【R18】裏庭には緋が実る

深山瀬怜

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11・冷えた躰_1

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 天花が生まれたときのことは、さすがに覚えていない。けれど恭一に比べて天花が育てにくい子供であったことは、父親や祖父母を含む周囲の人間の言葉から薄々察していた。そもそも相当な難産だったと聞いている。ただ産むだけでもボロボロになってしまった体に鞭を打って二人の子供を育てようとしていた母親に対して、父親は必要以上に厳しかった。母の仕事に何か不手際があるたびに父は母を詰っていた。そして天花が病弱に生まれついてしまったことに関しても、その原因が母にあるかのような言い方をしていた。
「あーいるよねそういう父親。完璧主義の行き過ぎたやつって言うか」
 恭一の話を聞いた橙が言う。父親の最低なところは、そのときは完璧主義だったはずなのに、母が死んだあとは酒に溺れて父親の役割を半分放棄していたことだ。結局自分では出来ないことを他人に押し付けていただけだったのだ。
「ぶっちゃけお前がまっとうに育ったことがびっくりだよ」
「俺がまっとうかどうかはわからないけど。色々と諦めてたところはあるし」
 自分の家はこういう家なのだから仕方がないのだと、いつしか見切りをつけていた。父親を全くと言っていいほど頼らなかった恭一のことを父がどう思っていたかは、今となっては知る術はない。けれどただただ希薄な関係だった恭一に対してよりは、天花に対しての方が当たりが強かったのは事実だ。
「ドラマでよくある『酒買ってこい』みたいなのはなかったけどな。でもちょっとした生活音がうるさいとか言い出したり、顔見るだけで舌打ちしたりとか」
「殺されても文句は言えないやつだなそれは」
「そうだな」
 あの父親のもとで育たなかったら、色々なことが違っていただろう。天花が強い自己否定に囚われることもなかったかもしれない。けれど恭一には天花を連れ出して逃げるようなことも、誰かに相談することさえも出来なかったのだ。
「外面だけは良かったんだよな。元々完璧主義だったわけだし。今なら間違っていると言えることも、当時は父親が正しいんだと思いこんでいたことも結構あるし」
「DVの被害者でも結構いるだろ。自分が駄目だから怒られているんだって言う人。でも少しでも相手の言動に違和感を覚えるなら、冷静な第三者に相談してみるべきなんだよな」
「でも、自分が間違っているから怒られてるんだと思ってる人はそれができない」
 辛いと思っているのに、その理由が自分にあると第三者に突きつけられてしまうことが怖くなり、誰にも言えなくなる。今から思えば、天花が生まれてからの母親はその状況に追い込まれていたのではないだろうか。その上に天花の病弱さからくる負担がのしかかっていたとすると、それは想像を絶するほどの苦痛だろう。
「結局、あいつのせいで家族全員が誰にも何も言えないような状態になっていたんだろうな」
 完全に破綻してしまった今だからこそ、冷静に言うことが出来る。けれど今更気付いたところで過去は変えられない。そして記憶を辿っていても、真実を知るには何かが欠けてしまっているのだ。
「色んなことが絡まりすぎてて、どこから手を付ければいいかわからないな」
「天花ちゃんの居場所は湧谷さんでもまだ掴めてないしな」
「あとは――そもそもの出発点に戻ってみるか」
 そもそも天花と恭一が逃げることになったのは、天花が父親を殺して火を点けたからだ。父親を殺す理由はいくらでもあった。だからあえてその動機を追及はしなかった。けれど一旦そこに戻ってみることで見えてくるものはあるかもしれない。
「家は入れないみたいだけど、捜査資料なら手に入るかもな。ちょっと湧谷さんに連絡してみる」
 橙が携帯電話を片手に言う。そのまま電話をかけ始めた橙を見ながら、恭一は息を吐いた。橙には世話になりっぱなしだ。自分一人ではこの状況をどうすることも出来なかっただろう。完全に善意で協力してくれていることには感謝しなければならない。
「あとで資料メールで送ってくれるってさ。まあ本当は駄目だけどな」
「今更だけどな」
「あの人はあの人で月野深色を逮捕しそこなったことを悔いてはいるみたいだ。まあ、あの看護師、容疑がかかってた殺し以外にも、色々と毒や薬をばらまいてたみたいだったからな。若い子に違法薬物渡したり」
 天花は拒絶して大事には至らなかったが、実際危ないところではあった。警察としてはそんな危険な人物だからこそ自分の手で逮捕したかったと思っているのだろう。
「毒や薬をばらまいてた、か……」
「どうかしたのか?」
「いや、いつからそれをやってたのかなと思って」
 例えばそれが昔から密かに続いていたものだとしたら。五歳の天花の傍にいた人物で、一番疑わしいのは月野深色だ。
「……種を用意したのもあの看護師だったって可能性は十分にあるな。だとしたら天花ちゃんが致死量を間違って覚えていて、恭一を殺しそこねた理由としては筋が通る」
「でも、だとしたら『自分が殺した』とは言わないよな……」
 少なくともどこかで天花の手が加わっているのだと考えた方がいいだろう。天花が嘘を言っているとは思えない。二人がそんな話をしている間に、橙の携帯電話が振動した。湧谷からのメールが届いたらしい。
「アナログかよあのおっさん」
 捜査資料をカメラで撮影して、その画像を送ってきたようだ。字は十分読める程度だったので支障はないが、少し斜めになっているのが確かに気にはなる。恭一は見せられた資料にざっと目を通した。
「凶器は台所にあった包丁。火元も台所だな……特におかしなところはないか」
 時間帯を考えれば、天花はあのとき食事の用意をしていたのだろう。そのときに何かが起きて、咄嗟にその場にあった包丁を使ったのだと推測できる。何が起きたのかに関しては、父親と天花以外にはわからないだろう。これを見たところで新しい情報は何もないか――恭一がそう思い始めたとき、現場の写真の中に一つ気になるものが見つかった。
「何かの書類か?」
「ほとんど燃えてるけど……どっかの会社のロゴみたいなのが見えるな」
 そのロゴが何であるかを解読しようと頭をひねっていた恭一は、不意に昭島が言っていたことを思い出した。
「確か、民間の調査会社を使って天花のことを調べていたって言ってたな」
「じゃあその調査会社に当たれば――と、ちょっと待って。湧谷さんからもう一通来てる」
 今度は画像ではなく、文書ファイルが添付されていた。それはどうやら昭島が入手した、天花に対する調査会社からの報告書のようだった。おそらくは燃えてしまった紙と同じ内容だ。
「シロちゃんのことも書いてあるな。それから……天花ちゃんが入院していた頃の主治医にも話を聞いてるのか」
 主にどんな症状で入院していたのかと、そのときの母親の様子について書かれていた。橙と共に小さな画面を覗き込んで、細かい字を追っていく。その途中で、橙が急に画面を閉じた。恭一は不満げに声を上げる。
「俺まだ読んでたんだけど」
「ごめん、思わず……お前の話とこの医者の話合わせると、わりと最悪なことが起きてた気がして」
「何にしても読んでみないと判断も出来ない」
 恭一が橙の手から携帯電話を奪おうとすると、橙は携帯電話を庇うように恭一に背を向けた。恭一は大仰に溜息を吐く。
「見られたくないってのはわかったけど、隠し方が子供みたいだな。……どんな内容でも自分の目で見たいんだよ」
 橙は渋々といった顔をして、恭一に携帯電話を渡した。恭一は先程中断された場所から続きを読み始める。天花の体調不良は最初は原因がわからなかった。そして母親は苦しむ娘を献身的に世話していると思われていた。それは恭一が知っている事実と変わりはない。実家に戻って父親の目がなくなったことでやりやすくなった面もあったのかもしれない。元気なときは二人で病棟内の庭を散歩したりもしていたという。しかし問題はそのあとだった。
「……中毒症状の疑い、か」
 橙と話していた最悪の予想が当たってしまった。詳しく検査をしていくうちに、天花の体調不良の原因は、ある物質の中毒症状なのではないかという疑いが持ち上がったという。自然にその物質を摂取するようなことはあまり考えられない。つまり、誰かが天花に死なない程度に、けれど体調は崩す程度に毒を盛っていたということになる。ではその誰かとは誰なのか――天花の体調不良が母親が実家に帰る前から顕著になり、母が死んでからは落ち着いたことを考えると、可能性がある人間は自ずと一人に絞られてしまう。
 恭一は額に手を当てて重苦しい息を吐き出す。橙は心配そうに恭一の顔を覗き込んだ。
「……昔」
 呻くように恭一が言う。橙は顔を上げないまま紡がれる恭一の言葉の続きを待った。
「大学にいたときに、こういう事例を習ったな」
「……そうだな」
 だからこそ橙は何が起きていたのかを理解してしまった。そしてそれは恭一も同じだ。夫によって虐げられ続けた妻は、病弱な娘を献身的に世話していると周囲に評価されることで心の安定を図っていたのだろう。二人は専門家ではないから診断を下すことはできないが――おそらくは「代理ミュンヒハウゼン症候群」。幼児虐待の特殊型とも言われているものだ。
「……悪い、橙。少し頭を冷やしてくる」
 そう考えれば筋は通る。けれど恭一は受け止めきれずにいた。おそらく天花は母親が自分に何をしたのかを知っているのだろう。何故なら天花自身もそののちに自分の友人に同じことをしてしまっているからだ。天花が長年ひとりで抱え続けてきたものの重さが一気に押し寄せてくる。「生まれてくるべきではなかった」という言葉が、苦しみの中で天花を産んだ人間によって形成されたものだったなんて、どう処理をすれば受け入れられるものなのだろうか。部屋を出て、冷たい夜風に吹かれながら、恭一はその場にずるずると座り込んだ。
「天花……」
 自分自身の存在を否定されたも同然の事実を、どんな気持ちで今まで一人で背負い込んできたのだろうか。そして天花自身が手を下したかどうかは別として、恨みをぶつける相手すらもういないのだ。恭一は俯いたまま唇を噛んだ。
 今、何もかもをひとりで抱え込んだままで、どこを彷徨っているのだろう。叶うのなら今すぐに会いたい。会って、たとえ届かなくても伝えなければならない。

 ――他の誰かは関係ない。俺がただ、天花に生きていてほしいと思っているだけなんだ。
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