月は夜をかき抱く ―Alkaid―

深山瀬怜

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鎌鼬

4・穢れ

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「法則……と呼べるかどうかはわからないのだけど、由真が理世子も聞こえるかもしれないって言ったから試しに連れて行ってみたのよね。そしたら――」
 寧々は店の壁にプロジェクターで地図を移す。地図上にはこれまで事件が起きていた場所がプロットされていた。理世子は警察官である悠子や松木を前にして緊張しながらも、寧々の言葉を受け取って話し始める。
「事件が起きた場所の半径数メートルだけ、幽霊が全くいなかったんです。浮遊霊みたいなのも全く……そこだけ無風地帯みたいに」
「むしろ幽霊ってそんな至るところにいるもんなん?」
「人の姿を取れるほど強いものはそこまで多くなくて、多くは欠片のようなものが漂っているだけなんだけど、それすらもいないっていうのは変な話なのよ」
 理世子の見る世界は星音たちが知っている世界とは明らかに違う。理世子の言葉を証明できる人は誰もいないが、彼女が嘘を吐く理由もない。警察の捜査に使えるかはわからないが、アルカイドの調査としては一歩前進と言えた。
「理世子の話を聞いて調べてみた結果、事件が起きた全ての場所で、五年以内に人が死ぬような事件や事故が起きていることがわかったの」
「確かに、私が襲われた交差点で一年くらい前に玉突き事故があった」
 梨杏が言う。梨杏は襲われはしたものの星音が少しだけ力を使ったのもあり、傷はほとんど目立たなくなっている。数日前から喫茶店の仕事にも復帰していた。
「そうみたいね。他も似たような感じ……これが当たっているかはわからないけれど、この近辺で五年以内に死亡事故や事件があった場所をプロットしてみたのがこれ」
「絞り込めてるとはいえないわね……」
 あまりに多い丸の数に、悠子が溜息を吐く。その全てを警戒するのは無理だ。理世子が地図を見ながら言う。
「事件が起きた場所の幽霊を使っているなら、もしかしたら幽霊が多ければ多いほど力は強くなるのかも……」
「単純に死者数が多い場所……と考えてソートをかけてみるとこんな感じかしらね。とりあえず三人以上で」
 寧々がパソコンを操作すると、丸の数が一気に減る。星音は横に座る由真がある一点に目を留め、すぐに逸らしたことに気がついた。機械的につけられた丸は人数別に色分けされている。その中で一つだけ違う色の場所があることに星音は気がついた。凡例には「二十人以上」と書かれている。
(五年以内なら、あの事件も入るのか――)
 その場所を見て、星音は由真の行動の意味を悟った。北斗の家がかつてあった場所につけられた灰色の丸。それはそこで二十人以上が死ぬ事件があったことを示していた。
「その上で、これまでの事件がいずれもそれなりに人通りがある場所だったことを加味すると――これでもあまり絞り込めてはいないわね」
 地図上から灰色の丸が消えたことに星音は安堵した。死者数は多いが人が寄り付かない場所ということなのだろう。
「これでも十ヶ所以上か……できる限り警戒はしてみるけれど、人手不足なのよね……」
 悠子が頭を掻きながら言う。能力者の事件を専門に扱う悠子たちの部署は希望する人も少なく、万年人手不足であることは星音も知っていた。寧々が腕組みをしながらそれに応える。
「ハル姉にも頼んではみるけど……この情報で先回りできるかはわからないわね。それでも他より進んでいると言えてしまうのが悲しいところだけど」
 これ以上は話し合ったところで進展はないだろうということで、集まりは解散となった。寧々が片付けをしている間、由真は立ち上がって理世子に声をかけていた。
「送って行くよ、理世子」
「大丈夫だよ、駅まで迎えにきてもらうから」
「じゃあ駅まで」
 何かを察したらしい理世子が頷く。理世子は歩きだから、バイクで来ている星音はついて行くことができない。それを少し残念に思いながらも星音は店を出た。



「……沢山人が亡くなった場所って、理世子はあんまり行きたくないところだよね」
 理世子と由真が駅までの道を歩き始めたとき、由真がそう切り出した。理世子は素直に頷く。
「そういう場所はどうしても良くないものが沢山いるから……少しは祓えるようになったけど、あまりに多い場所だとまだ無理かな」
「例えば、今日寧々が割り出した場所に先回りしてそこにいるやつ全部祓っとくとかそういうのも難しいよね、やっぱり」
「梨杏の事件があった場所くらいならまだいいけど……あまり多いと手に負えないかな。それにそういう場所は祓っても祓ってもキリがなかったりするのよ。どうしても悪いものが寄ってきやすくなる」
 理世子は由真の手を握る。由真が赤の他人のことすら気にかけて事件を解決しようとするのはいつものことだが、今回はいつもよりも解決を急いでいるような気がした。
「……許せないの、犯人が梨杏を襲ったこと?」
「梨杏はただそこにいただけで巻き込まれた。そんなの理不尽すぎるとは思う。でも一番はどうしてそんなことをしたのか聞きたいし、これ以上被害者が増えないうちに止めたいと思う。今まではみんな死ぬような怪我には至ってないけど、もしそんなことがあったら嫌だし」
 犯人の能力はまだ掴みきれていないが、寧々の見た能力波の残滓と理世子が見たものを合わせれば、おそらくそこにいる霊的なものを吸い上げて風の刃に変えることができる能力なのだろう。幽霊は基本的に負の感情の塊だ。穢れと呼ばれることもある。穢れが多ければ多いほど吸い上げるものが増えるので、必然的に出現する鎌鼬も大きくなるだろう。場所によっては人を殺すほどの力にもなる。
「前に寧々に作ってもらった私の力を閉じ込めた缶詰を使えば、一時的だけれどそこにいるものを蹴散らすことはできるかも」
「あれは寧々も大変だって言ってたけど……検討してみる価値はあるかもね」
「私からも寧々に言ってみるよ。――でも、由真」
 理世子は由真の手を強く握った。由真は冷静な表情をしているように見えるが、内心では梨杏を傷つけられたことに酷く怒っている。そういう人なのだ。自分よりも仲間の方が大切で、傷つけられた本人よりも怒ってしまうような人。だからこそ心配になる。
「無理はしない方がいいと思う。悠子さんも言ってたけど……厄介な人が関わってるんでしょ?」
「厄介で済めばいいんだけどね、あの人。あの人は本当に、私たち能力者を人間だと思ってない。仕方ない事情があることは知ってるけど」
「仕方ない事情?」
「あの人……昔、婚約者が能力者の起こした事件に巻き込まれて亡くなってしまったらしいんだよね」
「でも、その犯人と私たちは違う人間だよ」
 多くの人は能力者と一括りにしてしまうけれど、それぞれ能力も違えば、人となりも当然違う。たとえその人の大切な人が能力者に傷つけられたとしてもそれを他の人にぶつけるのは間違っている。けれど由真はどこか遠い目をして笑った。
「同じ状況になったら私も同じことをするかもしれないよ。気持ちはなんとなくわかるから」
「由真はしないと思うけどな、私は」
 優しすぎるほどに優しい人だ。少なくとも無関係の人間にその怒りを向けたりはしないと理世子は思った。
「無差別に人を襲う能力者をあの人はすごく憎んでる。……だから、私のこともきっと」
 理世子は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。本当はどうなのか。向けられたその怒りは正当なものなのか。どうしても由真がそれだけ大勢の人間を殺せるとは思えないのだ。
「酷いことされたならもっと怒ってもいいのに、どうして」
「だからあの人のことは嫌い。それだけだよ」
 理世子は以前、由真自身から聞かされたことがある。北斗の家の事件の後、取調でひたすら黙秘を続けた由真に対して田崎が何をしたのか。それを知っているからこそ、理世子は由真を事件に近付けたくはなかった。
(星音ちゃんは、多分具体的には知らないのよね……)
 由真が星音に話さないのなら、それには理由があるのだろう。けれど日頃行動を共にする星音が知らないままでは、由真を不用意に事件に近づけてしまうこともある。いや、あるいは早く事件が解決してしまえばこの悩みは意味のないものになるかもしれない。いずれにせよ、理世子が望んでいることはただ一つだ。
(お願いだから、もう誰も由真を傷つけないでいて)
 由真は優しすぎるのだ。自分が一番苦しくても、誰かが苦しんでいればそっと手を差し出してくれる。だからこそ理世子はその幸せを願ってやまないのだ。
 駅に辿り着き、迎えの車を見つけた理世子が由真の手を離した瞬間――理世子は背筋を氷が滑り落ちるような冷たさを感じた。この駅はいつも使っている。けれど普段は鳴りを潜めているものが一斉に騒ぎ立てているのを感じた。由真も何かに気がついたのか駅の方を見ている。
「……聞こえた?」
「音はわからない……けど、駅の中……ホームの方に何かいる」
 由真が理世子の手を強く引く。改札をくぐり抜けて一番ホームまで階段を駆け上がった。ホームが近付くにつれて、理世子には今まで見たことがないものが見えてきた。
「幽霊が一ヶ所に集まってる……!」
「ここもさっきの地図の中にあった」
 この駅は数年前までホーム柵が設置されていなかった。そして特急列車が通過する駅なのもあって線路に飛び込んで自殺を図る人が少なからずいた。成功した人間の最期の悲しみの声や、そのために電車が遅れて迷惑を被った乗客の声、そんなものが一つの渦を形成し始める。
「っ……間に合わない……!」
 由真には何が聞こえているのだろうか。理世子にはホームに作り出された黒い渦に今にも足を踏み出しそうになっている壮年の男が見える。けれどその場所までは距離がありすぎる。理世子は意を決して手に弓を出現させた。この距離で外さずに当てられるかはわからない。けれど何もしなければ、今度は確実に死者が出る。
「由真、走って!」
 理世子の意図を察した由真がホームを走る。それを追いかけるように、理世子は能力で作り出した青色の矢を放った。渦の左側に矢が到達したのにわずかに遅れ、由真が男を床に倒す。狙いがそれ多分渦を壊しきれず、男を庇う形を取った由真の背中に無数の切り傷を生む。理世子は悲鳴と怒号で混乱するホームの人混みを抜け、由真に駆け寄った。
「由真……!」
「ありがと、理世子……おかげで間に合った……」
 正確に言えば間に合わなかったのだ。理世子が渦を完全に消しきれれば由真が傷を負うことはなかった。威力を削ぐことには成功しており、傷は浅く済んだようだが、傷からは血が流れ落ちている。
「私はいいから……犯人を探して、理世子」
 騒ぎを聞きつけて駅員が走ってくる。ざわめきの中で目的のものを見つけるのは難しかった。理世子は目に全ての意識を集中させて幽霊たちの流れを見る。暫くしてホームの人混みの中に一際黒く澱んでいる気配をまとう黒く長い髪の女を見つけた。そしてそれは出口へ通じる階段へと向かっていた。
 ――見つけた――理世子がそう言おうとした瞬間、理世子の足元に小さな渦が生まれる。理世子は作り出した矢を突き刺してそれを消した。傷を追うことはなかったが、それに気を取られているうちに黒い気配は見失ってしまった。
「ごめん、由真……見失った」
「いいよ。理世子に怪我がなくてよかった」
 自分は怪我をしているくせに、理世子にはそんなことを言うのだ。その優しさが時に逆に人を傷つけることがあるのだということを由真は知っているのだろうか。もし渦の真ん中を射抜けていたなら――理世子は後悔に苛まれながら頷いた。
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