植物大学生と暴風魔法使い

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再会(前編)

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 ヒュウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……。

 絨毯が暴れまわる
「……」
優作は必死にしがみつく。ビルの間を縫い、絨毯にそのつもりがあるかは定かでないが、優作を振り落とそうと突き進む。
 既に、優作に叫ぶような体力はない。ほぼすべての体力をしがみつくことに使っている。もともと大した体力のない優作が、ここまでしがみついていられたのは奇跡と言ってもいい。

 こんなことなら、もっと操縦練習しとけばよかった。正直、優作は絨毯がそこまで好きじゃなかった。アンの暴走運転に始まり、無理矢理乗らされたり、操縦させられたりと、割と強制されたものという印象が強い。そりゃ、アンが大好きなものだから、やらせたい気持ちは分かる。だが、強制されたらむしろやりたくなくなるもの。
 それには適正も関係していたかもしれない。優作には確かに魔導書の作製やゴーレムのための魔術、空間を操る魔術に関する才能がある。だが、飛行術に関する才能があるかは分からない。少なくともそこまで興味を惹かれたわけではない。電車に乗って通学は嫌だが、自分で車を運転したくない。そのような感情と似ている。もっとも、体力皆無のインドア根暗大学生が超高速の絨毯にしがみついていられるのは、ある程度絨毯に宿らせている精霊と親和しているからなのだが、この時の優作はそこまで知らない。

 絨毯はずっとランダムに飛び続ける。目的地もなく、ただ『衝突だけを避ける』という指令を守り続ける。この時、優作が『止まれ』と命令すれば、恐らくこの絨毯は止まった。だが、優作は全くそのようなことをしなかった。どうにかしてこの絨毯を制御しようとばかり考えていた。

 俺にだって、出来るんだ。そして、アンに謝るんだ。

 非力で軟弱な優作を動かしていたのは、“信念”だった。波風立てずに、苦労せずに生きたい一人の青年の、どうしても譲れない信念だった。それは、恩人への礼儀、感謝、といった言葉が似合うのかもしれないが、あまりはっきりとはしない。
 ただ、このまま止まることだけはしたくなかった。振り落とされることも嫌だった。結局、自分は何も出来ないことになってしまう。自分に負けたくない。せっかく壊したのに。自分を囲っていた壁を、自分の力で壊したのに。もしここで止まったら、もう一度自分はあの小さな世界に戻ってしまう気がする。それが嫌だった。自分はもう、そんな人間じゃない。飛び出したんだから。もう、そんなことで負けるような人間じゃない。
 もう幻想なんかじゃない。誰かに理想を見せられて、変わった気になったのとは違う。自分は本当に変わったのだから。どうにかして、自分の手で制御するんだ。

 ボウッ!

 正面から、突発的な風が吹いた。

 バッ!

 ——! しまった、左手が、外れた。必死に両手で絨毯を掴んでいたのに、気が抜けた。考えにふけたせいで、左手の注意がおろそかになってしまった。そのせいで急な突風に対処出来なかった。体の全体重が絨毯を掴む右手に集中する。
「……ぐわああぁぁぁぁぁ」
あまりの苦しさに、カラカラに干からびた雑巾を絞るような声がこぼれる。右手が悲鳴を上げる。もはや、いつ振り落とされてもおかしくないような状況。
 この時、優作の頭に、ある一つの文字が思い浮かんだ。本当の人生の終わり。就職だとか、リストラだとか、借金地獄とか、そんな重大事すらこの文字の前には些細なことでしかない。この文字が訪れた時、すべてが終わる。今まで築き上げてきたもの、準備してきたもの、それらすべてが無に帰す瞬間。普段全く意識しないが、いつか絶対に訪れる瞬間。物凄い恐怖が脳内で氾濫した。別に、自分の生命が無くなることへの恐怖じゃない。今まで何も出来なかったこと、自分が何も残せなかったことが怖い。このまま自分が消えてしまう。せっかく気が付いたのに。広い世界に。自分がいかに小さくて、無力か気が付いたのに。やっと、これから始まるのに。始まる前に終わるのか。
 何より、謝罪もせずに消えたくない。何のために絨毯で飛んだのか。アンに謝罪するためなのに。このまま終わりたくない。

 悔しさが胸を貫くが、もうそろそろ優作の右手は限界を迎える。体が引きちぎれるか、手を放すか。どちらにせよ、優作が迎える最後は同じ。既に優作が生還し、目的を果たせる選択肢はない。

 ——アン、ごめん。最後に、会いたかった。
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