植物大学生と暴風魔法使い

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夜空に浮かぶ魔法使い(後編)

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 アンの言葉に一瞬戸惑った。だが、特に驚くことはなかった。
「ごめんね優作。せっかく再会できたのに。また別れることになっちゃって」
「……分かった」
アンはきょとんとした。想定では、優作は動揺するか、凹むか、驚くか、とにかく何かかしら取り乱すと思っていたから。だが、優作は驚くほど落ち着いていた。
「なんだよその目。俺が取り乱すとでも思ったのか? 確かに、なんで嫌いな故郷に戻ろうとするのか疑問はある。だけど、アンは『大陸を駆ける風』だろ? 今更どんなことをしようと気にしねぇよ」
「そっか。なら、全部、話したいこと話すね」
そう言うと、一度深呼吸をした。その後、ゆっくりと、口を開き始めた。
「私は大陸を駆ける風でありたい、大空を旅する雲でありたいと思ってた。もちろん、今もそれは変わらないよ。だけどさ、私はずっと、大切なものを見てなかったのかもしれない」
「大切なもの?」
「実は、私にもよく分かんなんだ。ただ、優作と過ごした時、一度離れた時、なんか感じたんだよね。自分が今まで見てこなかったものを。だから、これからはそれが何かを探したいな、って思うの」
アンは「ダメかな?」とでも言いたげな目を優作へと向ける。優作はその目をじっと見つめた。
「なんか、安心したよ」
「え? どうして? どうして安心できるの?」
「だって、アンも俺と同じ『人間』なんだな、って。生まれた世界も違うし、出来ることも全く違う。魔法だって使えるし、アンはほんとに何でも出来る。だけど、アンも俺と同じように悩んで、後悔して、よく分かんない答えを探そうとする。なんか、アンが、ずっと身近に感じたんだ」
その言葉を聞き、アンはほっこりとした。同時に、目の前の青年の成長に、感動せずにはいられなかった。
「俺は大丈夫だから。俺はもう、何とか生きていける。もちろん、アンがいてくれれば心強い。だけど、俺に風は止められない。だから、どうか、自由に、動き回って欲しい。俺のことを忘れたって構わない。何にも縛られずに行って欲しい。俺が望むこと、って言ったらなんか上から目線だけど、とにかく、自由であって欲しいんだ」
「優作……」
アンの目から、涙がぽろっとこぼれた。だが、優作は気が付いてない。それをいいことに、アンは小さな風を起こし、さっと涙を吹き飛ばした。
「だけどよぉ、アン。話を聞くとそのロイラン、ってとこ、相当厳格な場所っぽいけど、勝手に脱走した人間をもう一回受け入れてくれるのか?」
優作の思いがけない発言に、少しドキッとした。あの時、かなり乱暴な強行突破したことを思い出したからだ。
「あ……。そこ、よく考えてなかった」
「おいおい……。大丈夫かよ魔法使いさん」
「まあ、そこらへんは帰ってから考えるよ」
普通の人間がこんな無計画なことするなら絶対に止めるところだが、アンなら何とかなる気がする。むしろ、これくらい無計画な方がアンらしい。
「ところでさ、わざわざ故郷に帰る必要がるのか? 確か、『魔法都市ロイラン』だったか? わざわざ帰らなくても、他の場所を旅したほうがいいんじゃないか?」
「いや」
アンが、少し強く否定した。
「私はずっと故郷が嫌いで、ロイランのことをちゃんと見てなかった。ロイランから学ぶことは全くないと思ってた。だから壁の外のことばかり調べていたし、異世界のことについても関心があったの」
「ほんとに故郷が嫌いだったんだな」
「うん。本当に大っ嫌いだった。特に、私に対して集団で嫌な視線を送ってくる人たちが」
「……なんか、異世界でも人間って、ほんと変わらないというか、何というか」
集団で天才をはぶるのは、全世界共通というか、複数世界共通というか、ここまでくると人間の本能の恐ろしさが逆に面白くなる。
「ふふ、面白いよね。どこでも同じでさ。で、私はそんな人たちが大っ嫌いだったんだけど、優作を見てて思ったんだ。もしかしたら、そんな人たちは、ただ不安だったんじゃないかな、って」
アンが、いつになく爽やかな口調で語る。
「本当は、不安で不安で仕方なくて、不安を感じずに動き続ける人間が羨ましくてしょうがない。だから、そんな人に八つ当たりしてたのかなって」
「う……」
優作は胸を貫かれた気がした。まるで、自分のことをそのまま言われているようで辛かった。
「そんな人、いなくなればいいと思っていたけど、今の私ならもっと別の見方が出来る気がするんだよね。今まで見えなかったものが見えて、もっと自分の世界が広がる気がするんだ」
アンの瞳は輝いていた。この輝きを何度眩しいと思ったか。だが、今は、ただ嬉しかった。目の前の人間が、無限の未来に心を躍らせている。それが、なんだか心地よかった。
「……でさ。優作」
アンの口が一瞬止まった。
「も……、もし、私がもう一回、ここに戻ってきたい、って言ったら、どうする?」
アンが少し視線を落とし、申し訳なさそうな表情で話しかけた。
「そんなの決まってるだろ。いつでも戻ってきてくれよ。俺はいつでも歓迎するぜ」
「……」
「ん? どうしたアン?」
アンが、しばらく黙り込んでしまった。何回か声をかけても全く反応しない。少し心配になった。何も出来ず、ただアンを見つめるしかなかった。
「…………くるよ」
「はい?」
アンが、かすれるような声を発する。声があまりにも小さいので、優作は上手く聞き取ることが出来ない。
「……戻って、くるよ」
「……え?」
「絶対、戻ってくるよ。絶対に。もっと見聞を広げて、もっと魔術を極めて、もっと鍛錬して、修養して、戻ってくるよ。だから、待ってて」
強く、まっすぐな視線が優作へと向けられる。その時の瞳が、優作の心を暖めた。活力をもらえた気がした。
「……ああ。こっちも頑張るよ。こんな軟弱な人間じゃなくて、もっと誇れるような人間になれるように頑張るよ」
「うん。お互い頑張ろ!」
「おう!」
夜空には冷たい風以外何もいない。雲一つなく、澄みきった空。その中で、新たな出発を決めた二人。それから、特に言葉を発しなかった。お互いの決意を噛みしめ、激励するように、ただ見つめ合っていた。


 爽やかな風がふわっと吹いた。何かの綿毛が、ふわっと空高く放り出された。暗く、冷たく、澄んだ空。月明かりに照らされ、きらきらと輝きながら、深い夜空の中に溶けていった。
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