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9・白と黒_1
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恭一が自分の身に何が起きたのかを正確に知ることになったのは、天花がいなくなってから三日が過ぎた頃だった。明日には退院できるという。助かった理由は対応が早かったことと、そもそも毒物の量が致死量に達していなかったからだと説明された。
天花が使ったのはあの廃墟の庭に生えていた植物の種だったらしい。天花は種に毒があることを知っていたし、五粒で死ぬとも言っていた。けれど結果的に五粒では量が足りなかったのだ。天花が勘違いして覚えていたのか、それとも違う理由があるのかはわからないが、結果的に恭一は命拾いをしたことになる。
「天花……」
あのあと、天花はどこに向かったのだろうか。自分の体のことよりも天花の安否が気になってしまう。あのとき、恭一だけを殺すつもりなら、どちらを飲むかは天花が決めれば良かった。それなのに天花は二分の一の確率に賭けたのだ。恭一が選んだのが逆のコップだったなら――結果的には助かったかもしれないが、天花が何をしようとしたのかはわかる。
思い返せば、月野深色を殺害したことを言う直前の行動もそうだった。死にたくなければ自分を殺せという脅迫。生きる価値もない、と言った暗く弱々しい声が何度も蘇る。
また人を殺したと言っても同じことが言えるのか。そして恭一を殺そうとした自分にも同じことが言えるのか。天花はそんなことを問いかけてきているような気がした。そして恭一の結論は揺らいではいなかった。
急がなければ、天花は自分自身を殺してしまうだろう。生きる価値がないなどというのは天花の妄言に過ぎないのだ。天花に死んでほしくないと願う人間が確実に一人はいる。その段階でその生には価値があると言えるのに。
(ここにいる間は、橙に天花の捜索は任せているが……)
橙の方が情報は持っているし、警察とのコネもある。けれどまだその包囲網に天花が引っかかってはいない。どうやって逃げているのか。今、どこで何を思っているのか。どんな形でもいい。生きていてほしい。願うように両手を握ったとき、病室のドアがノックされた。
「恭一? オレだけど」
オレンジ色の頭が見えた。橙は恭一が病院に運ばれてから、毎日病室に訪れている。それどころか個室に入院するための差額ベッド代まで負担していた。
「体調はどう?」
「明日には退院できるらしい。少し怠さはあるけど、問題はない」
「そうか。じゃあよかった。実は恭一にお客さんが来てるんだ」
そう言うと、橙は廊下に向かって声をかけた。橙に呼ばれて姿を見せたのは、天花と同じくらいの年齢の、髪の長い女性だった。赤みがかかった茶色のチェックのワンピースに、胸元のリボン。どちらかといえば大人しく控えめな女性という印象だった。
「間壁皓です。――市村さんから、天花のことを聞いて」
市村というのは橙の姓だ。本人があまり気に入っていないらしく、名乗る必要がないときは名乗っていない。恭一は緊張した面持ちの間壁皓に目を向けた。その名前は橙から聞いた。天花の友人であり、天花が毒を盛ったという同級生。話を聞く必要はあると思っていたが、まさか実際に出向いてくれるとは予想していなかった。
「こうなる前に、昭島さんや湧谷さんにも色々聞かれました。でも、天花はきっと何も言わないだろうから、私も黙ってたんです。だけど、このまま天花を放っておけないから」
その言葉に嘘はないだろう。橙が恭一に視線を送ってから静かに病室を出て行く。気を遣ってくれているのだろう。恭一は所在なげに立っている皓に、見舞客用の椅子に座るように促した。
「今、天花がどこにいるかは私もわかりません。でも私が知っていることが、もしかしたら何かの手がかりにもなるかもしれないし……」
恭一は頷く。本当は天花が全てを話すまでは、真実を完全に暴くつもりはなかった。けれど天花は口を閉ざしたまま姿をくらませてしまった。今、恭一に出来ることは、天花についてできるだけ多くのことを知ることだ。
「天花は私を助けてくれたんです。だから今度は、私が天花を助けたいんです」
恭一は皓の話を促した。皓は昔を懐かしむように、それでいて切実な口調で、一年前に起きた出来事について話し始めた。
天花が使ったのはあの廃墟の庭に生えていた植物の種だったらしい。天花は種に毒があることを知っていたし、五粒で死ぬとも言っていた。けれど結果的に五粒では量が足りなかったのだ。天花が勘違いして覚えていたのか、それとも違う理由があるのかはわからないが、結果的に恭一は命拾いをしたことになる。
「天花……」
あのあと、天花はどこに向かったのだろうか。自分の体のことよりも天花の安否が気になってしまう。あのとき、恭一だけを殺すつもりなら、どちらを飲むかは天花が決めれば良かった。それなのに天花は二分の一の確率に賭けたのだ。恭一が選んだのが逆のコップだったなら――結果的には助かったかもしれないが、天花が何をしようとしたのかはわかる。
思い返せば、月野深色を殺害したことを言う直前の行動もそうだった。死にたくなければ自分を殺せという脅迫。生きる価値もない、と言った暗く弱々しい声が何度も蘇る。
また人を殺したと言っても同じことが言えるのか。そして恭一を殺そうとした自分にも同じことが言えるのか。天花はそんなことを問いかけてきているような気がした。そして恭一の結論は揺らいではいなかった。
急がなければ、天花は自分自身を殺してしまうだろう。生きる価値がないなどというのは天花の妄言に過ぎないのだ。天花に死んでほしくないと願う人間が確実に一人はいる。その段階でその生には価値があると言えるのに。
(ここにいる間は、橙に天花の捜索は任せているが……)
橙の方が情報は持っているし、警察とのコネもある。けれどまだその包囲網に天花が引っかかってはいない。どうやって逃げているのか。今、どこで何を思っているのか。どんな形でもいい。生きていてほしい。願うように両手を握ったとき、病室のドアがノックされた。
「恭一? オレだけど」
オレンジ色の頭が見えた。橙は恭一が病院に運ばれてから、毎日病室に訪れている。それどころか個室に入院するための差額ベッド代まで負担していた。
「体調はどう?」
「明日には退院できるらしい。少し怠さはあるけど、問題はない」
「そうか。じゃあよかった。実は恭一にお客さんが来てるんだ」
そう言うと、橙は廊下に向かって声をかけた。橙に呼ばれて姿を見せたのは、天花と同じくらいの年齢の、髪の長い女性だった。赤みがかかった茶色のチェックのワンピースに、胸元のリボン。どちらかといえば大人しく控えめな女性という印象だった。
「間壁皓です。――市村さんから、天花のことを聞いて」
市村というのは橙の姓だ。本人があまり気に入っていないらしく、名乗る必要がないときは名乗っていない。恭一は緊張した面持ちの間壁皓に目を向けた。その名前は橙から聞いた。天花の友人であり、天花が毒を盛ったという同級生。話を聞く必要はあると思っていたが、まさか実際に出向いてくれるとは予想していなかった。
「こうなる前に、昭島さんや湧谷さんにも色々聞かれました。でも、天花はきっと何も言わないだろうから、私も黙ってたんです。だけど、このまま天花を放っておけないから」
その言葉に嘘はないだろう。橙が恭一に視線を送ってから静かに病室を出て行く。気を遣ってくれているのだろう。恭一は所在なげに立っている皓に、見舞客用の椅子に座るように促した。
「今、天花がどこにいるかは私もわかりません。でも私が知っていることが、もしかしたら何かの手がかりにもなるかもしれないし……」
恭一は頷く。本当は天花が全てを話すまでは、真実を完全に暴くつもりはなかった。けれど天花は口を閉ざしたまま姿をくらませてしまった。今、恭一に出来ることは、天花についてできるだけ多くのことを知ることだ。
「天花は私を助けてくれたんです。だから今度は、私が天花を助けたいんです」
恭一は皓の話を促した。皓は昔を懐かしむように、それでいて切実な口調で、一年前に起きた出来事について話し始めた。
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