殖罪

本谷紺

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ノア

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 次の部屋もまた洋室だった。先の部屋と似ているが、ベッドがツインになっており、それ以外の家具が少ない。美也子の部屋というわけではなさそうなので客室だろうか。
 先ほどのように床に散らばっているものはなかった。代わりに、それはすぐに見つかった。

「これ、」
「スマホだな」

 窓辺に駆け寄った美也子が、薄い板を手にこちらを振り返る。赤と黒。赤い方は二つ折りのケースで、もう一方は簡素な黒いケースだ。どちらも中身はよく見る形状のスマートフォンである。反応を見るに、美也子や硯の持ち物ではないようだ。

「ってことは、あとの二人のスマホか?」

 それには返事をせず美也子へ手を差し出せば、特に躊躇もなくスマホはノアの手へと渡る。ごく自然な動作でホームボタンを押した。赤い方はパスワードロックがかかっている。黒い方はロックなし。不用心なことだ。
 表示された待ち受け画面は犬の写真だった。特別良い写真とは思えないので、自分で撮ったものなのだろう。幾らかのアプリ。ざっとアイコンを見る限り、若い学生の使い方だ。恐らく頼のものだろう、と見当をつけ、画面を消した。必要以上に情報を漁っては他の二人に見咎められるかもしれない。

「とりあえず、後で二人に聞いてみましょう」

 その部屋にはそれ以上特筆すべきものはなかった。
 思っていたよりは順調だ。この調子で各部屋に何かしらが落ちているなら、建物中を探し回れば一通りの遺失物が揃うだろう。
 危惧していたような異常も今のところは見当たらない。

 油断し始めていたのはノアだけではなかった。
 だから、すぐ隣に並ぶ次の部屋へ入る時、これといった緊張感もなく硯がガチャリとドアを開き。
 彼の体が落下した時、誰もすぐには反応できなかった。

「わっ!」

 ぼちゃん、と大きなものが水に落ちる音。
 水。
 そう、そこには水面が広がっていた。

 別荘の一室のドアを開けたはずだ。そのはずなのに、ドアの先にあったのは部屋ではなかった。深い色をした水の溜まり。周囲は傾斜した土と岩の壁と青々と葉を茂らせる木々に囲まれ、遠くの景色までは見えない。
 どこかの池だ。そうとしか思えない。しかしノアの足は確かに別荘の廊下に立っており、手はドア枠を掴んでいる。
 何がどうなっている?
 呆然としていられたのは一瞬のことだった。

「た、たすけてくれ!」

 すぐ足元でばしゃばしゃと水音が立ち、硯が必死にもがきながら助けを求めている。
 考えている暇もない。ノアは彼へと手を伸ばし、重い体を引っ張る。美也子も彼の腕を掴み、二人がかりで彼を引きずり上げることに成功した。
 三人で、さして広くもない廊下に座り込み、ハァハァと荒い息を吐く。
 硯は全身ずぶ濡れだ。彼を助ける際に腕を突っ込んだ水はひどく冷たかった。ノアも美也子も、ついでに言えば廊下も少なからず濡れてしまった。

 一旦引くべきだ。ノアはそう判断した。

 開きっぱなしになっていたドアをそっと閉める。試しに再度、少しだけ開いてみたが、相変わらずその向こうには池が広がっていた。一度だけのトラップ、というわけではないらしい。

「……考えるのは後にしよう。ひとまず、体を乾かした方がいい」

 夏の暑さは遠くなったが、まだ冷えるほどの季節ではない。別荘の中は適温と言っていい温度だった。しかし、濡れた体をそのままにしておけるほど暖かくもない。

「たしか、一階にストーブがあったはずだ。あれを使えるか試してみよう。……硯さん、大丈夫ですか?」

 硯はガチガチと歯を鳴らして震えている。
 ……何か、妙だ。
 確かに水温は冷たかった。突然のことで動揺しただろう。多少は水を飲んでしまったかもしれない。
 それにしても、この震えようは、何だ?
 まるで何かに怯えているような――。

「わたし、先にストーブ見てきます」

 美也子が先に動いて、思考に耽りかけていたノアも意識を引き戻される。
 今は情報が少なすぎる。考えるのは後にしよう。

「硯さん、立てますか?」

 ろくに力が入らない様子の男をどうにか立たせて、体を支えながら歩く。このまま階段を下りるのは大変そうだ。

 ふらつきながら、硯は半ばうわ言のように呟いた。ひどく揺れた小さな声を拾うことができたのは、彼の体を支えているノアだけだ。

「いる。あそこには、あそこにはやばいものが、ユーレイがいる」
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