うつし世はゆめ―人間とダンピールと吸血鬼ですが家族やってます―

深山瀬怜

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あざなえる呪詛の糸

強くなる理由・2

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「……さすが早いね。嫌になるくらい」
『俺だってこんなことを報告したくはなかったんだけど』

 榛斗からの電話があったのは夕方のことだった。明日の日中には里を出るということが決まっている。ここでやるべきことは終わったからだ。しかしまだすべての問題が解決したわけではない。

「結果は予想通りってわけね。最悪なことに」
『そうだな。そしてこれで大体のことに説明がつく』
「……井戸の呪いの核は蠱術によって生み出されたものだった。そしてこの里の呪いには蠱術に相当するものは存在しない」

 紅羽の剣が耐えられない硬さの核。しかしそれは金属ではなかった。金属でない硬いものは他にもいくつか考えられる。例えば鉱物や石、そして硬い外郭をもつ生物。碧都がそれを撃った感触と、呪いとの相性を考えれば、当然頭に浮かぶものがあった。

「白月黒霞が自分の肉体を呪いの核としたときに選んだのが虫の姿だったのにも意味があったってことだね」
『そうだな。半分はそっちの血が入ってるということになるし』
「そしてそれは、冬弦さんにも同じことが言える――」

 碧都にとっては当たってほしくない予想だった。できることならこのまま榛斗と二人だけの秘密にしてしまいたいと思ってしまうくらいには。

「蛾眉は本家が作った呪物が怪異化しているものっていうのは本当だろうけど、井戸の方に介入することでその影響が出ている。いや――おそらくは意図的にそうした。目的がほとんど同じだったから」

 どこかが間違っているのなら、誰かにそう言ってほしかった。けれど集められた証拠はその仮説を証明するものばかりだった。碧都は自分の腕に爪を立てる。

『怪異の方は何とかできそうな術式が組み上がってる。指定の特急にさえ乗れれば消滅させることもできるはず。念のために途中で保険もかけてあるから、そこは安心してほしいんだけど』
「……一応聞くけど、榛兄が来るわけじゃないんだよね」
『俺はこっちで待機してる。蛍には聖別弾の追加も持たせてるから、合流したら受け取ってほしい』
「了解。その術式が帰り道に組まれてるってことは、その前に何とかしろってことだよね?」

 頼りになる存在ではあるが、無茶な作戦を立てることもある人である。悩む余地を与えないような日程を組まれてしまっていることに碧都は溜息を吐いた。

「ただ、正直心当たりがないんだよね……俺で見つけられるかな」
「何を見つけるの?」
「だからそれは――」

 聞こえてきた声にそのまま答えようとして、碧都は驚いて振り返った。

「紅羽……」
「二人で私に黙って何の相談してるわけ? こっち来てからずーっとこそこそと」

 いつから会話を聞かれていたのだろう。それを確認する間もなく持っていたスマホを紅羽に奪い取られてしまった。

「やっほー、あなたのかわいい妹ですよ」
『初めて聞く挨拶やめてほしいんだけど。――黙っててごめん。俺たちもどうすればいいかわからなかったから』
「うん。で、何を見つけなきゃいけないか教えてくれる?」

 榛斗はゆっくりと息を吐き出し、できるだけ淡々と調査の結果を紅羽に報告した。それを聞いていた紅羽の表情がみるみるうちに曇っていく。けれど碧都が予想していたものとは違う顔をしていた。

「……里を出る前に呪いの核を見つけて、おじさんの耳の呪いを解けばいいんだよね」
『うん。そこが解決しないままだとこっちが仕掛けてる術式だけでは倒せない可能性がある』
「わかった。やってみる」

 その言葉に碧都も榛斗も驚いた。紅羽の表情も口調も、まるで答えを知っているかのようだったからだ。

「……核が何なのか、予想がついてるんだね?」
「違ったら申し訳ないんだけど……でも、多分」

 碧都は赤い瞳に強い光を宿した紅羽から通話が終わったスマホを受け取る。碧都はそれをポケットにしまいながら目を細めた。

「全部ぶっ飛ばせるくらいに強ければ、守りたいものを守ることが出来る……ってことか」
「そうだよ。だから、私は――」

 一本の筋のように、それが紅羽の心を貫いている。守れなかった過去も全て抱えたまま、ただまっすぐ強くあろうとするその背中を碧都は眩しく感じていた。

「ところで、どうやって確認すればいいと思う? 時間かけて注意深く見れば力の流れでわかるとは思うけど、そんなにじっと見てたらさすがに怪しまれるじゃん?」
「そこは考えてなかったんだ……」
「最悪背後から近づいてぶん殴って気絶させることになるけど大丈夫かな?」
「……それは最終手段にしてくれるかな」

 頼もしいが、発想が脳筋を通り越して蛮族のようになってしまっている。碧都は部屋に戻るまでの間、紅羽が穏便な方法を考えつくまでの手伝いをする羽目になったのだった。

***

「これは一体何の冗談だ?」
「冗談のつもりはないんだけど」

 冬弦の体には見えないほど細い血の糸が絡みつき、その動きを拘束していた。けれどその力は絶妙に緩められていて、本気で抵抗すれば抜けられないことはないという程度だった。

「穏便な方法を色々考えた結果これになったんだけど」
「穏便という言葉を辞書で引き直して来い」

 紅羽は冬弦の言葉を無視して、血の糸を操る指をほんの少しだけ動かした。力はそれほど強くはない。冬弦の力なら、振り切ろうと思えば振り切れる。紅羽はその糸を使ってその力の流れの違和感を探っていた。

「ねえ、おじさん。どうしても答えてほしいことがあるんだけど」

 紅羽の声は穏やかだった。けれど、その奥に潜むものは、決意というよりも祈りに近い。
 ――どうか、違っていてほしい。
 その想いが、声の震えの中に滲んでいた。

「……こうでもしないと答えないようなことを聞こうとしてるのか?」
「わからない。むしろ……本当は、私が聞きたくないのかもしれない」
「何なんだよ、それは」

 紅羽は構わず一歩を踏み出した。冬弦の片耳に揺れる風鈴型のピアスが、微かに音を立てる。その瞬間、紅羽の血糸が警鐘を鳴らすように震えた。

「――そのピアスの紋は、誰が入れたの?」

 血の糸が風鈴型のピアスに絡みつく。硝子製のそれは、紅羽が指に力を入れればおそらく簡単に壊れてしまうだろう。そこでようやく冬弦は紅羽の意図に気付いたようだった。

「ごめんね、言わなくていいって言ったのに」
「それを俺の口から聞かなきゃいけない理由があるんだろ?」
「……うん」

 もう答えはほとんどわかっている。そして冬弦が答えられない理由も。
 紅羽は血糸を震わせた。本当は紅羽もこんなことはしたくない。でもこれは間違いなく呪いなのだ。碧都の呪いの一番深い場所にあったのと少し似ていて、しかしそれに比べるとずっと冷たい呪い。

「――これだけは、勘弁してくれないか」

 紅羽は首を横に振った。それはできない。このままにしておけば、蛾眉を、世界にばらまかれようとしている呪いを止められなくなってしまうかもしれないからだ。

「それができたら、こんなことしてないよ」

 今すぐ強引に行動に出てもいい。もう確信は持てている。それでも冬弦の意思を無視して壊すことはできなかった。

「……そうか」
「だから、答えてほしい。その紋を描いたのは――おじさんに呪いをかけたのは、誰なの?」

 冬弦は笑みをこぼす。静かに紅羽を見つめるその目は、間違いなく呪術師の目をしていた。

「……嬢ちゃんは呪いが下手だな」

 冬弦の右手を縛っていた拘束が解かれる。そもそもそこまで強くは縛っていなかったので、それには驚かなかった。けれどその声に、纏う気配に、体が動かなくなる。

「呪いはものの在り方を歪める。あるがままでいようとする嬢ちゃんに上手く使えるはずがないんだよ」

 冬弦は自由になった右手で風鈴のピアスを掴む。紅羽が息を呑んだそのとき、冬弦の目が一瞬優しく細められた。

「これを作ったのは俺の父親だ。――俺が一番嫌いな呪いと一緒にな」

 その言葉とともに、その硝子は紅羽の目の前で砕け散った。紅羽は思わずそれに手を伸ばす。その姿を見て冬弦は呆れたように笑った。

「……これを壊そうとしてたのは嬢ちゃんの方だろ」
「そう、だけど」
「嬢ちゃんに壊させるかよ。これは俺の問題だ」

 紅羽の手が震える。これでよかったのだ。呪いの核は破壊されて、紅羽の目的は達成された。けれど本当にこれでよかったのかと思ってしまう。

「……紅羽」

 名前を呼ばれる。それは呪いとは違う、いつもの、ぶっきらぼうなのにどこか優しい声だった。

「これでよかったんだ。だからそんな顔するな」
「……よくないよ。全然よくない……! 何もかも諦めたみたいな顔して! それで何がよかったって言うの?」

 これでよかったと言うなら、あんなあっさりと自分の手で壊してしまえるなら、どうしてさっきは答えられなかったのか。本当はそこにずっと縋っていたのではないのか。それが、唯一の繋がりだったのではないのか。

「――嬢ちゃん。大人になるってのは、諦めることを覚えるってことだ」
「だったら大人になんてならなくていい! 私は……やっぱり、許せない……! こんなの酷すぎるよ!」
「許せないから何だって言うんだよ。……泣いても喚いても、過去は変わりはしないんだ」

 紅羽はその場に膝を突いて座り込んだ。赤い瞳から零れ落ちる涙は止まることを知らない。冬弦は紅羽の頭を撫でようとして、しかし途中で手を止めた。

「どうにもできないことくらいわかってるよ! わかってるけど……そんなにさっさと諦めないでよ! もっと泣いて怒って、ふざけんなよって言ってよ!」

 紅羽が冬弦の着物を掴む。冬弦は紅羽の頭を軽く叩いた。

「俺には人の分まで泣いて怒るような奴がいるから、それで十分だ。父親にただの器としか思われてなくても、俺は俺だからな」
「……気付いてたの?」
「具体的な目的に気付いたのは井戸が壊されてからだ。嬢ちゃんの兄貴が言ってただろ。『向こうが何であんな性急な動きをするかがわからない』って」

 確かに碧都がそう言っていた。けれどそこだけでわかるものだろうか。

「……井戸のことはわかってたからな。あんなことをするような手合いが死んだくらいで引き下がるとは思えない」

 普通は死んだらそこで終わりだが、死が始まりになるのが怪異の世界だ。紅羽は唇を噛み締めた。

「俺だけじゃなく黒霞にも仕込んでたんだろうな。黒霞がどこまでわかっていたかは知らないが、おそらく互いに利用していたのかもな。器にされることも黒霞にとっては都合のいいことだったんだろう。でも黒霞の計画は潰えた。それなら次は俺にしようってわけだ。……この世界を呪いで満たせるほどの強大な呪いを作ろうとしてんだろうな。だがそのためには俺の意思も俺の力も邪魔なんだろう」
「……おじさん」
「安心しろよ。俺は俺を誰かに明け渡すようなことはしない」

 紅羽は頷いた。今はその言葉を信じようと思った。そして信じたなら、紅羽がやることはたったひとつだ。

「……わかった。それなら私は、全力で戦うよ」

 失いたくないものを失わずにいるために、奪われたくないものを奪われずにいるために、これまで強さを求めてきたのだ。冬弦は紅羽の頭をくしゃりと撫でる。

「嬢ちゃんだけにやらせるかよ。せっかくだから俺にも一枚噛ませろ」
「やる気じゃん」
「ここまで虚仮にされたんだ、一矢報いるくらいはしたいだろ」
「確かに。ぼっこぼこにしてやろうね」
「嬢ちゃんが言うと全く洒落にならない発言だな」
「人を戦闘狂みたいに」

 違うのか、と冬弦は笑った。紅羽は一度だけ目を擦って冬弦に尋ねる。

「そういえば、『一番嫌いな呪い』って」
「……名前を呼んで魂を縛る呪い。単純なのにかなり強い呪いだ。その魂の在り方を歪めて縛る。あの耳鳴りの中にもそれが含まれてた。……井戸を壊されてさらにはっきりしてきていたんだ」
「今はどう?」
「久しぶりに静かなもんだ。嬢ちゃんのおかげだな」

 頭をぽんぽんと叩かれて、紅羽は唇を尖らせる。

「結局私何もやってないんだけど」
「いや、嬢ちゃんがいなかったらこうはならなかったからな。それで――この後は何か策があるんだろうな?」
「任せといてよ。まあ考えたのは榛兄なんだけど」
「そうかい。そりゃ楽しみだ」

 二人は広い屋敷の廊下を歩く。その先には全てを終わらせるための術式が組み上がり始めていた。
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