桜は君の無邪気な笑顔を思い出させるけれど、君は今も僕を覚えていますか?

星村桃摩

文字の大きさ
16 / 31

第16話〜最後の逢瀬〜

しおりを挟む


 暗い廊下を灯りもなく歩いていく。時折小さな物音が聞こえると、男は私を背後に隠し刀に手をやった。

 昼間に通る道とは違う裏道だったので、私には今どこを歩いているのかも全く分からなかった。広い寺の造りが月明かりにボゥ…と浮かぶので少し気味が悪かった。

 それからしばらく行くと男は再び床に片膝を付いた。

「桜姫様。寺の裏庭に着きました。その角を曲がれば桜がございます」

「あ、ありがとう」

「それほどお時間はございません。私はこちらに控えておりますので、なるべく手短にお済ませください」

 コクン、と頷き、私は一人歩き出す。静かな闇に私の着物の衣擦れだけが小さく響いた。一瞬立ち止まり、角を曲がる。

「―ー……湊尹!」

 満開の桜の木の下に懐かしい湊尹の後ろ姿が見えた。たった四日で懐かしいなどとおかしく思うかも知れないけれど、本当にそう思ったのだ。

 私の声に反応して、湊尹が振り返る。足早に私がいる廊下の下まで近づいてきた。

湊尹、少し―ー……痩せた?

「桜姫―ー……」

 湊尹の声にドキとした。どれだけ私を心配してくれていたのか、どれほど私を想ってくれているのか、その一言だけで全てが伝わってきた……。

 私は床にしゃがみ込み、手摺から身を乗り出した。

「約束を守れなくてごめんね……」

 湊尹は無言では首を振る。

 乗り出した私の顔を見つめる彼の顔は、寂しさと安堵と……そして愛しさが滲んだ複雑な表情を浮かべていた。


 今夜で―ー……最後なんだね……。


 私と湊尹がこうしていられるのは、今日で最後―ー……。

 湊尹にも分かっているんだね……?

 もう二度と、戻れない。
 私たちの愛しい時間……。

 私は伊織を捨てて湊尹と逃げることは出来ない……。私の逃亡の手を引いた事が判明したら、死罪は免れない。
 そして湊尹……あなたも謀反僧になってしまう。

 追われる身になるような迷惑を貴方にはかけられない。―ーかけたくない。


 私の願いはただ一つ。


 伊織も、湊尹も、幸せに生きてほしい。

 だから湊尹―ー……。

 今日でお別れだよ……。



「今日はね、草履を忘れずに持ってきたの。少し遅くなってしまったけど、一緒に桜の下まで行きたい」

 涙が頬を伝う。

 でも、湊尹に気付かれないようにしたい。

 私の笑顔をいつまでも忘れないでいてほしいから。

 お願いです。
 夜の闇よ。どうか私の涙を隠していて。

 階をゆっくりと降り、草履を履く。
 湊尹は袿の上から私の手を取った。

 最後まで直接手に触れてくれない事が辛く感じた。

 砂利が草履と擦れて音を立てる。着物の裾を引き上げて私は湊尹と共に庭に出た。こうして庭を歩くのは久しぶりだった。

「桜、咲いたのね」

 目の前には闇に浮かぶ満開の白い花びらが緩やかな風に揺れている。美しくて、切ないこの花を湊尹としばらく眺めた。

「毎年桜は咲くけれど、咲かないでほしいと願ったのは今年が初めて」

 そう言った私の横顔を湊尹は振り返った。

「私もです……。けれどやはり美しい。姫の御名に相応しい花です」

「湊尹たら!」

 私たちはクスクスと笑った。
 悲しいはずなのに湊尹といるといくらでも話していられる。離れていた時間が嘘のように思えてしまう。
 
 私たちの日々は明日も続くのではないの?そう思えてならなかった。

 けれど、別れは着実に近づいていた――。

 湊尹は私と向かい合い、口をつぐんだ。
 まるで私の姿を目に焼き付けるように。

「湊尹?」

 不安になって名を呼ぶ。

「桜姫……。この度の東宮様との御婚約、誠におめでとうございます」

「……………」

 夜風に桜が音を立ててざわめく。

 深々と頭を下げる湊尹を、私は悲しい気持ちで見つめた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【完結】「お前とは結婚できない」と言われたので出奔したら、なぜか追いかけられています

22時完結
恋愛
「すまない、リディア。お前とは結婚できない」 そう告げたのは、長年婚約者だった王太子エドワード殿下。 理由は、「本当に愛する女性ができたから」――つまり、私以外に好きな人ができたということ。 (まあ、そんな気はしてました) 社交界では目立たない私は、王太子にとってただの「義務」でしかなかったのだろう。 未練もないし、王宮に居続ける理由もない。 だから、婚約破棄されたその日に領地に引きこもるため出奔した。 これからは自由に静かに暮らそう! そう思っていたのに―― 「……なぜ、殿下がここに?」 「お前がいなくなって、ようやく気づいた。リディア、お前が必要だ」 婚約破棄を言い渡した本人が、なぜか私を追いかけてきた!? さらに、冷酷な王国宰相や腹黒な公爵まで現れて、次々に私を手に入れようとしてくる。 「お前は王妃になるべき女性だ。逃がすわけがない」 「いいや、俺の妻になるべきだろう?」 「……私、ただ田舎で静かに暮らしたいだけなんですけど!!」

【改稿版】夫が男色になってしまったので、愛人を探しに行ったら溺愛が待っていました

妄夢【ピッコマノベルズ連載中】
恋愛
外観は赤髪で派手で美人なアーシュレイ。 同世代の女の子とはうまく接しられず、幼馴染のディートハルトとばかり遊んでいた。 おかげで男をたぶらかす悪女と言われてきた。しかし中身はただの魔道具オタク。 幼なじみの二人は親が決めた政略結婚。義両親からの圧力もあり、妊活をすることに。 しかしいざ夜に挑めばあの手この手で拒否する夫。そして『もう、女性を愛することは出来ない!』とベットの上で謝られる。 実家の援助をしてもらってる手前、離婚をこちらから申し込めないアーシュレイ。夫も誰かとは結婚してなきゃいけないなら、君がいいと訳の分からないことを言う。 それなら、愛人探しをすることに。そして、出会いの場の夜会にも何故か、毎回追いかけてきてつきまとってくる。いったいどういうつもりですか!?そして、男性のライバル出現!? やっぱり男色になっちゃたの!?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

わたしのことがお嫌いなら、離縁してください~冷遇された妻は、過小評価されている~

絹乃
恋愛
伯爵夫人のフロレンシアは、夫からもメイドからも使用人以下の扱いを受けていた。どんなに離婚してほしいと夫に訴えても、認めてもらえない。夫は自分の愛人を屋敷に迎え、生まれてくる子供の世話すらもフロレンシアに押しつけようと画策する。地味で目立たないフロレンシアに、どんな価値があるか夫もメイドも知らずに。彼女を正しく理解しているのは騎士団の副団長エミリオと、王女のモニカだけだった。※番外編が別にあります。

【完結】妻の日記を読んでしまった結果

たちばな立花
恋愛
政略結婚で美しい妻を貰って一年。二人の距離は縮まらない。 そんなとき、アレクトは妻の日記を読んでしまう。

王太子妃クラリスと王子たちの絆

mako
恋愛
以前の投稿をブラッシュアップしました。 ランズ王国フリードリヒ王太子に嫁ぐはリントン王国王女クラリス。 クラリスはかつてランズ王国に留学中に品行不良の王太子を毛嫌いしていた節は 否めないが己の定めを受け、王女として変貌を遂げたクラリスにグリードリヒは 困惑しながらも再会を果たしその後王国として栄光を辿る物語です。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

処理中です...