桜は君の無邪気な笑顔を思い出させるけれど、君は今も僕を覚えていますか?

星村桃摩

文字の大きさ
7 / 31

第7話〜震える手〜

しおりを挟む


 その時だった。

 フワ……

 突然。ずぶ濡れの私に背後から袿が被せられた。私は涙が溢れる目を見開いた。

「!!」

  心臓がドクンと高鳴る。
  呼吸が止まる。

 ザァ―ー……

  雨の音と仔猫の鳴き声だけが辺りに響いていた。

 身体が震える。振り返れない。
 心臓だけがドキンドキンと鼓動を速めていく。

「無茶な方ですね……」

「!」

  その声は。

 ずっと待ちこがれていた人の声。私の心臓はおかしなほど高鳴った。

 ゆっくりと振り返ると、すぐ後ろに記憶通りの湊尹の顔があった。雨に濡れて滴がポタポタと流れている。

「湊……尹」

 湊尹は躊躇いがちに袿の上から私の手を取ると渡殿まで私を導いた。

「この雨の中外に出られるとは……。体調を崩してしまいますよ」

 そう言ってかがんで私の顔を拭いてくれる湊尹も私に負けず劣らず濡れてしまっていた。

「湊尹……」

 私はポツリと名を呼んだ。
 気付いて湊尹の手が止まる。次の言葉を待っている。でも、私は何も言葉に出来なかった。

「姫?」

「……何故泣くのです?」

 湊尹は少し困ったように問いかけてくる。 私の瞳からはポロポロと涙が溢れて止まらなかったからだ。

「私はあなたの涙を止める方法が分かりません。ですからどうか……」

 少し慌てた湊尹の声。
 聞きたくてたまらなかった声。
 夢にまで見た彼の姿が今目の前にあることがたまらなく嬉しかった。

「ありがとう……」

 私は胸がいっぱいで一言だけ呟くので精一杯だった。

 湊尹は静かに微笑んでくれた。それだけでこの半月の間の寂しかった気持ちが満たされてしまう。

「ーーどうしてここへ……?」

「それは……」

 私の問いかけに口ごもった彼はバツが悪そうで、私は首を傾げた。

「通りかかったの?」

「あ、はい、ーーいえ」

 さらに口ごもる奏尹は明らかに狼狽えていた。私はある可能性に気づいた。

「まさか、奏尹……」

「ーー……すいません」

 観念したように奏尹は額に手を当てた。

 そうだったんだ……湊尹は……

「もしやと思い、務めの合間にこちらに寄った事があるのです。……それ以来気になってしまって……」

 とうとう彼が白状した。私の頬が熱くなるのを感じた。

「会えないとお断りしたものの、ひと気のないこのような場所に一人でいらっしゃるのは心配で……あ、姫!?」

 私はペタンと座り込んでしまった。

「大丈夫ですか。気分がお悪いのですか!?」

「ーー……」

 私は仔猫を抱えたまま放心してしまった。胸に熱いものが溢れ出す。

 湊尹はずっと側に居てくれたんだ。
 
 私がここに通っている間、職務の合間を見つけては、見えない場所からずっと私を見ていてくれた。
 
 一緒に居てくれてたんだ……。

「大丈夫ですか?どうしてしまったのです、桜姫……!」

 戸惑う湊尹を心から『愛しい』と想った。

 これは、恋。

 生まれて初めての恋なんだ……。

「……湊尹」

 私は湊尹の黒い衣を震える手で掴んだ。
 驚いて目を見開く奏尹を間近に見上げた。彼の顔を見て私の心臓はおかしなくらい激しく早鐘をついた。

「やっぱり、これからもあなたに逢いたいよ……」

「――……」

  湊尹は困ったように俯いた。
 私の胸はズキンと傷んだ。
 奏尹の一挙一動に一喜一憂してしまう。
 さっきまで幸せに満たされていたのに今度は息もできないくらい傷ついている。

 長い沈黙――……。

 激しい勢いで降り続ける雨音だけが私の耳に響いている。緊張で湊尹の衣を握る手に汗をかいていた。

「―ー……桜の咲く頃……」

 湊尹が呟く。

 ドキッとして私は目を見張った。

「あの桜の木が花を咲かせる頃まで……。それでも宜しいですか」

 湊尹は庭の桜の若木を指差した。

「私はあなたとこうして同じ場所に立てるような身分ではありません。けれどあなたがここまで望んでくださるなら、少しの間だけお話相手になりましょう」

「いいの……?」

 胸が高鳴る。今度はまた心が浮き足立つ。奏尹は困ったように笑った。

「そう望まれたのは姫でしょう」

「あ。そう、よね」

 奏尹はそっと私の髪を袿で拭いながら少し呆れたようにため息をついた。

「本当に不思議な姫ですね。突然裸足で庭に飛び出したり、泣いたり笑ったり」

「う……」

 嫌われた?私は不安になった。

「本当に見ていて飽きません」

 奏尹は笑った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

【改稿版】夫が男色になってしまったので、愛人を探しに行ったら溺愛が待っていました

妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
外観は赤髪で派手で美人なアーシュレイ。 同世代の女の子とはうまく接しられず、幼馴染のディートハルトとばかり遊んでいた。 おかげで男をたぶらかす悪女と言われてきた。しかし中身はただの魔道具オタク。 幼なじみの二人は親が決めた政略結婚。義両親からの圧力もあり、妊活をすることに。 しかしいざ夜に挑めばあの手この手で拒否する夫。そして『もう、女性を愛することは出来ない!』とベットの上で謝られる。 実家の援助をしてもらってる手前、離婚をこちらから申し込めないアーシュレイ。夫も誰かとは結婚してなきゃいけないなら、君がいいと訳の分からないことを言う。 それなら、愛人探しをすることに。そして、出会いの場の夜会にも何故か、毎回追いかけてきてつきまとってくる。いったいどういうつもりですか!?そして、男性のライバル出現!? やっぱり男色になっちゃたの!?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】妻の日記を読んでしまった結果

たちばな立花
恋愛
政略結婚で美しい妻を貰って一年。二人の距離は縮まらない。 そんなとき、アレクトは妻の日記を読んでしまう。

王太子妃クラリスと王子たちの絆

mako
恋愛
以前の投稿をブラッシュアップしました。 ランズ王国フリードリヒ王太子に嫁ぐはリントン王国王女クラリス。 クラリスはかつてランズ王国に留学中に品行不良の王太子を毛嫌いしていた節は 否めないが己の定めを受け、王女として変貌を遂げたクラリスにグリードリヒは 困惑しながらも再会を果たしその後王国として栄光を辿る物語です。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

処理中です...