獅子王の運命の番は、捨てられた猫獣人の私でした

天音ねる(旧:えんとっぷ)

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いつもの席の、特別な客1

嵐のような男が、「森の恵み亭」に初めて姿を現したあの夜。
ミミは、屋根裏部屋のベッドに入ってからも、しばらくの間、まったく寝付くことができなかった。
瞼を閉じれば、あの圧倒的な存在感が、ありありと蘇る。
地を這うような、深く重い声。
そして、フードの奥の暗闇で、一瞬だけ垣間見えた、燃えるような黄金の瞳。

(あの人は、一体、誰だったんだろう…)

ただの旅人だろうか。それにしては、あの威圧感は、あまりにも尋常ではなかった。王都の、それも、こんな庶民的な食堂に、ふらりと立ち寄るような人物には、到底思えない。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。
しかし、それと同時に、ミミの胸には、恐怖や戸惑いとは少し違う、不思議な感情が渦巻いていた。
それは、静かな、さざなみのような、興奮。
自分の作ったシチューを、最後の一滴まで、パンで綺麗に拭って完全に空にしてくれた、あの美しい食べ方。
そのことを思い出すと、胸の奥が、ぽっと、温かくなるのだった。

翌日の夜。
「森の恵み亭」が、いつものように閉店の準備を始めようかという、まさにその時間だった。

カラン。

昨日とまったく同じ、澄んだベルの音が、店内に響いた。
その音を聞いた瞬間、ミミの心臓が、とくん、と大きく跳ねた。厨房で皿を洗っていた彼女の手が、ぴたりと止まる。
カウンターにいたターニャも、弾かれたように顔を上げ、入り口の方を睨みつけた。
そこに立っていたのは、やはり、あの男だった。
昨日と寸分違わぬ、ダークブラウンの外套を目深にかぶり、その巨躯を、影のように静かに佇ませている。

店の空気が、昨日と同じように、ぴしりと音を立てて張り詰める。まだ店に残っていた数人の客が、ぎょっとしたように男の姿を見ると、そそくさと会計を済ませ、逃げるように店を出ていった。
男は、そんな周囲の様子など、まるで意に介していないかのように、昨日とまったく同じ、窓際の、一番奥のテーブル席へと、音もなく歩を進めていく。
そして、昨日とまったく同じように、椅子に深く腰を下ろすと、石像のように、ぴくりとも動かなくなった。

「…また、来たのかい」

ターニャが、カウンターの陰で、警戒心を露わに、低く唸る。
ミミは、ごくりと、乾いた喉を鳴らした。
来た。また、あの人が、来た。

「…ミミ。あたしが行く」
「いえ、大丈夫です」

ターニャの制止を、ミミは、静かに断った。
なぜなら、もう分かっていたからだ。
あの人は、自分に危害を加えるような人ではない。
そんな、何の根拠もない、けれど絶対的な確信が、ミミの中にはあった。

ミミは、ゆっくりと厨房から出ると男のテーブルへと向かった。
昨日ほどの、体の震えはない。心臓の鼓動だけは、うるさいほどに速かった。
男はミミが近づいてくるのを、フードの奥から、じっと見つめている。
ミミはテーブルの横に立つと、意を決して、口を開いた。

「いらっしゃいませ。ご注文は…」
「……」

男は何も言わなかった。
ただ、そのフードの奥の視線がほんの少しだけ厨房の方へと向けられた。そこには、『本日の気まぐれスープ:きのこと木の実のクリームスープ』と書かれた、小さな黒板が吊るされている。
それだけで、ミミには、彼の望みが、痛いほどに伝わってきた。

「…本日の、日替わりスープと、パンで、よろしいでしょうか」

ミミがそう尋ねると、フードの奥で、小さく一度だけ頷いた。
その、ほんのわずかな仕草に、ミミの胸にちいさな喜びの灯がともる。
私のスープをまた食べに来てくれたんだ。

「かしこまりました。少々、お待ちくださいませ」

ミミは、一礼すると、昨日よりも少しだけ軽い足取りで、厨房へと戻った。
その日のきのこと木の実のクリームスープは、ミミの自信作だった。
数種類のきのこを丁寧に炒めて香りを引き出し、隠し味に、故郷の森で採れた栗を、ペーストにして溶け込ませてある。
素朴だが、深く、優しい味わい。
ミミは心を込めて、そのスープを温め直し、昨日と同じように、一番美味しそうに見えるように、丁寧に皿に盛り付けた。

男は、昨日とまったく同じように、静かに美しく、そして、最後の一滴まで綺麗にすべてを平らげた。
そして、昨日とまったく同じように、代金よりも少しだけ多い銀貨をテーブルに置くと、一言も発することなく、夜の闇へと消えていった。

その日から、それが「森の恵み亭」の、新しい日常となった。
男は雨の日も、風の日も毎日、閉店間際の店に、ふらりと姿を現した。
彼は、必ず窓際の同じ席に座り、そして、必ずミミの作る、その日の日替わりスープとパンだけを、静かに注文する。

常連客たちも、最初はあの得体の知れない、威圧感を放つ大男の存在にひどく怯えていた。
彼が店に入ってくると、皆、蜘蛛の子を散らすように、そそくさと帰っていったものだ。
しかし、その習慣が、何日も何週間も続くうちに、彼らも次第に慣れていった。
あの男は、誰に話しかけるでもなく、ただ、黙ってスープを飲むだけで、決して騒ぎを起こしたりはしない。
いつしか、常連客たちの間では、あの男の来店が「そろそろお開きにする時間だ」という、非公式の合図のようになっていた。
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