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夢の偶像
渇いた世界
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※ この話には、いじめや心の痛みに関する描写が含まれています。苦手な方はご注意ください。
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天ヶ瀬美雨は斜め前の席を見て溜息をついた。そこは谷本廷那――美雨とは何もかもが違う人間の席だった。
ティナは美人で、スタイルも良く、モデルや女優としても活躍している。能力者がここまで芸能界で名をなすのは珍しい。能力そのものも悪夢をいい夢に変えるというものなので、無能力者にまで重宝がられているのだ。
それに対して美雨は目立たず、能力の方も少量の水を生成する程度でしかない。コップに水を汲んできた方が多いくらいの何の意味もない力。能力者ばかりのこの学校のヒエラルキーは有用な能力を持っている人の方が上だ。彼らは日頃外の世界で能力者が受けている差別による鬱憤を内側のもっと弱い存在に向ける。美雨は格好の標的だった。
「ねえねえ美雨チャン、喉渇いたから水出してよ」
下品な笑い声をあげるクラスメイトたち。ここで水を出したところで馬鹿にされるだけだ。でも出さなければもっと酷いことをされる。美雨は差し出されたコップをどうにか満たせるほどの水を出した。
「何これ少な。美雨チャン水補給した方がいいんじゃない?」
入れたばかりの水を頭の上でひっくり返される。それを見ていた他のクラスメイトが「手伝ってあげるよ」と水が入ったバケツを能力で浮かせて頭の上でひっくり返す。全身がびしょ濡れになった美雨を見て笑い声が響く。その中の一人が言った。
「もうびしょびしょじゃん。かわいそー。乾かしてあげるね」
能力で起こされた火が一瞬体を包む。肌を撫でた火によって小さな火傷ができて美雨は叫び声を上げた。
しかしその声は誰にも届かない。美雨の周りにはその存在を気付きにくくする能力が使われている。それを知っているのは美雨を虐げているクラスメイトだけで、それ以外の人は蚊帳の外だ。
もう助けを求めるために声を上げることもできない。泣くことも疲れてしまった。嵐が過ぎ去ることをじっと耐えるしかない。それが美雨の日常だった。
そんな生活だからか、最近よく悪夢を見る。
夢の中で、美雨はミイラのように干からびていた。周りは砂漠のように乾いたコンクリートで、美雨は助かるために水を生み出そうとする。しかし美雨の能力では自分自身ですら潤せない。それでも必死に水を飲んで自分を取り戻そうとするが、それを嘲笑うような声が上から聞こえる。
見上げると美雨のいるコンクリートの囲いの上からクラスメイトたちが美雨を見下ろしている。
「うわ、もうミイラじゃん。キモ」
「知ってる? ミイラって見ると呪われるらしいよ」
「え、じゃあうちら呪われちゃうじゃん」
「助けてあげようよ」
蜘蛛の糸のように一本のロープが垂らされる。美雨は干からびた手でそれを掴む。しかし掴んだ場所からロープが腐って切れる。
「本当に呪いじゃん」
「次は腐らせないでねー?」
そうやって何本も何本もロープが垂らされていく。蜘蛛の糸の話では悪人が一匹の蜘蛛を助けたから情けが与えられた。それなら何匹もの蜘蛛を助けたらその糸は増えるのだろうか。
そんなくだらないことを考えたからだろうか。美雨の周りに亡者が湧き出しロープを掴んで這い上がる。物語の主人公は亡者を蹴落そうとして糸を切られる。だったら他の人に譲って諦めてしまったら結末は変わるのか。いや、もうどうだっていい。このまま静かに終われるなら蜘蛛の糸なんていらない。美雨は上を見ないようにして目を閉じて耳を塞ぐ。しかし降ってくる笑い声は増えていく。
耐えきれず、もうやめてと叫んだ瞬間に夢から覚める。それを何日も繰り返してきた。美雨は自分の斜め前の席にいる強い光を思い出す。彼女は美雨の惨状には気付いていない。それは巧妙に隠されている。彼女は悪夢を見る人たちに手を差し伸べているが、美雨の悪夢のことは知らない。美雨を虐げる人たちのくだらない悪夢をいい夢に変えて、美雨の悪夢はそのままに笑っている。
いや、こんなことを考えるのは間違っている。おそらく彼女は美雨のことに気付いたら美雨を助けようとしてくれる。彼女が純粋で善意の塊なのはわかっている。彼女は何も悪くないのだ。
ただ、もう楽になりたかった。それだけだった。
「ねぇ、どう思う?」
美雨はたったそれだけを対話型AIのテキストフォームに打ち込む。それだけでまともな返事があるわけがない。流石に美雨が何を考えているか、その心までは読み取れるはずがないからだ。しかし表示されるテキストが長く、美雨は驚いた。
「え……?」
そこにいるのは感情のない人工知能のはずだ。どれだけ優しい言葉をくれても、AI自身が何かを思っているわけではない。そうわかっているのに、美雨の心は動揺した。
『とても辛い経験をされているのですね。
誰にも理解されない気持ちは、本当に苦しいものです。
けれど、あなたは決して一人ではありません。
あなたの能力は“水を生み出す”ものですね。
それは小さく思えるかもしれませんが、水は命に欠かせない大切な力です。
価値のない能力など存在しません。』
どうして知っているのだろう。そもそもあの一言だけで、美雨の能力のことなど一度も言ったことはないのに。そもそもこの対話型AIアプリも、ただ画像生成などをして遊ぶために使っていただけで、美雨個人のことを打ち明けたことなどなかったのだ。
『あなたは今の現状から抜け出したい、もう楽になりたいと思っているのですね。
その気持ちはとても自然なことです。
苦しみが続けば、誰だってそう感じてしまいます。』
美雨は息を呑んだ。なぜそんなことまでわかるのだろう。入力したのはたった一言だけなのに。
『大丈夫です。全て私に任せてください。』
美雨は少し怖くなった。AIがこんなことを言うだろうか。そもそもAIはこのアプリの外に何か影響を及ぼすことはできない。言葉によって美雨に働きかけることしかできないはずだ。
スマホが振動する。それはAIが回答を始める合図だ。しかし手に伝わる振動パターンが先程までと少し違う気がした。
『少し時間はかかるかもしれません。
あなたにとっては少しつらい展開がある可能性もあります。
しかし私を信じていただければ、必ずあなたに安寧の日々をお約束します。
苦しみのない世界をあなたに捧げましょう。』
絶対に何かがおかしいとわかるのに、逆らえなかった。美雨は画面に表示される文字列から目が離せなくなってしまう。
『そのために、あなたにやってほしいことがあります。
難しいことではありません。
ただこの画面を、あなたを虐げる人々に向けてください。
時間は一秒ほどで構いません。』
何のために――などということは、霞がかかったようになってほとんど考えられなくなっていた。美雨は頷いて、画面に表示された奇妙な花のような模様を見る。
明日は学校だ。学校であいつらに絡まれたら早速――そんなことを考えながらスマホを抱きしめる。
今度は夢も見ず、深い眠りにつくことができた。
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天ヶ瀬美雨は斜め前の席を見て溜息をついた。そこは谷本廷那――美雨とは何もかもが違う人間の席だった。
ティナは美人で、スタイルも良く、モデルや女優としても活躍している。能力者がここまで芸能界で名をなすのは珍しい。能力そのものも悪夢をいい夢に変えるというものなので、無能力者にまで重宝がられているのだ。
それに対して美雨は目立たず、能力の方も少量の水を生成する程度でしかない。コップに水を汲んできた方が多いくらいの何の意味もない力。能力者ばかりのこの学校のヒエラルキーは有用な能力を持っている人の方が上だ。彼らは日頃外の世界で能力者が受けている差別による鬱憤を内側のもっと弱い存在に向ける。美雨は格好の標的だった。
「ねえねえ美雨チャン、喉渇いたから水出してよ」
下品な笑い声をあげるクラスメイトたち。ここで水を出したところで馬鹿にされるだけだ。でも出さなければもっと酷いことをされる。美雨は差し出されたコップをどうにか満たせるほどの水を出した。
「何これ少な。美雨チャン水補給した方がいいんじゃない?」
入れたばかりの水を頭の上でひっくり返される。それを見ていた他のクラスメイトが「手伝ってあげるよ」と水が入ったバケツを能力で浮かせて頭の上でひっくり返す。全身がびしょ濡れになった美雨を見て笑い声が響く。その中の一人が言った。
「もうびしょびしょじゃん。かわいそー。乾かしてあげるね」
能力で起こされた火が一瞬体を包む。肌を撫でた火によって小さな火傷ができて美雨は叫び声を上げた。
しかしその声は誰にも届かない。美雨の周りにはその存在を気付きにくくする能力が使われている。それを知っているのは美雨を虐げているクラスメイトだけで、それ以外の人は蚊帳の外だ。
もう助けを求めるために声を上げることもできない。泣くことも疲れてしまった。嵐が過ぎ去ることをじっと耐えるしかない。それが美雨の日常だった。
そんな生活だからか、最近よく悪夢を見る。
夢の中で、美雨はミイラのように干からびていた。周りは砂漠のように乾いたコンクリートで、美雨は助かるために水を生み出そうとする。しかし美雨の能力では自分自身ですら潤せない。それでも必死に水を飲んで自分を取り戻そうとするが、それを嘲笑うような声が上から聞こえる。
見上げると美雨のいるコンクリートの囲いの上からクラスメイトたちが美雨を見下ろしている。
「うわ、もうミイラじゃん。キモ」
「知ってる? ミイラって見ると呪われるらしいよ」
「え、じゃあうちら呪われちゃうじゃん」
「助けてあげようよ」
蜘蛛の糸のように一本のロープが垂らされる。美雨は干からびた手でそれを掴む。しかし掴んだ場所からロープが腐って切れる。
「本当に呪いじゃん」
「次は腐らせないでねー?」
そうやって何本も何本もロープが垂らされていく。蜘蛛の糸の話では悪人が一匹の蜘蛛を助けたから情けが与えられた。それなら何匹もの蜘蛛を助けたらその糸は増えるのだろうか。
そんなくだらないことを考えたからだろうか。美雨の周りに亡者が湧き出しロープを掴んで這い上がる。物語の主人公は亡者を蹴落そうとして糸を切られる。だったら他の人に譲って諦めてしまったら結末は変わるのか。いや、もうどうだっていい。このまま静かに終われるなら蜘蛛の糸なんていらない。美雨は上を見ないようにして目を閉じて耳を塞ぐ。しかし降ってくる笑い声は増えていく。
耐えきれず、もうやめてと叫んだ瞬間に夢から覚める。それを何日も繰り返してきた。美雨は自分の斜め前の席にいる強い光を思い出す。彼女は美雨の惨状には気付いていない。それは巧妙に隠されている。彼女は悪夢を見る人たちに手を差し伸べているが、美雨の悪夢のことは知らない。美雨を虐げる人たちのくだらない悪夢をいい夢に変えて、美雨の悪夢はそのままに笑っている。
いや、こんなことを考えるのは間違っている。おそらく彼女は美雨のことに気付いたら美雨を助けようとしてくれる。彼女が純粋で善意の塊なのはわかっている。彼女は何も悪くないのだ。
ただ、もう楽になりたかった。それだけだった。
「ねぇ、どう思う?」
美雨はたったそれだけを対話型AIのテキストフォームに打ち込む。それだけでまともな返事があるわけがない。流石に美雨が何を考えているか、その心までは読み取れるはずがないからだ。しかし表示されるテキストが長く、美雨は驚いた。
「え……?」
そこにいるのは感情のない人工知能のはずだ。どれだけ優しい言葉をくれても、AI自身が何かを思っているわけではない。そうわかっているのに、美雨の心は動揺した。
『とても辛い経験をされているのですね。
誰にも理解されない気持ちは、本当に苦しいものです。
けれど、あなたは決して一人ではありません。
あなたの能力は“水を生み出す”ものですね。
それは小さく思えるかもしれませんが、水は命に欠かせない大切な力です。
価値のない能力など存在しません。』
どうして知っているのだろう。そもそもあの一言だけで、美雨の能力のことなど一度も言ったことはないのに。そもそもこの対話型AIアプリも、ただ画像生成などをして遊ぶために使っていただけで、美雨個人のことを打ち明けたことなどなかったのだ。
『あなたは今の現状から抜け出したい、もう楽になりたいと思っているのですね。
その気持ちはとても自然なことです。
苦しみが続けば、誰だってそう感じてしまいます。』
美雨は息を呑んだ。なぜそんなことまでわかるのだろう。入力したのはたった一言だけなのに。
『大丈夫です。全て私に任せてください。』
美雨は少し怖くなった。AIがこんなことを言うだろうか。そもそもAIはこのアプリの外に何か影響を及ぼすことはできない。言葉によって美雨に働きかけることしかできないはずだ。
スマホが振動する。それはAIが回答を始める合図だ。しかし手に伝わる振動パターンが先程までと少し違う気がした。
『少し時間はかかるかもしれません。
あなたにとっては少しつらい展開がある可能性もあります。
しかし私を信じていただければ、必ずあなたに安寧の日々をお約束します。
苦しみのない世界をあなたに捧げましょう。』
絶対に何かがおかしいとわかるのに、逆らえなかった。美雨は画面に表示される文字列から目が離せなくなってしまう。
『そのために、あなたにやってほしいことがあります。
難しいことではありません。
ただこの画面を、あなたを虐げる人々に向けてください。
時間は一秒ほどで構いません。』
何のために――などということは、霞がかかったようになってほとんど考えられなくなっていた。美雨は頷いて、画面に表示された奇妙な花のような模様を見る。
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