桜は君の無邪気な笑顔を思い出させるけれど、君は今も僕を覚えていますか?

星村桃摩

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第15話〜伊織の愛情〜

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 タン…カタ……

 遠くで誰かが部屋に入ってくる気配がする。衣擦れの音が少しずつ私に近づいてきた。

 私は泣き疲れて床に伏したままでいた。

「桜様……少しでもお食事を召し上がってくださいませ」

 伊織だった。
 返事をせず横になったままの私をしばらく見つめている様子だったけれど、急に私の脇に崩れ落ちるように座った。

「桜様……」

  伊織は泣いている。

「桜様……。どうしたら姫様のお心をお救いできるのでしょうか?」

「――……」

 今回の婚儀に誰もが祭り気分になっている中で、私の気持ちを汲んでくれるのはきっと伊織だけだった。

「がと……」

 私は泣き疲れて腫れた目で伊織を見つめた。

「ありがとう……」

 伊織は大粒の涙をポロポロとこぼして私の手を握り締めた。

 温かいーー。

 手のぬくもりが私の心の傷を優しく包んでいくようだった。

「……桜様。お出掛けの御用意を致します」

 決心したように涙を拭いて伊織が私の手を強く握った。

「………伊織?」

 こんな警備だらけなのにどこに出掛けるというのだろう。私は虚ろな目を伊織に向けた。そんな私を伊織の強い眼差しが答える。

「湊尹、という僧の元に」

「――……!!」

 私はピクッと反応し顔を上げた。

 何故、伊織の口からその名が出るの!?

「伊織、何故ーー……?」

 (何故知っているの?)

 驚きのあまり閉口する私の様子に伊織は赤い目を細めた。

「桜様の事なら何でもお見通しですわ。何年お側に置いていただいていると思いますの?」

「――伊織……」

 完全に読まれていたんだ。
 毎日のように抜け出して湊尹に逢いに行っていたことを。

「ああ、お可哀想に。瞼が腫れてしまっていますわ……。せっかく湊尹殿にお会いするのですから冷やさなくては」

 そう言って伊織は優しく私の頬に手を当てた。

「湊尹殿に密かに文を出しておきました。今夜あの庭にお越しいただけるようお願いしてあります」

「伊織……!」

 伊織は穏やかな表情を浮かべて、私の腰ひもをほどきながら話してくれた。

 以前私が伊織に「恋」についてたずねた頃から気付いていたという。

「一度だけ姫様の後をつけたことがございますのよ」

 伊織はバツが悪そうに笑った。

「……最初は驚きましたわ。まさか僧と逢瀬を重ねておいでとは。ーーけれど、姫様のお幸せそうなお顔を拝見してしまいましたら何も言えなくなってしまって」

 袿を重ねて整えながら伊織は気遣うように笑った。

「それに湊尹殿も信用のおける方に思えましたので安心しておりました」

「伊織―ー……」

「私は桜様の幸せを心より願っております。ですから……もしも」

 伊織は手を止めずに呟いた。

「もしも、姫様が何を望まれたとしても……それが桜様の幸せになるのなら私は精一杯協力いたします」

 伊織の深い愛情に私の頬を涙が伝った。

 私が素直に生きる事を一番大切に考えてくれている。
 姫だからとか、自分にとって役に立つからとか、そんなんじゃなく私を愛してくれていると実感した。

「ーー……」

 伊織はどこか清々しく迷いのない表情をしている。

 もしかしたら、伊織は今夜私と湊尹を駆け落ちさせるつもりなのかもしれない。

 直感的にそう感じた。

「姫様にはやっぱりこの袿が一番お似合いですわ」

 私は伊織が支度してくれた自分の姿を鏡に映した。黄色や薄い翠の上に重ねられた薄い桃色の袿には、桜の花びらが美しく刺繍されている。

「桜様の御名にふさわしい袿です」

 伊織の眼差しには母のような優しさが込められているように感じた。

「ありがとう、伊織」

 そっと伊織を抱き締める。
 泣き顔の伊織の耳元で「大好きよ」と囁いた――。

 


部屋の裏側から廊下に出ると一人の男が控えていた。伊織が用意した者だ。

 男は私に深々と頭を下げた後、無言で前を歩き始めた。腰には刀が揺れている。こうして見ると、私は本当に命が狙われているんだと実感した。
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