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第一章 春
Order3. 娘の彼
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窓の外を、細かい雨が音もなく降り続いている。日本列島は今、梅雨真っ只中にあった。
「昨日、娘の彼氏だとかいう男が来たんだよ」
「へぇ、加奈ちゃんのか?」
「全く、参ったよ。まだ二十歳だよ。子供だと思ってたら、いきなりだよ」
「紹介されたのか?」
「紹介ってほどではないけど、まぁ一緒に家で飯食っただけだよ」
「で、どんな男だったんだ?」
「どんなって。ほとんど嫁さんが話してたから、オレは一言二言しか会話してないし、わからねぇよ。別に、見た目は普通の面白味のなさそうな奴だったけどな。娘と同じ大学のサークルの先輩だとよ。どうせチャランポランな奴だよ」
「娘が彼氏連れて来るなんて、おめでたい事じゃないか。彼氏もお前みたいな不愛想な父親じゃ、かなり緊張してたんじゃないか」
「何を緊張する必要があるんだ。結婚する訳でもあるまいし。あんな平凡な男、加奈には似合わねぇよ」
騒がしい女子校生のグループが帰った後は、カウンターに座るこのサラリーマン風の男ふたりの会話だけが夕方の店内を交差していた。娘の父親は四十代後半に見え、タレ目が妙に愛嬌を感じる。男は半分ほどになったモカブレンドをまるで持て余すようにカップの中でくるくる回し、少し年上に見えるもうひとりの男は、砂糖のたっぷり入ったブルーマウンテンを旨そうに飲み干した。
ピアノ弾きの少女の指は、窓の外の雨に溶け込むような音色を優雅に奏でている。タレ目の男は、そんな音色にしばらく聴き入った後、腕時計をチラッと見やり「さてと。そろそろ仕事に戻るか」と、立ち上がった。
「ごちそうさん」
「いつもどうも」
にこやかにお札を受け取る青年に向かって、タレ目男は更に目尻を下げた。
「そういえば……店長、もうそろそろ店は夏季休業に入るんじゃないのか?」
「ええ。来月位から二ヶ月ほど。また迷惑かけます」
「あんたはいつも真面目だね。若いのにひとりで店出したりしてさ。……娘の彼氏があんたみたいな男だったら、オレも喜んで応援するんだけどな」
男は軽い口を叩くと、少し照れたような顔で釣り銭を受け取り、もうひとりの男を促して店を後にした。
店の一番奥。少女はピアノを弾き終えると、両手で軽く指をほぐしながら呟いた。
「きっと、紹介された彼氏があなたでも、あの人反対してたと思うな」
青年は、カウンターの外に回って食器を流しに置くと、さっき客が座っていた椅子に腰を掛けた。
「だろうね。それがいわゆる父親の気持ちなのかもね」
「でも、変なの」
「何が?」
「似合わないとか言ってる割に、あの人すっごく嬉しそうだったんだもの。そう思わない?」
そう。男は、彼に対して一定の好感を持っているのは傍目にも充分わかった。彼を認めていない口調とは裏腹に、男の顔はとても穏やかで、昨夜の事を誰かに話したくてうずうずしていたに違いない。
「男としては認めても、娘の彼氏としてあっさり認めるのは悔しいんじゃないの。何かケチつけないと気が済まないっていうかさ」
「だとしたら、すっごい天邪鬼ね。男って」
腑に落ちない、といった顔で唇を尖らせている少女を肩越しに見ると、青年は目を細めて微笑み、何も言わずに裏口から出て行った。
彼の休憩タイムが始まったらしい。
少女は扉に向かってひとつため息をつくと、男の言った言葉を想い出した。
「夏季休業か……」
少女は、ぼんやりと窓の外、降りしきる雨を見ていた。雨は嫌いじゃなかった。でも、梅雨はあまり好きではなかった。そして梅雨が明けた後訪れる季節も、好きではなかった。
「昨日、娘の彼氏だとかいう男が来たんだよ」
「へぇ、加奈ちゃんのか?」
「全く、参ったよ。まだ二十歳だよ。子供だと思ってたら、いきなりだよ」
「紹介されたのか?」
「紹介ってほどではないけど、まぁ一緒に家で飯食っただけだよ」
「で、どんな男だったんだ?」
「どんなって。ほとんど嫁さんが話してたから、オレは一言二言しか会話してないし、わからねぇよ。別に、見た目は普通の面白味のなさそうな奴だったけどな。娘と同じ大学のサークルの先輩だとよ。どうせチャランポランな奴だよ」
「娘が彼氏連れて来るなんて、おめでたい事じゃないか。彼氏もお前みたいな不愛想な父親じゃ、かなり緊張してたんじゃないか」
「何を緊張する必要があるんだ。結婚する訳でもあるまいし。あんな平凡な男、加奈には似合わねぇよ」
騒がしい女子校生のグループが帰った後は、カウンターに座るこのサラリーマン風の男ふたりの会話だけが夕方の店内を交差していた。娘の父親は四十代後半に見え、タレ目が妙に愛嬌を感じる。男は半分ほどになったモカブレンドをまるで持て余すようにカップの中でくるくる回し、少し年上に見えるもうひとりの男は、砂糖のたっぷり入ったブルーマウンテンを旨そうに飲み干した。
ピアノ弾きの少女の指は、窓の外の雨に溶け込むような音色を優雅に奏でている。タレ目の男は、そんな音色にしばらく聴き入った後、腕時計をチラッと見やり「さてと。そろそろ仕事に戻るか」と、立ち上がった。
「ごちそうさん」
「いつもどうも」
にこやかにお札を受け取る青年に向かって、タレ目男は更に目尻を下げた。
「そういえば……店長、もうそろそろ店は夏季休業に入るんじゃないのか?」
「ええ。来月位から二ヶ月ほど。また迷惑かけます」
「あんたはいつも真面目だね。若いのにひとりで店出したりしてさ。……娘の彼氏があんたみたいな男だったら、オレも喜んで応援するんだけどな」
男は軽い口を叩くと、少し照れたような顔で釣り銭を受け取り、もうひとりの男を促して店を後にした。
店の一番奥。少女はピアノを弾き終えると、両手で軽く指をほぐしながら呟いた。
「きっと、紹介された彼氏があなたでも、あの人反対してたと思うな」
青年は、カウンターの外に回って食器を流しに置くと、さっき客が座っていた椅子に腰を掛けた。
「だろうね。それがいわゆる父親の気持ちなのかもね」
「でも、変なの」
「何が?」
「似合わないとか言ってる割に、あの人すっごく嬉しそうだったんだもの。そう思わない?」
そう。男は、彼に対して一定の好感を持っているのは傍目にも充分わかった。彼を認めていない口調とは裏腹に、男の顔はとても穏やかで、昨夜の事を誰かに話したくてうずうずしていたに違いない。
「男としては認めても、娘の彼氏としてあっさり認めるのは悔しいんじゃないの。何かケチつけないと気が済まないっていうかさ」
「だとしたら、すっごい天邪鬼ね。男って」
腑に落ちない、といった顔で唇を尖らせている少女を肩越しに見ると、青年は目を細めて微笑み、何も言わずに裏口から出て行った。
彼の休憩タイムが始まったらしい。
少女は扉に向かってひとつため息をつくと、男の言った言葉を想い出した。
「夏季休業か……」
少女は、ぼんやりと窓の外、降りしきる雨を見ていた。雨は嫌いじゃなかった。でも、梅雨はあまり好きではなかった。そして梅雨が明けた後訪れる季節も、好きではなかった。
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