しさで。
 誰かが笑っている。
 私を見ている。たくさんの声。たくさんの目。
 体が動かない。

 ――……の、におい……。
 ――……どうして……。

 見られている。
 世界がぐらぐらと揺れて、回る。喉の奥に何かが詰まったように、息ができない。
 何かが、私の肌の内側を、見ている。暴かれている。体の、奥の、底の方まで、ざわざわと。

 ――……そうか……。
 ――……つながって……。

 私が解かれる。
 わたしが。

 は?



 ……何か。
 ぐずぐずに溶けた頭のどこかに、何かが響く。
 何だったろう、これは。同じものが何度も思考を叩く。
 これは、……声だ。
 わたしを壊す音ではない。もっと確かな、知った、声。
 何度も繰り返される。
 それは。わたしの、なまえだ。

「――バーウィッチ!」

 ひどく焦ったそれがオズ先生の声だと気付いた時、ようやく呼吸を思い出した。
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