月は夜をかき抱く ―Alkaid―

深山瀬怜

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旧校舎の幽霊

24・秘密

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 雑居ビルの屋上は由真のお気に入りの場所なのだろうか。この前呼び出されたのと同じ屋上に呼び出された星音は、不安に思いながらもそこへ向かった。一体何の話があるのだろう。
 霧が辺りを包み込んでいた。しばらくじっとしていると肌が湿っていくのがわかる。さまざまな機械が置いてある屋上は、それらが出す熱で霧が暖められ、まるで雲の中にいるようになっていた。
「……星音」
 星音が来たことに気がついた由真が、柔らかく微笑む。由真は塔屋の壁に寄りかかりながら、首につけていたチョーカーをそっと外した。白く長く綺麗な首筋。けれど星音はそこに小さな傷を見つけてしまったのだ。
「本当はこれのこと、聞きたいんじゃないかと思って」
「……気付いてたんですか」
「嘘が下手だよね、星音」
「まあ……嘘吐く機会もそんなにはなかったし」
 由真にはなんでも見抜かれてしまいそうだ。おそらく聞かれたくない類のことだろうと思って聞かないでいたのに。由真の首筋にうっすらと残っていた痕。それは誰かに首を絞められた痕のように見えた。ほのかに赤い筋は、まだ新しいもののようだった。
「……自分でつけたんですか、あれ」
「自分とも言えるし言えない部分もある。でも……私の意思ではある」
 由真の言葉の真意は掴みかねた。自分でつけたとははっきりとは言わなかった。けれど自分の意思であるとは言った。わざわざそういう言い方をするということは、そこには何らかの違いがあるのだろう。
「どうして……」
「この能力は負の感情を使って発動する。でも時々、その負の感情がどうしても抑えられなくなってしまう」
「それ、寧々さんとかは知ってるんですか?」
「寧々は……抑えられなくなるのは知ってるね。あとは歩月も。でも抑えるための方法は二人とも知らない」
 話したのは星音が初めて、と由真は言った。その言葉をどう受け止めればいいのか星音にはわからなかった。けれど――ここでその手を掴まなければ、いつか由真がどこかに行ってしまうのではないか。そんな焦燥感に駆られた。
「……それで、いつか死ぬかもしれないとは思わないんですか?」
「わからない……。むしろあのときは、そうしなければ生きられなかった。それは今も変わってない」
 あのとき、というのが北斗の家にいた頃なのはわかる。そうしなければ生きられないような状況に追い込まれて、それでも生きようとしたから由真は今ここにいる。けれどその体に背負っているものがあまりにも重すぎて、星音は涙を流すことしかできなかった。
「私は、由真さんが生きててくれればそれでいい」
「星音……」
「それでも、少しでも私が代われるなら」
 これ以上傷ついてほしくはなかった。既に十分すぎるくらい傷ついて、今だって心も体も傷だらけなのに、それでも闘おうとしている。
「……代わりになるのは、そんなに簡単なことではないよ」
「由真さん……」
 由真の手が星音の首に触れる。白くて柔らかい手。一見綺麗に見えるその手にも戦いの中でついた傷がいくつもある。能力を使う度に左腕に現れる傷のせいもあって、左手は特に赤い筋や古い傷を示す白い筋などが至るところにある。中指が脈打つ場所に触れ、親指がその反対側にかかる。けれど手に力は込められていなかった。
 やがて、由真は苦笑しながら手を離した。
「絞められると思った?」
「……正直に言えば」
「私以外の人にやるつもりはないよ」
 それならどうしてこんなことをしたのだろうか。この前の病院での一件もそうだ。最近、由真はわざと星音を傷つけるような行動を取っているような気がする。その行為に、一体何の意味があるのだろうか。
 まるで試されているみたいだ、と星音は思った。本当に試しているのかもしれない。真実を教えてもいい相手なのか、それとも信用ならない人間なのか。どこまで教えていい相手なのか。自分がどこまでやったら星音に嫌われるか――そんなことを見極めようとしているようにも感じる。
 どうすればいいのかわからないまま、星音は由真の首筋に手を伸ばしていた。由真は特に身じろぎするでもなくそれを受け入れている。きっとこのまま力を込めても、由真はそれを許してしまうのだろうと思った。
 由真の首から手を離して、その体を抱きしめる。由真はその行動に少しだけ驚いたようだった。
「絞められると思いましたか?」
「正直に言えば」
「……私には無理です」
 由真を傷つけるようなことは、どうしてもできなかった。たとえ由真がそれを望んでいたとしても、だ。星音は由真をきつく抱きしめたまま言った。
「私はどんな由真さんでもええから……だから、私を置いてどこかに行ったりしないで」
 由真の肩に顔を埋めると、頭を優しく撫でられる。この言葉が届いているかどうかはわからない。その心の半分は過去の中に囚われたままで、その場所には容易には辿り着けないからだ。
 それでも抱き締めている体の温もりだけは本当だと思いたかった。由真がそれすらも信じられないとしても、嘘のない熱はいつか氷を溶かすと信じていたかった。
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