月は夜をかき抱く ―Alkaid―

深山瀬怜

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夢の偶像

背中の傷

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 黄乃とティナのライブから2週間後。星音はバイトの休みにかこつけてバイクでツーリングに出掛けていた。日帰り温泉を堪能した帰り道、飲み物を調達するために途中の道の駅に立ち寄ることにした。
 バイクを止めて鍵をかけ、道の駅の中に入ろうとしたそのとき、星音は意外な人物の姿を見つけた。

「……あ」

 そこにいたのは由真に似ているが明らかに違う青い二つの光を持つ女――藤崎海であった。

「えっと……」
「先に言っておくけど、今日は手伝いをさせられてるだけだからね」
「手伝い?」
「知り合いの画家がここに飾る絵を描いたんだけど、その搬入がてら今日だけ小さな絵とかを売るから手伝って欲しいって。断りきれなくてね」

 意外にもそういう繋がりがあるようだ。確かに普通に画家として活動していなければティナとの接点が生まれることもなかったと考えれば当然かもしれない。

「そっちは? 一人ってことは何か事件があったわけでもないんでしょ?」
「近くの温泉までツーリングに……」
「温泉か。僕には縁のない話だな」

 人工知能はそもそも温泉に入れるのだろうか、と一瞬思ったが、ハルも水仕事をしたりもするから、やりようによってはできるのだろう。藤崎はそのまま道の駅の中に戻っていく。飲み物を買いながらその動きを見送った星音はわずかな違和感に気が付いた。

「……あの」
「何? あんまり僕と話してると怒られるんじゃない?」
「由真さん、そこまで理不尽じゃないと思いますよ。世間話程度ならいいんじゃないですか?」
「でも君は僕と世間話をするために呼び止めたんじゃないんだろう?」

 星音は頷いた。彼女が危険な存在であることはわかっている。ティナの事件の裏で暗躍し、黄色バンダナ集団の集団自殺まで引き起こした。やろうと思えば星音のことも簡単に殺せてしまうだろう。けれど星音は自分の目で見たものを、自分自身の感覚を確かめたかった。

「こんなこと聞くのは変かもしれないですけど……どこか、怪我とかしてないですか?」

 人間とほぼ変わらない姿をしているが、今の藤崎は人工知能であって生身の人間ではない。人工物に傷がついてもそれは怪我とは呼べない。けれど星音の感覚が違和感を訴えているのだ。

「君は……確か、外傷を治すことができる能力だったか」
「はい。だから何となく怪我をしている人がわかるんですけど……でも」
「機械の体で怪我なんておかしいでしょ。痛覚は不自然でない程度に再現されているけれど、切ろうと思えば切ることができる」
「そうですよね……何か、背中あたりに怪我とかしてるのかなって思ったんですけど、勘違いみたいです」

 背中、と星音が言ったそのとき、藤崎の表情がわずかに変化した。すぐにそれは取り繕われてしまったが、驚きの表情に見える。

「……その能力とともに生きてきた人間の感覚なんだろうね、それは」

 藤崎は小さく息を吐いた。それはどこか呆れたような声色だった。そのまましばらく星音を見つめると、視線を落として、ぽつりと口を開いた。

「背中のことを言い当てられたのは初めてだよ」
「やっぱり……」

 星音は自分の感覚が正しかったことを確認する。けれど藤崎は苦笑して首を横に振った。

「いや、正確には怪我ではない。機械の身体に怪我なんて存在しないからね」
「……?」

 藤崎はそのまま道の駅の中に歩いていく。続きを聞くためにはついて来いということなのだろうか。星音は迷いながらもついていくことにした。

「君は僕がどんな存在かは聞いているんだよね?」
「はい、まあ一応は」
「僕はハルと同じ人間に作られた人工知能だ。でも僕とハルたちの間には大きな違いがある」

 藤崎は道の駅の中を進んでいく。地場野菜やら名産品などが並んでいるのを見ると思わずそっちに気を取られそうになる。藤崎も同じように並べられた商品を見ながら話し続ける。

「ハルたちには特定のモデルはいないが、僕にはモデル――オリジナルと呼ぶべき存在があるんだ。血の通った、かつて確かに存在した一人の人間がね。――僕の背中にはその人が持っていた傷が再現されている」
「オリジナルの傷を……どうして?」
「それが必要だから、だよ」

 藤崎はゆっくりと後ろを振り返るようにして、自分の肩口を撫でた。それは何か愛しいものに触れるような仕草でもあり、けれどその瞳の奥に暗い色が浮かんでいるのも確かだった。

「必要、って……何にですか」
「――それを知ってどうするの?」

 その笑みは、どこか「触れるな」と警告しているようにも見えた。確かに傷というのはその人の個人的なもので、むやみに踏み込むものでもない。けれどこの傷は彼女の本質にも通じるような気がした。

「でも……この傷のことを言い当てた、君にだけは特別に教えてあげてもいいよ」
「あ、いや……そんな無理しなくても」
「別に無理してるわけではないよ。でも君がこのことを、君だけで抱えていてくれるなら」

 それはどこか呪いの言葉にも聞こえた。甘く響くが、有無を言わさぬ強さを持っている。星音はごくりと唾を呑み込んだ。

「――この傷と痛みは、僕が人間への憎悪を忘れないように存在している」

 星音は思わず一歩後退った。和やかな道の駅の空間が、そこだけ別のものになっている。

「誰かにつけられた傷……ってことですか?」
「まあそれには違いないんだけど……それだったら傷をつけた人だけを殺せばいいだろう?」
「それはそう……かもしれへんけど」

 そこから人間すべてに対する恨みに発展すること自体は考えられる。けれどどうやらそうではないらしい。

「大衆の正義が人を殺すこともある。この傷は、そういう人の醜さを忘れないためにあるんだ」

 その言葉を理解するためにはまだピースが足りないと星音は感じていた。少なくともその言葉は、憎悪の説明になっていても、何か愛しいものに触れるような表情の説明にはなっていない。
 今わかるのは、その傷が彼女にとっては何よりも大切なものである――ということだけだった。
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