月は夜をかき抱く ―Alkaid―

深山瀬怜

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夢の偶像

Look at us!!

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 泥の海が大きく波打った。
 その中心から、形を変えながら巨大な怪物が姿を現す。腕のようなものが何十も伸び、顔らしき場所には穴だけが空いている。そこから次々に嘲笑の声が溢れ出していた。

『また調子に乗ってる』
『どうせすぐに諦める』
『くだらない』
『ドレスとかウケる』

 ティナが最初のフレーズを歌い出す。それに合わせて彼女の赤いドレスが真っ白なものに変化した。その光を集めたような色に黄乃は思わず目を奪われた。構えた剣にも光が集まっていく。まるで歌が彼女に力を与えているようだった。

「くだらないことなんて考えられないようにしてあげる」

 剣から放たれた光が泥の触手を薙ぎ払う。切り裂かれた部分は再生しようと蠢くが、黄乃はそこにメイスを叩きこんだ。光が一斉に爆ぜ、泥の断面を消し飛ばす。怪物の動きが鈍った隙に、ティナは跳躍してその頭上に舞い上がった。

「黄乃くん、合わせて!」
「わかった!」

 二人の声が重なる。音楽がタイミングを教えてくれた。同時に泥に振り下ろされた武器が泥を消していく。爆風のような衝撃が広がった。

『ぎ……あ……ああああ!』

 怪物の呻きが夢の空間を震わせる。裂け目から溢れた泥は、もはや再生することなく霧のように散っていった。

***

 面白いことが私たちの絶対的なルールだった。みんながやろうと言ったことに異を唱えようものなら、即座に「おもんない奴」とみなされる。だから、私は周りの表情を読み取って曖昧に笑った。
 美雨の能力は本当にささやかなものだった。この世界では大きな能力を持つ人もそうでない人もみんな能力者としてまとめられる。外に出れば能力者は危険なものとして差別される。だけど無能力者なんて何もできないくせにと笑えば心が満たされた。その裏で他の能力者を馬鹿にして、楽しく生きているつもりになっていた。

『ねぇねぇ、谷本の写真盗撮してネットにさらしてやろうよ』

 いつだったか川野が言っていた。周りは口々に面白そうだと言う。私はそうやってネットに写真を上げられたことで仕事を辞めることになってしまった人を知っていたから、あまり乗り気になれなかった。けれど話はどんどん進んでいく。そのときは結局面白い写真が撮れずに終わってしまって、川野は谷本廷那の悪口を言っていた。
 ティナが忙しくなったこともあり、標的は別に移っていった。何か理由がつけられれば誰でもよかった。嫌がる顔や悲しむ顔を見るたびにエスカレートしていく。それは全部楽しかったからだ。

 けれど今、私の目はそんな日常が霞むほどの光に灼かれていた。

 歌いながら泥に切りかかるティナと、それに協力しながらメイスを振り下ろす黄乃。二人は輝いていた。これまで他人を傷つけて笑っていた自分たちが薄汚れて見えてしまう。やめて。そんな光を見せないで。それを見てしまったら心を奪われてしまう。これまでの生き方ができなくなってしまう。この目に美しいものを映したいと望んでしまう。

 しかしそれを咎めるように再び泥が膨らみ始めた。泥からはかつて自分が他人に向けた笑い声が響いている。

『うわぁ泣いたよこいつ!』
『大丈夫? さらに水なくなっちゃうじゃん』
『あはは、うまいこと言うじゃん!』

 今思えば、もう何が面白いのかわからない。熱狂が嘘のように冷めていく。私は何てくだらないことをしていたのだろうか。その間にも、世界にはこんな輝きがあったのに。
 謝りたい。心からそう思った。自分がしてきたことの醜悪さに心が潰れそうになる。けれどそれすらも光が包み込んでいく。

「こっちを見なさい!」

 ティナの声に、私は反射的にそちらを見た。光り輝く剣を持ち、泥を切り裂いていく姿。その神々しいとも言える姿に私は息を呑んだ。

「ごめんなさい……私……いままで……」

 醜い自分を認め、懺悔する。それを包み込むような優しい歌声が響いた。あたりを見回すと、ティナと目が合う。力強くて、少し不敵な笑みに力をもらい、私は一歩を踏み出した。

 しかしそれを嘲笑うかのように、再び泥が盛り上がった。

『裏切者』
『あーあ、マジ冷めるわ』
『いい子ぶりやがって』

 泥の怪物は今度は私に向かってきた。ティナが気付いて飛び掛かるが間に合わない。もう駄目だと目を閉じたが、衝撃は襲ってこなかった。

「大丈夫?」

 泥だらけのメイスを持った黄乃が目の前に立っていた。その衣装はティナのものと同じ真っ白なスカートに変わっている。泥の中で戦っているはずなのにそれは純白を保っていた。そして衝撃波に合わせて銀杏色の髪が揺れる。

「私……本当にごめんなさい……」
「他の人は知らないけど、私は許してあげる。でもそれは、これからあなたが変わってくれたらかな。もう誰かを傷つけるようなことはしないで」

 ティナが言う。私は頷くことしかできなかった。こんな強くて美しい光を見た後で、他人にひどい言葉を投げつけられるだろうか。もう前の自分には戻れない。それを確信した瞬間に、私の体は光に包まれた。

***

 動かせたのはたった一人の心だった。ティナは肩で息をしながら再び剣を構える。

「人の心なんてそう簡単には変えられないよね。でも――私は諦めない。どうしようもなく悪い人がいたとしても、この光は消させない」

 これがアイドルというものの姿だ、と自信を持って言える。どんな暗闇にも手を伸ばせる光になりたい。その思いがティナを突き動かしていた。
 黄乃はその輝きに魅せられながらも必死で食らいついた。新しい曲が流れ始める。最初がポエトリーリーディングから始まる曲だ。

『何あれ、イタいんだけど』
『ウザいからさっさと消えてよ』

 一瞬、本当に同じものを目にしているのかと疑いたくなる。同じものを見ているのにこんな風にしか捉えられないなんて。けれどティナはもうそれを気にしていないように見えた。
 いや、本当はその心はもう傷だらけだろう。けれど自分自身の輝きで全てを捩じ伏せることを決めたのだ。

(きっと、ぼくたちは……同じ人を見ている)

 歴史の闇に葬られた存在。それが存在していた当時から強い輝きで人を惹きつけると同時にたくさんの苦しみを味わうことになった人たち。いつしかそのパフォーマンスだけで語ることを選んだ、孤独と赦しを知っている人――。

(ぼくも……戦わなくちゃ……!)

 黄乃は泥に足を取られながらも、メイスを振り抜いた。その一撃は単なる武器の衝突ではなく、曲に合わせた律動リズムであった。黄乃は夢の中の夜を徹した練習を思い出す。

『音ハメができるとかなりそれっぽいんだよね』
『音ハメ?』
『音に動きを合わせるの』

 二時間くらいそれをやらされるスパルタ練習だった。でもおかげで体が良く動く。
 メイスが落ちるたび、音に合わせて光が弾け、泥の触手が吹き飛んでいく。

『すごい……』

 泥の奥から、怯えとも戸惑いともつかない声が漏れた。それはかつて彼らが浴びせてきた嘲笑とはまるで違う。黄乃の姿にほんの一瞬、心を奪われているのだ。

「こっちを……見ろ!」

 黄乃は叫ぶ。それはほとんど祈りのような言葉だった。届いて欲しいと思っても、見てくれなければ意味がない。泥が跳ね返そうと盛り上がるが、光を纏ったメイスがそれを断ち切るたび、泥の中の声が揺らいでいく。

『あんなのただの学芸会じゃない』
『でも……』

 混乱が波紋のように広がる。
 川野の声だけが、必死にそれを引き戻そうと響いた。

『どうして!』
『どうしてみんなこんなものに!』
『どうしてどうしてどうしてどうして』

 声が崩壊していく。ティナと黄乃の姿に見惚れた人たちは泥から人の姿に戻り、虹色の光に包まれていく。

「俺たち……馬鹿なことしてた」
「私も、こんな風に何かに必死になりたい」
『待ってよ! みんな置いていかないで!』

 川野がいくら叫んでも、その声は泥の奥に吸い込まれ、弱々しく掻き消えていった。
 中心に残ったのは、もはや川野ただ一人。彼女の周りの泥は次々と剥がれ落ち、人の姿を取り戻した仲間たちは光に包まれて消えていく。
 残された川野の心はむき出しになり、激しい憎悪だけが泥の塊を支えていた。

『あんたたちが……あんたたちさえいなければ……!』

 川野の叫びとともに泥が暴発する。だが、もはやその姿は最初の威容はない。大きさを失い、しがみつくように暴れるその様は、光を前に怯える影のようにしか見えなかった。

『バカみたい! 女の格好なんてしちゃってさ! みんなバカでキモくてミミズ食ってんのがお似合いよ!』

 次々生み出されていく泥に黄乃とティナは立ち向かっていく。その間も川野の怨嗟の声が聞こえていた。

『生きてる価値なんかないんだよお前らさぁ! 死ね死ね死ね死ね!』

 泥が蹴散らされる度に過去の記憶の断片が見える。誰かを汚れた池に沈めて笑っている姿や、背中を蹴り飛ばしている姿。どれにも嘲笑う声が付き纏ってきて、黄乃は気分が悪くなってきた。

「黄乃くん、大丈夫?」
「な、なんとか……」

 背中越しにティナの声が聞こえる。そういえばいつの間にか名前で呼ばれているということに黄乃は気がついた。

「私ね、やっぱり川野のことは許せない。私や美雨以外にもこんな酷いことをして、たとえどんな理由があっても許されない。だから――ここじゃなくて現実の世界で、償ってほしい」

 黄乃は頷いた。許す必要はないのだ。罪に対して正当な罰を望むことは間違っていない。ティナは剣を思いっきり振りかぶって、泥にまみれた川野の体をその光で切り裂いた。

「先に向こうに戻ってて」

 川野の体が虹色の光に包まれる。彼女はその中で何かを言ったように見えたが、黄乃にもティナにもその言葉は聞こえなかった。

「……これで……もう、ライブを邪魔されることはないかなぁ……」

 静かになったのを確認して、ティナは地面の上に寝転んだ。綺麗な長い黒髪は汗と泥でぐちゃぐちゃになっている。でもその姿は美しいと黄乃は思った。

「あ……そっか、ライブもやらなくちゃ……」
「でもバッチリじゃない? 音ハメできてたじゃん」
「それがステージでできるかは別の問題で……」
「できるよ。だって私たちドリーミアはアイドル界の頂点に立つんだよ?」

 不敵な笑み。その笑みは力強くて、荒唐無稽な夢も現実にできそうな気がしてきてしまう。

「それに、由真さんにも見てもらわないと」
「そういえばそうだった……!」
「じゃあちょっと休憩したら、また練習しないと」
「す、スパルタだ……!」

 黄乃も思わずその場に倒れ込む。ティナと並んで見上げた空は青く、どこまでも澄んでいる。

「そうだ、あと円陣のときの掛け声決めようよ」
「掛け声? そもそも二人って円陣できるっけ?」
「えーでもアイドルのライブといえば出番前に円陣でしょ」
「そういうものなの?」

 ティナは寝転びながらああでもないこうでもないと考えている。そして何かを閃いたように言った。

「『光はここに! 夢は未来に! 全力で――届けるぞっ!』みたいなのどう?」

 想像したら、なんだかキラキラと輝くような気がした。言われてみれば、アイドルの映像を見ているときにそんなシーンを目にした気もする。

「グループ名は入れないの?」
「確かに……じゃあ最後は全力でドリーミアでいいんじゃないかな?」

 黄乃とティナは笑い合う。まだやることはたくさん残っている。けれど光はここにある。そう思うことができた。
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