【R18】裏庭には緋が実る

深山瀬怜

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9・白と黒_2

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 何もしなくても常に人が集まってくるような人ではない。けれど捨て置かれているわけでもない。ただそこにいるだけなのに存在感を放っていて、気が付いてしまうと何故か目が離せなくなる。それが皓にとっての本宮天花という少女だった。出席番号が近くてたまたま席が隣になった。その偶然を利用して皓は天花と友人になろうとしたのだった。皓はどちらかといえば昔から引っ込み思案で、友人と呼べる人も少なかった。それを高校では変えたいとも思っていたのだった。
 天花と仲良くなるのは難しいことではなかった。けれど仲良くなっていくにつれ、天花が皓に対してどこか壁を作っていることに気が付いた。明確に線を引いて、そこから先には誰も入れないようにしている。仲良くなったとしてもその本質に近付いたとは思えないまま、皮肉なことにそうやって天花が壁を作っているがゆえに波風が立つこともなく、穏やかに日々が過ぎていった。
 変化があったのは、皓が部活で先輩から嫌がらせを受けるようになってからだ。部活でのことは親にも教師にも、そして天花にも隠していた。知られることによって今存在している穏やかな時間を壊したくなかった。最悪な時間があっても、そうでない時間もあるからこそ人は日々をこなしていける。自分の惨状を打ち明けることは、皓にとって守るべき時間を捨て去ることになると思っていた。
 けれど、天花は皓の変化に気が付いていた。しかし、だからといって事情を聞き出そうとすることはなく、ただなるべく皓の傍にいようとしているように感じられた。穏やかな日常を壊したくない皓の気持ちも理解して、静かに寄り添ってくれているようだった。
 そんな天花に、皓は徐々に友情以上の感情を抱くようになっていた。けれど恋愛感情とは少し違う。欲と呼べるかもしれないし、そうでないかもしれない。二人だけで過ごす屋上に通じる階段で、少しだけ肌を触れ合わせることに安心感を覚えていた。
「ご飯食べたら眠くなってきちゃった」
 皓は甘えた口調で言って、天花の肩に頭を預ける。天花はその皓の頭を優しく抱きかかえるようにして、そっと髪を撫でた。
「次の授業、このままサボっちゃう?」
「いいね。お昼寝しよう」
 繭の中で微睡んでいるような時間だった。幸福感に包まれながら、皓は目を閉じて言う。
「天花の傍にいると、すごく落ち着くなぁ」
 それは素直な気持ちだった。けれど天花はどこか寂しそうに笑みを浮かべた。
「私の傍にいたって、いいことないよ」
 高校に入学してすぐに天花と仲良くなって、一年が過ぎていた。けれど天花の考えていることはずっと変わらないままだった。最初は冗談で謙遜しているだけなのかと皓は思っていた。けれどその言葉は紛れもなく天花の本心なのだと気が付いた。どうして天花はそんなことを言うのか。その言葉が真実でないことは皓が証明できるのに、人の心は見えないから証拠として差し出すことも出来ない。
「私は天花とこうしてるのが一番好きだよ」
「大袈裟だなぁ、皓は」
「本気なんだけどな……」
 部活がつらくても、勉強のことばかり言う親に嫌気が差し始めていても、天花の傍にいられる時間は、皓にとって何よりも大切なものだった。この時間があればつらいことにも耐えられる。そのときはそう思っていた。
 けれど、穏やかな時間はあっという間に壊れてしまった。
 最初は些細な嫌がらせ程度だった先輩からのいじめが、エスカレートし始めていたのだ。先輩たちは皓の連絡先をどこかの掲示版に書き込んだらしい。皓の携帯電話にはひっきりなしに見知らぬ人たちからの連絡が入るようになっていた。メールアドレスはすぐに変更できたけれど、嫌がらせを受けていることを親に言えていなかった皓は電話番号を変えることは出来ず、知らない番号からの電話は取らないという対応しか出来なかった。でも、何をしていても誰かに追われているような気がしてしまい、気分は滅入っていく一方だった。もう何もかも投げ出してしまいたい。そんな弱音すら飛び出すようになっていた。
「私が死んだら流石に先輩たちも後悔するかな」
 ポツリと漏らした本音を聞いた天花は、皓の手を強く握った。
「……私は、皓が死ぬのは嫌だよ」
「天花……」
「皓が死ぬくらいなら、私が」
 その後に続いた言葉を聞き、皓は目を瞠った。冗談で言っているのだろうと最初は思った。それか、少し過激な言葉を使っただけなのだと。けれど暫くしてそれが冗談ではなかったことを皓は悟った。



「あのときの天花は本気で言ってました。私が死ぬくらいなら、私をいじめている先輩たちを殺すって」
 天花にとって、皓はそれほど大切な存在だったのだろうか。二人の関係は天花が線を引いていたこともあって穏やかな友人関係だったはずなのに、皓に対するいじめという外的要因がそれを狂わせていったのだ。
「最初は言葉だけだと思ってたんです。――でも、天花は本気だった。私は先輩のことを恨んでたし、嫌いではあったけど、殺したいと思うほどではなかったんです」
 おそらくそれが普通だ。人を恨むことはあっても殺そうと思うまでには大きな隔たりがある。殺すということは能動的な行動だからだ。けれど天花の場合は、その一線はとうに超えてしまっていたのかもしれない。実際に本当に人を殺したのは父親が最初かもしれないが、その心はそのずっと前から向こう側にあった可能性もある。
「冗談だと思っている間に、天花は薬品まで手に入れてしまっていて。でも、そこまでしなくてもいいって言ったら、それには納得してくれたんです」
 しかしそうしている間にも、皓へのいじめはエスカレートし続けていた。追い込まれた皓は、殺したいとまでは思わなかったけれど、病気か何かで苦しんでくれればいいのにとは考えるようになっていたらしい。
「そんなとき、殺人で逮捕された女子大生がその前に同級生に毒物を盛っていた事件が起きて」
「その事件は何となく記憶にある。よくニュースで取り上げられていたな」
「そうですね。そして私たちは気が付いてしまったんです。その人と同じことを、私たちもすることができるって」
 天花はその段階で毒を手に入れていた。それを致死量には達しない程度に人に与え続ければ、中毒症状を引き起こすことが出来る。動機と手段が揃ってしまったのだ。
 けれど結果的に、毒を盛られたのはその先輩ではなく皓だった。何故そうなったのか。皓は恭一が用意した緑茶を飲み干してから、その続きを話し始めた。



 それはほとんど遊びのようなものだった。先輩を苦しめる計画を話し合いながら、実際には何もしない。残酷な心の慰め。苦しむ姿を想像するだけで、いつだって殺せるのだと思うだけで、どこか心が軽くなる。
 けれどそんな日々は、螺子を失った機械が少しずつ壊れていくように、徐々に崩壊していった。
 異変が起きた頃には、後戻りが出来ないくらい時間が過ぎていた。いつ、どうやって盛られたのかもわからないうちに、皓の身体は蝕まれつつあったのだ。吐き気に始まり、手足の痺れが起こり、さほど酷くはなかったが髪の毛も抜けるようになった。そんな状態で学校に通えるわけもない。結果的に先輩は皓には手を出せなくなった。そして自分が体調を崩すことになった原因が天花にあることも皓にはすぐわかった。わからなかったのは、その動機だけだった。
 皓の体調不良の原因を大人たちは見つけられないまま、転校して大きな病院がある街に行くという話が出た。あの学校にいる限り先輩からは逃げられない。学校にこだわりがあったわけでもない。皓は両親の決定に従いながらも、心の片隅ではずっと天花のことを考えていた。どうして天花は皓に毒を盛ったのか。天花は致死量をしっかり把握していたから、それよりも明らかに少ない量しか盛らなかったということは、皓を殺そうと思っていたわけではないのだ。
「ねぇ、天花」
 ある日、皓は屋上に続く階段に天花を呼び出した。天花自身の言葉で理由を聞きたかったからだ。
「私に毒を盛ったのは、どうして?」
 天花は暫く何も言わなかった。それは取り繕うための言葉を探しているというより、本当に何と言えばいいかわからずに迷っているように見えた。
「……わからない」
 そしてようやく、絞り出すように言ったのがその一言だった。
「皓のことは大切だと思ってるのに、死んでほしくないとも思うのに、自分でもよくわからないうちにやってた」
 嘘ではないのだろう、と皓は思った。皓は縮こまっている天花をそっと抱きしめた。怒っているわけではない。天花のしたことは確かに皓の体に損害を与えた。けれど一番の苦しみから逃げるきっかけをくれたのも事実なのだ。
「――どうして」
 天花は震える声で皓に尋ねた。
「どうして私なんかに優しくするの」
「天花……」
「私は、人殺しなんだよ」
「私はまだ死んでないけど」
「違うの。――ずっと前に」
 皓は天花を抱き締める腕に力を込めた。このまま手を離してはいけないと思ったのだ。どこか突き放すようなその言い方が、皓を遠ざけようとしているもののように感じたからだ。
「私のそばにいるとみんなが苦しむことになる。本当は、皓とももっと早く離れなくちゃいけなかった」
「何でそんなこと言うの? 私が天花の傍にいたかったから傍にいただけなのに」
「それでどんな目に遭ったか、皓が一番わかってるでしょ」
 それでも天花を恨むことはできなかった。天花がどれだけ皓を遠ざけようと思っても、皓は天花から離れたくなかった。最初から、その存在全てに惹きつけられていたのだ。それでも、天花は首を横に振る。
「これ以上皓の傍にいたら、私は皓にもっと酷いことをしてしまうと思う」
 天花はゆっくりと皓の体から離れる。何かを堪えているような苦しそうな表情を浮かべながら、天花は俯いた。
「……私は、本当は生まれてくるべきじゃなかった」
「天花、何言って……」
「本当はここにいることが間違いなのに、どうして自分が生きているのかわからなくなる」
 それはこれまで天花が皓に対して築いていた壁の向こう側の姿だった。天花の瞳にはもう皓のことは映っていないように見えた。天花は深い海の底で何かに絡め取られているようで、皓は制服のプリーツスカートを強く握った。
「私は、天花のことが好きだよ。だから……間違いなんて言わないで」
「皓は、私の全部を知ってるわけじゃない」
 天花の手が皓の制服のネクタイをするりと外す。何をするのかと皓が尋ねる前に、それが首に巻き付けられた。左右に引っ張られ、布が肌に食い込んでいく。皓の首を絞めながら皓を見つめる天花の目は複雑な色を湛えていた。様々な色が混ざりすぎて黒に染まってしまったようだった。あと少しで意識が飛びそうなところで、天花は不意に力を緩めた。
「……ごめんね」
 動けないでいる皓を残して、天花はその場を離れていった。そしてそれ以降、天花は皓の前に姿を現すことはなかったのだった。
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