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第7話〜震える手〜
しおりを挟むその時だった。
フワ……
突然。ずぶ濡れの私に背後から袿が被せられた。私は涙が溢れる目を見開いた。
「!!」
心臓がドクンと高鳴る。
呼吸が止まる。
ザァ―ー……
雨の音と仔猫の鳴き声だけが辺りに響いていた。
身体が震える。振り返れない。
心臓だけがドキンドキンと鼓動を速めていく。
「無茶な方ですね……」
「!」
その声は。
ずっと待ちこがれていた人の声。私の心臓はおかしなほど高鳴った。
ゆっくりと振り返ると、すぐ後ろに記憶通りの湊尹の顔があった。雨に濡れて滴がポタポタと流れている。
「湊……尹」
湊尹は躊躇いがちに袿の上から私の手を取ると渡殿まで私を導いた。
「この雨の中外に出られるとは……。体調を崩してしまいますよ」
そう言ってかがんで私の顔を拭いてくれる湊尹も私に負けず劣らず濡れてしまっていた。
「湊尹……」
私はポツリと名を呼んだ。
気付いて湊尹の手が止まる。次の言葉を待っている。でも、私は何も言葉に出来なかった。
「姫?」
「……何故泣くのです?」
湊尹は少し困ったように問いかけてくる。 私の瞳からはポロポロと涙が溢れて止まらなかったからだ。
「私はあなたの涙を止める方法が分かりません。ですからどうか……」
少し慌てた湊尹の声。
聞きたくてたまらなかった声。
夢にまで見た彼の姿が今目の前にあることがたまらなく嬉しかった。
「ありがとう……」
私は胸がいっぱいで一言だけ呟くので精一杯だった。
湊尹は静かに微笑んでくれた。それだけでこの半月の間の寂しかった気持ちが満たされてしまう。
「ーーどうしてここへ……?」
「それは……」
私の問いかけに口ごもった彼はバツが悪そうで、私は首を傾げた。
「通りかかったの?」
「あ、はい、ーーいえ」
さらに口ごもる奏尹は明らかに狼狽えていた。私はある可能性に気づいた。
「まさか、奏尹……」
「ーー……すいません」
観念したように奏尹は額に手を当てた。
そうだったんだ……湊尹は……
「もしやと思い、務めの合間にこちらに寄った事があるのです。……それ以来気になってしまって……」
とうとう彼が白状した。私の頬が熱くなるのを感じた。
「会えないとお断りしたものの、ひと気のないこのような場所に一人でいらっしゃるのは心配で……あ、姫!?」
私はペタンと座り込んでしまった。
「大丈夫ですか。気分がお悪いのですか!?」
「ーー……」
私は仔猫を抱えたまま放心してしまった。胸に熱いものが溢れ出す。
湊尹はずっと側に居てくれたんだ。
私がここに通っている間、職務の合間を見つけては、見えない場所からずっと私を見ていてくれた。
一緒に居てくれてたんだ……。
「大丈夫ですか?どうしてしまったのです、桜姫……!」
戸惑う湊尹を心から『愛しい』と想った。
これは、恋。
生まれて初めての恋なんだ……。
「……湊尹」
私は湊尹の黒い衣を震える手で掴んだ。
驚いて目を見開く奏尹を間近に見上げた。彼の顔を見て私の心臓はおかしなくらい激しく早鐘をついた。
「やっぱり、これからもあなたに逢いたいよ……」
「――……」
湊尹は困ったように俯いた。
私の胸はズキンと傷んだ。
奏尹の一挙一動に一喜一憂してしまう。
さっきまで幸せに満たされていたのに今度は息もできないくらい傷ついている。
長い沈黙――……。
激しい勢いで降り続ける雨音だけが私の耳に響いている。緊張で湊尹の衣を握る手に汗をかいていた。
「―ー……桜の咲く頃……」
湊尹が呟く。
ドキッとして私は目を見張った。
「あの桜の木が花を咲かせる頃まで……。それでも宜しいですか」
湊尹は庭の桜の若木を指差した。
「私はあなたとこうして同じ場所に立てるような身分ではありません。けれどあなたがここまで望んでくださるなら、少しの間だけお話相手になりましょう」
「いいの……?」
胸が高鳴る。今度はまた心が浮き足立つ。奏尹は困ったように笑った。
「そう望まれたのは姫でしょう」
「あ。そう、よね」
奏尹はそっと私の髪を袿で拭いながら少し呆れたようにため息をついた。
「本当に不思議な姫ですね。突然裸足で庭に飛び出したり、泣いたり笑ったり」
「う……」
嫌われた?私は不安になった。
「本当に見ていて飽きません」
奏尹は笑った。
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